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高橋勝治
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    森の休日社 特集記事

    癒し  全エリア編 

    高橋勝治(カイロプラテック・高橋治療院・北海道江別市)


    強風ご参考までに、文末に、2006年1月現在の診療時間等を入れさせて頂きました

    ※無理やり掲載致しました(はは)、勝治先生と看板お写真
    (クリック)

     「天国は江別にある」私は、むかしそう思っていたことがありました。
    体のあちこちの調子がとても悪かった頃ですね。

    手術したりそういうことの必要はないのですが、あちこちの調子が悪くて真綿で首を絞められるように
    心身がじわじわ弱ってきて、日々の生活が辛く思えていた頃、
    ある大きな病院の医療従事者の知人にここを教えて頂きました。
    身体を酷使する医療関係の人やプロスポーツの選手や農業関係の人が通って来ているようです。

    初めての顎関節症で、口がほとんど開かなくなってご飯も食べられなくなった時も
    職場のパソコン作業で残業が続いて首・背中・腰全てが痛んで、頭痛や不眠に苦しんでいた時。

    ここに来て帰る時、私は「苦痛」という衣をすっぽり脱いでこれたのです。
    口が開かなかった顎関節症の時は初回の帰りの汽車の中で、私はもうサンドイッチをパクついて
    いました。(ああ、ひもじかった)

    人間の幸福はまず健康であることだ、と思い知らされていた日々でした。
    身体の苦痛や不快のため、したいことも思うよう進まず、あせってばかりで苦しい気持ちでした。

    人間普段から、身体を正しくトレーニングしていればある程度こういう不調を防げるといいますが
    現代の職業環境ではなかなか運動したり、そういうことの出来ない人が多いです。
    残業の多い働く女性、OLたちの中には、「休みの日は信頼できるどこかの治療院やマッサージや
    針に行って、それから買い物して帰って、それから掃除と洗濯して終わりだ」という人が結構多いようです。
    残業代もそいういう体のメンテナンスに消えていくのですね。

    保険診療の病院と違って、周知のことですがこういう所は費用がある程度かかります。
    しかし体のことには代えられないし、
    高橋先生はこの世界では、本当に良心的に施術をされてこられました。
    確かに私の安月給では、負担ではありましたが「高い」と思ったことは一回もないです。
    本当にいつも先生に感謝して帰りました。
    先生は若い頃から「江別市を出て大きな都市で、もっと高いお金をとって開業しなさい」と
    いろいろな人に薦められたことがあります。
    でも先生ご自身が小さな町で、ケガの後遺症で長く苦しんだ経験があるので、
    江別にい続ける決心をしておられるようです。
    しかも「働いている人は日曜日しか来られない」と、
    昔まだ他の治療院のほとんどが日曜日休みだった時から、ずっと日曜に院を開けていました。

    そして良心的な施術料に、この高度な治癒力のお陰で私はいつも心からの
    感謝以外の気持ちを持ったことはありません。

    (しかし先生でも治らないことはありますので、その場合は先生は前もってそのように 伝えるし、
    診ない場合もあります。 
    また特に不調の部位が急性期を過ぎている場合や不調の程度によっては
    治るのにも時間がかかります)

    残業多いと、例えば「日に一時間位の軽い運動」のようなことの余力が全然なかったりします。
    「運動するくらいなら死んだ方がマシだ」とのたまわった知人がおりましたね。

    みんな職場が悪いのか、本人の不心得が悪いのか。
    また間違った運動の仕方は身体を確実に壊しますし、いくら正しい運動をしていても
    仕事自体がハード過ぎるとやはり身体の調子は悪化していきます。

    最初に治して頂いたのは、顎関節症でした。その後はひどい肩こりと背中・腰の痛みの調整。
    私は頚椎の捻挫(むち打ち)が癖になって、その後遺症等と仕事柄から首、肩・背中、腰、あごの調子が
    ずっと悪かったのです。
    もう病院での治療は終了していて、別に骨はちゃんとくっついているし
    あとは後遺症のみという状態でした。
    しかし大きなケガをしたことのある人はみなさんご存知と思いますが、
    人間の骨はきれいにくっついても、大なり小なり何らかの後遺症に苦しむ人が多いです。
    やはり生まれてきた時のままの元通りにはならないのが、ケガや病気の悲しいところです。

    別に命に関わる問題ではなく、また日常生活に大きな障害をもたらすわけでないですので、
    病院でもそれ以上のことは守備範囲外です。

    けれど、この各部位の痛みや、だるさ、しびれ等が日々の生活や仕事、勉強等の活動に
    辛い支障となっていくのです。

    「カイロや整骨・整体」には私の個人的狭い見聞では三種類あると思います。

    きちんとした学校を卒業して、危険のない施術をきちんと行える所。
    例えばカイロには「医学マッサージ」という別名がありますが、危険のない正しい施術により
    その日その時は肩こりや腰の痛み等が解消することもあるし、
    又長い時間かけて定期的にしょっちゅう通うことによって、
    体の良くないところが少しづつ少しづつ良い方へ向かうように出来る所。
    ここは学生の時からきちんと真面目に勉強し、きちんと職業経験を積んでいけば
    大抵の施術者はこの域に到達できるようです。

    怪しい講習等を受けて、にわかに施術者を名乗るようなるか又は学校を出ても勉強不足で
    危険な施術を行ってしまったりで、たまに事故さえ起きるという所。
    私は幸いなことにこういう所に行ったことはないです。
    よく「整体やカイロ等が怖い」というのは、こういう所に行ったからだと思います。
    本当に危険なので、変だと思ったら変なことをされかけたら施術者を突き飛ばしても逃げるべきだと
    思います。
    ある程度は「見分けるポイント」もあるようですので、
    きちんとした所で知識を仕入れておいた方がいいと思います。

    神技の域。血のにじむような鍛錬と、勉強によって会得した素晴らしい施術。
    こういう世界の超有名人は、例えば俗な話ですが「当時No.1の競争馬の骨折した足をつなげて家一軒
    建つ程の謝礼を得たり、島津家のお姫様をお嫁にもらったのでも知られている」野口晴哉。
    ナチスドイツが国外に出さずに自国で戦時中飼い殺しにしたというフィンランド人。
    彼は「黄金の指」と言われていました。

    ここまでいかなくても、大きな都市ごとには少なくとも一人位は「神技」と思うような施術者がいると思います。
    逆に言うと、ここまで厳しい鍛錬を続けてがんばれる人はめったにいません。
    道具を使う訳でもなく、人間の身体を使って行うことはとても訓練が大変です。

    高橋先生はだと思います。
    先生の施術は危険なことはしないですし、終ったあとは本当にシアワセな気持ちになれます。

    人間の身体に施術を行うために力をかけるとき、まるでテコの支点と力点の組み合わせのように
    複数の方向にかかる力が合わさって、自分の体が正しい方に矯正されるのが感じられます。
    これは高橋先生クラスでないと、ない感覚。

    ★なお絶対ダメなのは、施術の日に入浴やシャワーに入ったり、温めたり、アルコールを飲むこと。
    また過度に冷やすのも良くないです。
    これがあるとせっかく受けた施術が元に戻ってしまいます。
    最低でも丸一日はひかえて下さい。
    よくこれをしてしまって、元通り不調部位が悪化してしまう人がいるそうです。

    晴れここで「高橋治療院」の名前が、
    「高橋整骨院」と変更になりました。
    理由は高橋Jr・高橋大樹(たかはしだいき)先生(先生の息子さん)がデビューしたからですね。

    (現在 高橋大樹先生は、当別治療院開業)
    (そして、江別は元の「高橋治療院」に戻っています)

    勝治先生は今まで通り、保険外のカイロプラテックの施術専門ですが、
    大樹先生は、柔道整復師として保険診療のきく、整骨の方をなさります。

    実はずーっと昔に、まだ彼が学生さんだった頃に
    休みに助手としてお手伝いされていたのを、一度見たことがあります。
    あのいたい気で、必死にがんばっていた少年が、
    いつのまにか立派になられて....(うるうる)。

    デビューだから、見習い終わった位だと思ったら
    ナント月日が経つのは早いもの、いつの間にか大樹先生は
    「柔道整復師の学校の教師」をする程になっておりました。
    う〜ん、さすが勝治先生の息子さん!!

    正直言って、お父さんと一緒の開業は良い面もあるけど
    プレッシャーだってあるのではないかな?と思います。

    でも素直で謙虚で、人一倍努力家の大樹先生だから
    お父さんの「技と心」を身に着けながら、更にご自身の
    施術の世界をつくっていくのだと思います。

    頼もしいパートナーが出来て、勝治先生もこれから少し
    楽できそうだなぁ、と思っています。


    日の出
    後日追記 2006年3月

    私は、もう10年以上勝治先生にずーっとお世話になってきた
    勝治先生の患者なのですが、
    先日行きました時、混んでいて、その時間たまたま空きだった
    大樹先生が勝治先生の助手として入っていました。

    ※ちなみにカイロの勝治先生と違い、大樹先生は保険診療の整骨ですが、勝治先生の助手に入るときは、二人から施術を受けても、保険のきかないカイロの勝治先生の料金に含まれることに
    なります。)

    今までも、混んでいる時は勝治先生の奥様(大樹先生のお母上)が、助手に入られて、矯正のところ以外のことを
    手伝うことがありました。
    (奥様も、素晴らしいウデをしておられます)。

    で、その日途中までを大樹先生にして頂きました。
    今は大人になった大樹先生も、私のイメージの中では
    いたい気な小さな男の子なのです。(はは、許して)

    だからその日も何か、
    「大樹君も大きくなったねぇ(うるうる)」っていう
    そういう失礼な気持ちが私の中に、ちょびっとあったと思います。

    実際、他の患者さん達も、子供の頃の大樹先生を知っている人が
    けっこういるせいで、
    「坊主、どれ、一人前になったかなぁ?」的発言が
    施術室でもちらほら聞こえてきていました。(はは)

    でも施術を受けて分かったのは、
    彼は彼でまたお父さんの勝治先生とは、施術家として違う分野で
    学び、今ではその専門の教官まで務めるようになった、
    立派な専門家だということ。

    そしてお父さんと似てると思った所は、その日の体の悪い所に
    次々、ぴたっと手が行くことですね。
    いつも不思議に思うこのことが、
    「血は争えないなぁ」と思った所でした。

    しかし学問的にも、施術の技術面でもお父さんとは違う分野の
    専門家として、「この人はこの人で、別の立派な治療家」に
    成長した彼に、「高橋治療院)は、
    末も安泰だなぁ」と思って、安心したのでした。

    (いつも「もし勝治先生いなくなったら、痛いとき、
    私はどうすればいいの?」と思って、
    将来に不安を感じていましたので)

    経験的にも年令的にも大樹先生と勝治先生は、
    かなり差がありますが、息子さんの大樹先生は、
    もうすでに立派な専門家だし、素晴らしい跡取りだと思いました。

    施術室で思ったのは「ぜいたくな治療院になったなぁ」って
    いうことです。
    混んでいると助手に大樹先生が来るなんて!!
    本当はそれぞれ一軒づつ開業して、治療院を開ける二人が、
    一緒に施術に当っているのですから、もったいないことだと
    思いました

    混んでないときは、それぞれ一人づつの施術ですが
    お二人がそれぞれご活動されることで、「元気を取り戻してくれる場所」として、
    「まさかの時」のお助け場所として、ますます素晴らしくなったと
    思っていますし、元々、明るい治療院の雰囲気が、
    ますます明るくなったように思いました。晴れ

    現在 大樹先生は当別治療院開業。

    2009.1

    大樹先生がブログを作りました。
    http://blogs.yahoo.co.jp/jyuudouseihukusi7

    少しでも多くの方が来て下さることを、願っています。

    勝治先生は、ここで何十年も昔から開業されていますが、
    大樹先生が院長になられて、整骨院と改名されたのは、3年前からです。

    月院名は何であれ、父子(カイロプラテックと整骨と
    守備範囲は別ですが)
    末永く、いつまでもご活躍されることを願っています。

    (だって、今日もまた、あちこち痛い私たち)

    2013年8月4日

    高橋勝治先生のご長男さんの、大樹先生が当別に独立開業されて、
    しばらく経ちました。

    大樹先生は、小さい中学生の頃から知っているので、
    どうしても私にとっては、「お兄ちゃん」扱いです。

    でも立派な腕と柔道整復師の専門学校の教師の経歴を持ち、
    当別整骨院を訪ずれる人々のために、日夜がんばっている。

    (もうとっくに「お兄ちゃん」じゃなく、一人の独立した施術家と
    なられています)

    そこに、今度は「お兄ちゃん」より、私にとっては、
    まだ更に幼いいたいけな存在、
    「弟さんの尚吾くん」のデビュー?が...。

    どこからデビューというか、難しい問題です。
    私としては、本当は、一人で最初から終わりまで施術することを
    デビューと思っています。

    2013年の春までの時点で、弟さんの高橋尚吾先生は、
    通しで全部の施術を受け持ってはいないです。

    まだ学生という部分があるので、多分お父さんの勝治先生が、
    OKしないのかもしれないです。
    勝治先生厳しいだろうから。

    (でも、学生ながら高橋尚吾先生は、すでに副院長であります)

    外見は、お兄ちゃんは奥様に似て、細面色白ですが、
    弟さんの尚吾先生は、色は浅黒くお父さんに顔立ちが似ています。

    そして、施術を受けた人なら分かると思いますが、
    弟さんの尚吾先生は、ここ数年で、めきめきと腕を上げて
    来られています。

    特に、今年の春当たりからめざましいものがありますね。
    (やった!)
    その陰には、尚吾先生が血のにじむような努力をされてきた
    からだと思います。

    高校卒業してから、まっすぐこの道に進んだお兄ちゃんと対照的に、尚吾先生は別の仕事、社会経験をしてから「家業を継ぐ」ことを
    選びました。
    (お父さんの勝治先生もそうでした)

    柔道整復師として整骨を行うお兄ちゃんと違い、
    尚吾先生は、カイロプラテックを学んでいます。

    施術を受ける方は、どっちでもいいことなのですが、
    こういう考えの違いは、施術者にとっては大事なことのようです。

    高橋大樹先生も、尚吾先生もツライのは、お父さんと比べられる
    ことかもしれない?何て、外野は余計なことを考えたりもします。

    昔、大けがをして、それからこの道に入って苦労して大成された
    勝治先生。

    その何十年の経験だけでも、息子さん兄弟にとっては、
    近寄りがたいものがあるかもしれないです。

    でも、お父さんと比べなければ、お二人とも立派な施術家と
    言えると思います。
    (2人の息子さんにかかって頂けたら、分かってもらえると思う)

    だから、めきめき腕を上げてきている若いお二人は、
    たくましいココロで、がんばっていってほしいと思います。

    お二人が、他の施術家に比べて精神的にツラいのは、
    お父さんの存在かもしれないですが、

    でも「高橋勝治先生」の愛弟子になれるという、
    すごい特権を持っていると思っています。

    勝治先生がもし引退されたら、
    いずれは、息子さん達のお世話にと思っている、
    お父さんの勝治先生の昔からの患者さんたちが、
    江別だけでなく北海道中に沢山おられると
    思います。

    勝手な考えですが、そういう沢山の患者さん達のために、
    お二人には、ぜひぜひがんばってご活躍して頂きたいと
    思っています。



    歌舞伎や老舗の味ではないですが、
    代々受け継いでいってほしい「高橋家の施術」


    な〜んて、お二人ともお父さんとまた違う、施術上の考えを
    もって、違う施術家になられるのかもしれませんが。



    (高橋治療院)

    069-0801

    北海道江別市中央町1-5


    要予約

    予約電話011-383-3952



    ※交通機関は現在のものですので、必ずご確認お願い致します

    新さっぽろバスターミナルから乗車 (現在・北レーン)

    中央バス 江別行(5・55・6) 「野幌錦町」(旧・三番通り7丁目)下車 バスの進行方向に徒歩1分


    または、

    JR高砂駅 下車 徒歩20分)



    地図です(クリック)




    施術時間



    平日・午前8時半〜午後7時


    土日祝日・午前8時半〜午後五時


    休日 毎週月曜日、第二火曜日(電話で確認してください)


    (休日でも勝治先生在宅のときは、

    お電話頂ければ、施術可能な場合もあります)


    高橋大樹先生(現在・当別治療院)は、専門学校の授業がある時、

    休みになりますので、事前にお電話してご確認お願い申し上げます。




    ※なお、これは今日現在のデータですので

    通院されます方は、電話でご確認なさって下さいませ。


    (C)

    23:58 | 癒し | comments(0) | trackbacks(0)| - | - |
    熊谷透
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      森の休日社 特集記事

      癒し 特定エリア編

      熊谷透 (北海道エリア・札幌市・気功家・教室「風の舟」)
      (札幌市中央区北1条西26丁目4-24 ?011-612-1831)

      実はこのHPを作っていた頃、他にもすることがあって一日中イスに座り続けて作業していました。
      イスの高さが合ってなかったせいもあって、ひどい腰痛が・・・・・。
      イスに10分以上座るということが困難に。
      その頃たまたまご縁があって熊谷さんの教室へ少し通うことに。

      ほどなく腰痛はおさまりました。(熊谷先生、ありがとうございます)

      熊谷さんはカルチャー教室講師の経験もあり、市内のいくつもの教室で気功を指導してきました。
      時に自然の中で気功をする新聞社主催のイベントのツアーをされたり、
      中国から気功の師匠を招いて合宿や講習を主催したり。

      教室では、比較的小柄な熊谷さんがすくっと正しい立ち方で私達に指導を始めると
      彼が大きな大陸的な内面の世界を持っていることを何となく感じます。
      気功以外のことで前から彼を知っていたので、人柄の良さも分っていましたが。

      穏やかで大らかな器のある、温かい先生です。
      教師に必要なクールな判断力もあり。
      また多方面に渡る読書家だし音楽や他の事にも造旨が深く
      教室の休憩時間の時などには、面白いお話しを聞かせてもらえます。
      気功教室は気功を教わる以外に、いろいろなお話を聞けるのも楽しいですよね。
      一般に、気功の先生にはお話しの上手な方が多いです。

      熊谷さんは、気功家の中健次郎氏(全国の気功教室の教師の方々の指導もされる)の
      札幌地区の気功の合宿や講習をいつも主催しています。私も幾度か参加させて頂きました。

      街の気功教室の教師の方達にはいろいろ個性がありますが、
      熊谷さんは見た目は穏やかな一般人という感じの方です。服装もいつも平着のせいかも。
      だから受講者も気楽な感じで、気功を始めることが出来ます。
      そのように熊谷さんが考えてされているのだと思います。

      同じ気功でも「武道」の方に重点を置くということはありません。
      ですから熊谷さんとご縁の出来る方も、平和を愛する福祉・文化関係者が多いような気がします。

      熊谷さんは、元は英語の教師でした。今は気功教室一本になりましたが
      昔は英語教室と両方をなさっていました。世界を旅して歩いたこともありますし、
      ボストンマラソンに参加したり、福祉関係にも積極的だし、今は気功が忙しい等諸事情で
      出来なくなったようですが、
      ご自宅を福祉・文化関係の人たちのために一部解放していたこともあります。

      癒しの他にも「気」の力はいろいろありますが、
      一つは武道にもなる「柔拳」というような破壊的パワー。
      もう一つは、目に見えない「気」がそれぞれの人間の間をゆるめて風通しがよくなるかのように、
      コミュニケーションが楽になるという作用があります。何かその時自分に必要な形での。
      リラックスして、人見知りがやわらいだりするのでしょうか。

      熊谷さんの「気」はコミュニケーションを活発にする方の力が強いように思えます。
      気功以外の場面でも、気の通りが良くなりリラックス出来るせいか
      積極的な人間になれるような気がします。

      どうしてか気功に限らず熊谷さんの周りには絶えずいろいろな人の流れがあり、
      福祉や文化関係の良いたまり場になっていたりしていますし、
      若い人たちも熊谷さんをしたってよく集まるようです。
      今はそれが高じて下宿屋さんまでしているよう。
      時々彼が出会ったいろいろな人たちのことを、本に書いたらそれだけでも面白いだろうな、
      と思ったことが何度もあった程。

      よく気功の教本には心身を調整することで、頭の働きも活性化するとあります。
      何か勉強しなければならないときは、気功も合間に組み入れると成果が上がりやすいそう。

      もう今は休業されていますが、彼の英語教室も気功のリラックスした雰囲気を生かして
      良い成果を上げていました。

      私が熊谷さんを知りましたのは、
      気功でなく他民族音楽のライブの客席。たまたまお互いあちこちのそれによく通っていたからです。
      よく顔を合わせたのと、その関連で共通の知り合いが何人かいたからです。
      気功の先生だということを知ったのさえも、少し後からでした。

      だから熊谷さんの気功教室がこんなに良いと知ったのは、ごく最近の冒頭の出来事からです。
      「灯台もと暗し」というのでしょうか、意外と身近な所に良い教師がいたという嬉しさ。

      熊谷さんの気功教室の特徴は、
      教師出身のせいか熊谷さんが人にものを教えるのが上手いということです。
      熊谷さんご自身は、勉強熱心で全国の気功の学習会のみならず中国にもよく勉強に行かれています。
      初心者から上のクラスまで指導。

      私の腰痛も彼の指導の下で、ほどなく完治。

      特に「気功」に何となく気遅れというか、偏見というか抵抗のある方は
      熊谷さんの教室へ行ってみるといいと思います。
      本来気功は特別なことでなく、昔中国でそうだったように一般市民の日課、
      普通の生活の中のささやかで大切な一部であるのです。
      健康維持であり運動であり、自分の潜在能力をオープンにするためのリラックスした時間。

      そういうことを熊谷さんは彼のこだわりのない雰囲気から、伝えてくれます。
      彼は人を圧しようと思ったり強制しようとしない、自由な人だから。


      (C)

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      23:57 | 癒し | comments(2) | trackbacks(0)| - | - |
      中健次郎
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        癒し 目次
        全エリア編 中健次郎 (気功家)

        特定エリア編 熊谷透 (気功家)

        全エリア編 高橋勝治 (カイロプラテック)



        森の休日社 特集記事

        癒し 全エリア編

        中健次郎(気功家)

        中健次郎先生は若い頃に中国に渡り、それからずっと中国をベースに世界中を放浪しています。
        気功、太極拳を中国の大家に師事してずーっと修業を続けてきただけでなく、
        北京大学、北京中医学大学で中国伝統医学を学んでいます。
        また冒険家としても知られ、人のあまり行かない南の島々や奥地も歩き武勇伝も多々。
        又仏教、キリスト教等の世界中の聖地を訪れ、聖人と言われる人々とも沢山の交流がありました。

        先生がよく使われる「道を求める」という言葉がありますが、
        多方面にわたってこのようにひたすらに修業を続けてきた先生の人生は、その通りだと思います。

        先生は宗教家・宗教学者ではありませんが、出身地の和歌山県は高野山のある所。
        先生はもしかして子供のころから修行僧たちの空気、生き方に無意識に影響を受けてこられたのでしょうか。
        先生の生活もそれに似た部分があるように思います。

        そもそも本来気功というもの自体の根底にも、仏教思想が流れています。

        日本にはいつも数年位に一度位づつ戻り、「日本の旅」という名で日本縦断合宿ツアーを行います。
        (日本のお弟子さんたちは、早く先生が危険な探検・修業を止めて日本に帰国することを
        望んでいるのですが・・・・)

        その合宿には、日本中のファンの方達や気功教室の教師の方達、医療健康関係者
        またアート系の人たち等が沢山集まります。
        日本では気功教室の先生達の指導をする感じです。
        又老若男女の合宿ツアーの「追っかけ」が多いです。
        実は、私もその一人です。
        気功の世界では、先生を知らない人はもぐりだと思います。(はは)

        中健次郎先生の多方面に渡る素晴らしさはここでは、書き切れない気がします。
        だから私が支笏湖の合宿で見せて頂いた気功の模範演技(?)、
        「拝仏功」のことだけを書きます。妙なことですがあれだけでも私には十分でした。

        昔から先生のお弟子さんだった人が言うには、
        普段は入静しないで、お弟子さんのお手本になるためだけにするのですが、
        まれにこの時のように入静して行うことがあるそうです。
        それはもう、筆舌に尽くしがたいものでした。
        このためのとても素晴らしい音楽があるのですが、私が見たときたまたまカセットがなくて
        無音で行われました。

        初対面の時の平着の先生の外見は失礼ながら、
        とても感じが良い、普通の男の人に見えました。
        (「普通の人」でない人なんていないし、逆に「普通の人」なんて、いませんが)

        しかし後であのマオカラ−(襟)の紺の気功の衣を着て、師匠となった先生は
        本当に最高の教師だと思った。
        気功をほとんど知らなかった私は生まれて初めて見る、先生の美しい動きに見とれていました。

        私は、あれほど美しい動きをする男の人を見たことがありません。
        ため息が出て、自分が教わった動きをするよりも、先生を見ることに、
        心がいってしまいそうになる。(はは、ごめんなさい。やましい心はありません)

        古くからある気功・太極拳の沢山の流れのなかには、
        この「美しい動き」を追求することを否定する意見も、一部にはあるらしいです。
        舞踊等の芸術とはまた違うので、それを追求し始めると本質を見失うと。
        これは舞踊や能楽等の芸術系の美とは、また種類を異にすることなので。

        つまり芸術は何かを表現するためにありますが、
        気功や太極拳は健康維持や治療のためにあります。
        私も確かにそう思いますし、実際中先生もめったにこのようなことをしてくれることは
        ないようです。
        しかしこの中先生の動きの美しさに関しては、「本質を見失うことではない」と私は確信しています。
        別に「美しく動こうとしている」のではなく、高い精神性を求め、厳しい身体の修練を積んだ結果に
        現れた「美しさ」であるからです。
        それは正しい身体の位置、動き、精神性がもたらした「副産物」。

        あのやさし気で流れるような動きは、一見誰でも簡単に出来ることのようですが、
        昔、中先生が中国で師匠に最初に弟子入りした時には、「ただ立つ」というその「立ち方の姿勢」だけでも
        及第できなくて、何ヶ月もただ立ち続けさせられたそうです。
        それ程本来の気功の「正しい体のポジション、姿勢」は難しいもののようです。

        また武道としても、気功・太極拳は強い力を持っています。
        一般に筋力を鍛える荒々しい武道は、剛拳と言われ相手に骨折等の外傷的ダメージを与えます。

        しかし一見軟弱にさえ見える柔拳と言われる「気」を使う気功・太極拳は
        筋力でなく気の力で相手の内臓にダメージを与えます。
        つまり破壊力は柔拳の方があるのですね。

        たまにテレビ番組でやっている気功で「触らないで離れている相手を吹っ飛ばす」術は、
        双方がある程度訓練を積んで気の通りが良い同士でないと、うまくいかないそうですが、
        気の通りが悪い相手とであっても、もし指一本でも触れ合うと、
        時には宙を舞うというか、ぶっ飛ばされるハメになるようです。

        (もちろんすべての武道の大家がそうであるように、その力を身につける修練の過程で
        高い精神性を身につけ、力の悪用は決してしないように教えを受けていきます。
        堕落しないように。堕落した人は精神性が欠けるため、最高の武道家にはなれないようです。)

        「美」というには、あまりに神々しかった先生の練功の時の模範。
        「拝仏功」をただ黙ってみていると、かすかな天上の光というものが存在するようにさえ思えました(はは)。

        あの動きは結局、心と体を修練しつづけ、いろいろな学問を修め、
        世界を旅して歩き、また神を求めた、先生が得た境地なのだと、思った。

        きっとあの動きの常ならぬ美しさ神々しさによって、だらけた生活をしている私のような人達が
        まずこの「気功」という素晴らしいことの存在、また気功に限らず心身の鍛錬又は高い精神性の追求
        そういうことがもたらし、導いてくれる素晴らしい世界の存在に気づくことが出来るのだと思う。

        そのためだけでも、時々先生に入静してああいうデモンストレーションを
        行ってほしいと願って止みません。
        さてあの支笏湖の時のことに戻ります。「拝仏功」。

        気功の所作を始めると、先生のいる空間がまるで澄んできたかのよう。
        薄白色の光が、かすかに差してきたかのよう。穏やかで、端正な表情。

        沈黙の中、体を動かす気配だけがして音楽のよう。
        無音だっためにかえってあの静かな、動きが移る時の気配が消されずによく分ったのです。
        あの気配の動きが、何より美しかった。
        沈黙が何よりも美しいことがある、と初めて思った。

        (ただ、それだと会場がある程度小さいライブハウス位の大きさのところでないと、
        伝わらないかもしれませんね。実験しないと、わからないですが)

        美は素晴らしいものあり、大いなる癒しともなりますが
        時に裏目に出ると優越であり威圧にもなることがあります。
        気功を教わる練功の場面において、先生は多分教師としてあまり私達が緊張するようなことは、
        極力避けておられるような気がします。
        だから、舞台の上で見せる為だけの気功をする時とは、また普段の練功は違うのだと思いました。

        先生の気功を見て、「本当の美とは、精神性に裏打ちされるものだ」ということを、
        教えられました。
        先生が「道を求める」とおっしゃいましたが。本当に道を求め続けた先生の人生が、
        あの動きに出るのだと、思いました。
        先生にお会いしてから、気功は自らの体の動きと、
        自然、宇宙が一体になって、光が現れるものだと、言葉でなく目の当たりにすることで教えられました。

        しかしこのデモンストレーションが素晴らしかったからといって、
        中先生を美化しても仕方ないと思います。あくまで中先生も人間だから。
        たしかに気功は素晴らしいものですが、普段の先生は見た目も普通の感じですし、
        穏やかで気さくな感覚のある方です。
        若い頃から修行ひと筋で、海外の特殊な環境で生活され続けられましたので、
        世間のことには情報的には疎く思えたり、感覚的に多少しズレて感じることも。

        しかし真理は道が違っても合い通うずるというのでしょうか、
        先生のお話って、どちらかというと超越的なことが多く現実離れしているようで
        実は、現実が次の日から、変化してしまうような含蓄のあるものが多いようです。
        先生のお話しは教えや極意は「世間の最前線の一つである」様々な企業等のセミナーでも
        引っ張りダコですし、普遍的な本質を私達に教えてくれるのでした。

        話変わりますが、先生は時々恐ろしいことをするのです。
        本当は私達は絶対に止めてほしくて二度としてほしくないことではあるのですが


        ノルウェーの600mの断崖のふち、吹きっさらしで通常地元の人が腰に紐をつけて
        這ってでないと近づけない場所があります。
        先生はそのふちで腰に紐もつけず、立って気功を行い
        三脚にしばりつけた自動シャッターのカメラで、自らの写真を撮りました。

        (余計なお世話ですが、どうかあの崖のような危ないところでは、
        できればもうなさらないで、欲しいです。一生のうち一回だけあのスライドさえ撮れば、
        あとは必要ないですよね)

        あれはトンデモナイ危険な行いだと思います。
        ただその意味は曲芸をしてみせたのではなく、
        先生は、長い年月かけて修行してきたことの一つの区切りをつけたのかもしれない。
        長い自分自身の心身のトレ−ニングをひと通り終えた後、あとは天と神に運を任せて、
        あのノルウェ−の崖で何のわずらいもなく、動けたのだと思いました。

        人は自分のぎりぎりまで努力し続けた後、
        その先にきっと天の、宇宙の、神の恩寵が現れるのでしょうか。(よくぞご無事で)

        これもまたあまり美化してはいけないと思います。
        先生はこのスライド上映のあと、あっさり笑って言いました。
        「このあとトルコのカッパギアでもう一度やった時は、断崖から転げ落ちて片足骨折しました。
        ノルウェーと違って不摂生な生活をして、不心得だったせいです」と。(いや〜)

        絶対に私達は真似をしてはいけないし、出来れば先生にも二度としないでほしいものです。

        先生もそろそろ落ち着いて、日本に帰国されて日本をベースに活動なさってほしいと願って止みません。
        (勝手な望みでスミマセン)


        ジョギング中健次郎先生ファン公式サイト


        晴れ中先生 合宿写真です。

        ★後日追記(2004.10月)

        中健次郎ご夫妻は長年の中国滞在を終え、ついにこの秋日本にご帰国されました。
        三重県の熊野に居を構え、しばらくの準備期間を終えたら活動開始されると思います。
        (しかし、第二の故郷中国への里心や、世界放浪癖の再発が私達の間で懸念されています)
        中先生ならではの、ご活動を心から楽しみにしている全国のファンが沢山いるようです。

        所用もあって内地へ行き千葉の合宿へも顔出し致しました。今回は又いつもとガラっと違う、
        中国でもめったに学べない気功を教わることが出来ました。
        あとはこれからの日々毎日継続して精進を続けていれば、新しい素晴らしい自分に生まれ変われそうです。

        (・・・・・一ヶ月弱経ったここ数日間、情けないですがもはや怠けています。
        「新しい自分に生まれ変わる」のはいつなの?又明日からがんばらなきゃ。)

        前述は北海道での「拝仏功」の模範気功。今回は太極拳で気の動きを見せて頂きました。
        私たち参加者は、又ため息が出るような素晴らしい舞台を見ることが出来て、とても幸福でした。

        「拝仏功」のように型がきっちり決まっていて、それを精進して磨き上げていくものもありますが、
        今回のは型がなくて「気の動きにつれて先生の動作が起こる」という不定型の自由なものでした。
        「拝仏功」同様今回は音楽なし。

        舞台としては「拝仏功」のように長年磨き上げた形(クラシック)のものは迫力がありますが、
        今回のように先生の気の動きにつれて動作が起こる即興の、果てることのない美しい流れの奔流を
        目の当たりにすると又別の感慨があります。

        先生は気功・太極拳は舞踏ではない、という思いがあられるのか照れておられたのが残念でした。
        私たちが無理にせがんで見せて頂くので、中先生ってば、照れている時の方が多いんですよね。
        (舞台アーティストはまず照れると大なしなのですが、気功・太極拳は別の教えの元に行われるものなので
        私のワガママな小さな不満は慎まないとダメですね)

        本来目に見えない透明な、尽きることのない「気の動き」が多分生きることなんだと思いました。
        私たちは生きていると様々な出来事にあい、喜んだり悲しんだりいろいろなのですが、
        そういう表層の部分でなく、真の底の深い部分では肉体・物質でも精神でもない、感情でも理性でさえもない
        ただのエネルギー、「気」の流れがあるだけなのかもしれない。

        そこに近づく叡智に至る一つの素晴らしい方法が「気功」という修行なのだと思いました。

        気功の指導をされている方の中には、普通に生活しながら気功をなさっている方も多いですし
        それは悪いことでも何でもありません。気功自体には関係ないと思います。

        ただ中先生は他人に無理強いはしませんが、とても禁欲的な生活をされてきた方です。
        菜食、粗食、禁酒。近年は甘いものも好まれないようです。
        この背景には、中先生の生まれ育った和歌山の高野山の修行僧たちの影響が強いと思います。
        そして古き良き中国の気功・太極拳も禁欲的な生活をしながら、修行することを教えています。
        又長じて先生が世界中の聖地をめぐり、多くの聖人と交流した結果同様の影響を受けたのだと思います。

        ※ちなみに中先生は何か特定の宗教だけを支持したり、入ったりすることはないですが、
        宗教学者と言ってもいい位、世界中の聖地をめぐり聖人達と交流し、
        世界のいろいろな宗教学を学び、そこから良い影響を受けています。

        本来「気功」は原初の頃の仏教思想が多分に入っているものだそうで、
        生まれ故郷の高野山の修行僧の姿と合いあまって、中先生のバックボーンとなっているとは思います。
        特に高野山だけで学んだ訳ではありませんが、先生が27才頃ちょうど空海の入定後1150年という
        大きな時期にあたり、関連の荒行をされたこともあるようです。

        私は凡人なので、中先生のようなストイックな生活をすることはなかなか出来ないでいます。
        ただ私なりに考えたことがあり、それで中先生のような生活を素晴らしいと思えます。
        理由は幾つかあります。

        まず環境問題、健康問題。これらに上記のことは良いことだとと思います。
        又ほとんどの宗教の宗教家や多くのアーティスト達がこういう生活を好む理由である
        「穏やかな精神状態を維持しやすくなる」、心の浄化のためにも、プラスすると思います。

        さて気功においてもなぜこういう生活を修業の中で守らねばならないのでしょうか?
        聞いてみたことがないので、答えは分かりませんが何となく想像したことがあります。

        「気」のエネルギーは無駄を削ぎ落として、初めて表面に現れてくるものだと思います。
        お酒のエネルギー、高カロリーの高価な食物等こういうものは、すべて人間がエネルギーを得る
        素晴らしいものだと思います。(「力」(リキ)をつける、と言うではないですか)

        しかしそれらは体にいいことばかりでないし、多分修業の過程の中では
        いずれ「まがいもの」扱いになっていく低いエネルギーなのでしょうか?。
        表層のものを削ぎ落としたとき、はじめて出てくる純度の高いエネルギーを「気」と呼んでいるのだと
        思います。

        ★しかしながら体も脆弱で、一般社会生活を送る、しかも修業の足りない不心得者の
        私はストレス解消にお酒を飲んだり、肉(元々若い頃に比べたら量は少ないです)や
        お菓子を沢山食べてしまいます。

        ※ただ玄米は普通に作ると、白米より農薬が米に残っているらしいのと、
        肉より健康にいいはずの魚は水質汚染のために地域によっては毒性が高いそうです。
        アメリカではすでに「妊婦は食べてはいけない魚のリスト」が国から配られているそうです。
        まず健康には環境を改善していかないとダメなようです。
        でもここ20年位かけて市民運動が広がってきて、部分的には改善されてきていますよね。
        (逆に地球的には悪化している部分も多いですが)

        一時疲れがとれて、エネルギーが出たりストレス解消されたりするので、
        多分今の私に必要なのだとは思いますが、

        中国の至宝、気功が教える本当のエネルギーはそういうものと対極にあるのだと少しづつ
        理解できるようになっただけでも合宿に参加して良かったと思っています。

        気のエネルギー、気功は偉大で素晴らしいものです。
        ただ本当にそれが身につけるは、やはり厳しい修業が必要なようです。

        私は今の所なかなか及びもつかない、情けない状態ですが、
        自分で出来る範囲、日常生活の中でささやかに気功・太極拳を楽しみたいと思っています。

        自分の潜在能力をオープンにするための、かけがえのない時間だから。

        結晶中健次郎先生スケジュール

        千葉の合宿のこと

        中先生の合宿は全国各地で開催され、中先生にご指導頂くことには変わりないのですが
        開催地・主催者によってカラーが多少違うようです。いずれも素晴らしい、個性のある素晴らしい合宿。

        その中で私の好きな千葉はどちらかというと、地味な合宿かもしれません。
        他のフィールドのアーティストの方等と中先生達とのジョイントがあったりする他の開催地と違い、
        千葉は気功一本です。(ジョイントのある所も又別の意味でとても素晴らしく、
        多くの感動と学び・影響をを参加者の方々は得られます)
        地元の「気功道友会」主催で、ただひたすら気功を真摯に学ぼうとういう雰囲気。

        長年気功をされていた参加者も多いです。でも初心者でも十分参加できる内容ですのでご安心。
        千葉のすごい所は、バックにズラりと控える道友会の気功の教師陣ではないでしょうか。
        教室を開かれているか、実質上の教師レベルに近い方々が後列で沢山守りを固めておられるのですね。
        自分達も中先生のご指導を受けたいはずのなのに、それをガマンして初心者達に
        奉仕活動をしてくださるのです。

        私たち初心者は、中央前のステージで、中先生が長い修業の中で磨き上げた素晴らしい体のフォーム、
        ポジションをお手本に頂きながら、自分の細部の動きの間違いを、
        バックの教師陣の方々に個別にさりげなく訂正、指導して頂けることがあるのですね。(うるうる)

        と言う訳で私は千葉の合宿が大好きです。(でも未熟者の私は先生方にいつも迷惑をかけて恐縮です)

        ★道友会の教師陣の方々は誰一人とっても個性豊かで、素晴らしい教師ばかりです。
        一人一人書いたら、とても長くなると思います。
        ここでは主催代表窓口を務めて下さっている猪野多佳先生のことを少し書かせてください。
        猪野先生はご自身で気功教室を開かれている、ベテランの名教師です。

        4年以上前に千葉に参加したとき猪野先生に初めてお会いしました。
        その時一番印象に残ったのが、
        「私、気功に出会ってから幸せで、幸せで」と、光り輝く表情で微笑まれたことでした。

        わたしよりずっと年上の女性、人生経験もある素晴らしい教師の方に失礼なのですが
        本当に無垢な少女のような、幸せな表情にとても感動したのを覚えています。

        猪野先生の心が皆にも映るかのように、千葉の中先生合宿に参加した人たちは
        みな何かしら頂きものをして、心身ともに軽くのびのび幸せな気持ちになって帰路につきます。

        ああ、こうやってみんな合宿追っかけになってしまうのですよね。(はは)

        ★追記 2005年9月 登別

        老若男女を問わず、中健次郎先生には全国の合宿をはしごしてあるく
        「追っかけ」が沢山います。

        「気功は寝て治療を受けるものではなく、
        本来どんな下手でもいいから、毎日少しづつ自分でするものだ」
        という厳しい指導をものともせず、沢山の参加者に中先生はいつも
        囲まれていますね。

        中先生は既婚者で、奥様がおられます。
        多分、中先生に連いていける女性はこの人だけじゃないかなぁ?と思った
        ことがあります。

        で、今回ついに来道、見てしまいましたね!!(あ、ミーハー)

        これが、細い、雪のように色白の佳人!!
        本当に女優の小雪さんを、中国美人にして普段使いにしたような!!!
        三十台半ばのはずなのですが、22才位にしか見えないのです。
        お人柄も、気持ちの良い、優しい、イキイキした方であります。
        中先生の助手をされるときも、指導が親切で的確です!!

        気功の先生は、すごく年下の奥様をもらっている方が
        多いらしいですね。
        昔の中国人が、すごく年下の女性と結婚することが
        多かった影響なのでしょうか?
        それともエイジレスの魔法というカンジの「気功」ならではの
        象徴なのか?
        中先生ご夫妻も年の差が十五歳!!
        でも中先生だったら、その位若い奥様でぴったり合うのかもしれないですね。

        中先生程、修業ひと筋で、求道的な方で、生真面目な方だと、
        十五歳位年下の元気な女性が「息抜き」で、エネルギー源にも、
        なるのかもしれないですね。

        包容力のある中先生は、奥様にパートナーとして
        自由にのびのびいろいろな活動を共に出きるように、
        励ましてこられたようです。
        奈良女子大生の頃知り合われたらしいのですが、卒業して中国に
        渡った後も、共に人民大学、中医薬大学で学んでこられたそう。

        「益々美しくなり、惚れなおしています」といつも、
        合宿で暢子さんのことをのろけている中先生ですが、

        暢子さんのお話を聞くと、奥様を「ほったらかしで、いなくなる」時期もけっこうあったようです。

        奥様を中国に置いて、冒険や修行の旅に世界に出て行って
        戻って来ない!

        それで中国人の兄弟子たちが暢子さんに
        「妻をほったらかしにするなんて、健次郎はとんでもない奴だ!!
        ぶっ飛ばしてやれ!!」と
        けしかけ、何と暢子さんに武道を伝授してくれたそう。

        そして一年半ぶり位に中国に戻った健次郎先生を、
        「お出迎え」に暢子さんが気でぶっ飛ばした話には、
        お二人ならではの、ハードな「ラブ」をカンジました。(わはは)


        合宿、もの覚えの悪い私に細かい所を
        さり気なく教えてくださる暢子さん、
        私より年下ながら、なぜか自然に私は彼女を「暢子先生」と
        呼んでしまいました。

        暢子さんは、カンロクないし(失礼)、か細く、いたい気で控え目で、かわいらしいのですが、
        気さくな方ながら、実は大の男はぶっ飛ばすし、
        競争の激しい中国の最高の学校で
        健次郎先生とがんばって学んでこられた方です。

        講習のステージの上で、模範のお手本を示される健次郎先生と、
        助手として、間に個人的な指導をして回られる暢子さんのお陰で、
        いつもよりなお、良い勉強が出来た合宿となりました。

        やはり舞台の中先生に、目で見える模範を示して頂くだけでなく、
        自分の細かい間違いを、正して下さる方がいると
        やはり上達が違います。
        暢子先生にも、今回随分お世話になりました。

        そんな素晴らしい暢子さんに比べて、自分があんまり
        運動神経も鈍く、もの覚えも悪いので情けなくなり
        それを口に出すと、
        暢子さんでも「芽が出ない時期が7〜8年位あった」と
        お話してくれました。

        芽が出ると、面白くなって師匠の家の側に引っ越して
        がんばったそうですが、それまでは全然だったそうです。
        (う、少し希望が!!
        私でも7〜80年(ゼロ一つ多目)あれば芽が出るかも)

        健次郎先生も言っていましたが、
        体はすぐには変わらないそうです。
        それでいて、毎日続けることでいつの間にか
        少しづつ変化していくそうです。

        やはり何の道も同じで
        「ローマは一日にしてならず」なのですね。
        でも逆に、努力を続けられれば
        いつか変化が起きるということなのですね。


        お二人の太極拳

        私たちに模範としての、気の流れのままに動く、
        観せる為の太極拳を
        中先生はして下さいました。舞台の上で。
        その時、暢子さんもご一緒に。

        気功は教わると、よくテキストに出てくるのは
        「女子は右で、男子は左側から」というのがあります。

        男女は生物学的に逆方向なのか?と
        不思議に思っていた箇所でした。

        でもこれを観て、何だか分かった気がします。
        中先生と、暢子さんの同じ動きが、左右対称になって
        とても美しいのです。
        男女が一緒に動くとき、これがぴったりくるように
        なっているのですね。
        やはり「つがい」が人間は自然なのか?
        それとも「つがい」は不自然なのか?
        今の私には分かりませんが、気功等はつがいが
        基本なのかなぁ?と思ってしまいました。

        暢子さんはあの年で、素晴らしいのですが
        やはり中先生の完成度のとても高い動きの、
        抑えても現れる迫力はまだです。

        が、よくこんな人(中健次郎先生)について来れるなぁ、
        と驚く程素晴らしかったです。

        暢子さんの素晴らしさ、そしてだからこそ良く分かる
        健次郎先生の怖さが良く分かりました。

        鍛え上げた体の正しいポジション、動きが
        あれほどの美しい太極拳を可能にするのだと思います。
        そのほかにも生活の全て、精神の鍛錬、そういうものが
        すべて統合されて、完成されていく程に美しい動きが
        現れるのだと思いました。

        日進月歩で伸びていく、素晴らしい暢子さんと、
        神界へ踏み込んでいくような、健次郎先生、

        これからもお二人のご活動が、とても楽しみです!!

        後日追記 2007年2月



        これは、私の個人的な合宿の感想の追記です。



        中健次郎先生ご夫妻は、またインド方面に

        おられるようです。



        今まで、中先生の合宿に出て、一つ感じることがあります。



        帰国人子女問題ではないですが、

        中健次郎先生は、中国生活がとても長いため、日本の国民的な感覚と

        少しずれを感じる所があるような気がします。



        中国に住み、いろいろな中国人のお師匠様に弟子入りし、厳しい修業生活を

        ずーっと送ってきた中先生は「舅・姑根性」という、私怨的なこととは全然

        別の意味で、部分的にすごく「キビシイ、キツイ」部分があるように思います。



        ふだんは、飾り気ないながら、誰に対しても柔和で、人当たりが良い先生です。



        でも、合宿の中で本気で真剣に気功を学んでいる、本気の人に対してだけは、

        特に男の人には、いつもでないですが、たまに、女性の私から見ると、

        「ぎょっ」とする程、キビシイく思えることがあります。



        でも先生ご本人は、大して「コワい」つもりはなく、

        ふつうの表情ですので、多分先生ご自身が、中国で

        かなりの目に合って、それに耐えてきたのだと思いました。



        ......あ、別に優しくして欲しい人(軟弱でチャラチャラした私とか)、

        コワがらなくも大丈夫です。

        中先生は、ちゃんと区別して下さっていて、合宿で個人的に先生とお話し、

        気功等に対して、本気のやる気を何度も見せないと、こういう扱いは

        されないですから。



        中先生の口から、中国の悪口を聞いたことは、一回もないです。

        中国の師匠を、いつも立てて、本当に敬っておられます。



        中先生ご自身も中国の神秘と力に魅せられ、長い間住んで学び続けて

        おりました。



        でも、日本人が行って、口にできない苦労は多分、沢山あったと思います。



        また、中国と日本は国民性が違うようです。

        日本は「恥の文化」と言われる側面もあるように、

        人前でのことは、思いやったり、柔らかかったりする部分も

        あるのですが、



        中国は、日本から行ったビジネスマンが、自分のHPに、

        中国は、日本からみると残酷に思える国民性があると書いてありました。



        私は、このビジネスマンがどんな人か全然分からないですが、

        偶然うちののアドレスに来たDMによって、そのHPを知りました。

        (この内容の実情は、私には全然分からないし)



        小池さんからの手紙の102回目のところで、ミクシイの話の後半に

        出てきます。

        http://www.e-tomsouya.com/tomsouya_column_top.html



        中先生は中国人の師匠たちの素晴らしい話をいつも聞かせてくれていますし、

        これはビジネス界のごく一部の話かもしれないです。



        (日本でも中国でも、どこの国でも、いい人もいれば、そうでない人もいますので

        ひとくくりにはできないですし)



        ただ、こいう国民性の差がある場所で、中先生ご夫妻が長年修業してこられた

        ことが、



        日本に帰ってきたばかりの、中先生にまだ少し残っているかもしれないなぁ、と

        思うことがあったりします。



        ちなみに、中先生に部分的にキビシイい指導を受けた男の人は、私が知っている限り

        二人ですが、彼らは何だかあまり気にしていないようで、その後も先生の合宿に関わって

        おられますので、女から見る程は、大したことでないのかも。(はは)



        中先生が、はたから見てると損だなぁ、と思うことがもう一つあります。

        それは、中先生は北京大学や中医薬大学に留学し、又気功や太極拳の師匠達の

        門下に入り、また世界の聖地を巡り、奇跡の聖人たちに沢山会い、

        修業を続けてきた人です。



        そのため、徒弟制度のきつさが、骨の髄まで染み込んでいるカンジ。

        常に謙虚な態度で、何か人と話すときも、自分の意見を言うというより、

        中国や、日本で学んだ師匠等を立てて、「先生の教えによると」というような

        話し方しかしない場合が多いです。



        学術論文のほとんどには、必ず引用マークがついていますが、

        あれと似ている気が少し。



        (あれって、引用がずーっと続き、結論のオリジナルは論文の最後に

        ついてる場合が、多いですね)



        ただ、本来中先生は、その人生が示すように、すごくユニークで、めったにない

        個性の持ち主だと思います。



        (大体、そもそも日本でも市井の教室の気功の先生たちからして、

        みなさん、地味ながら本当に個性豊かな人ばかりだもの)



        先生は「道を求め」ご自身でこれと決めたことを、ひたすら進んで来ました。

        本当は、個人的に本当にご自身の自説、ご自身の意見がものすごく沢山あると

        思います。



        ただ、徒弟制度の下で生きてきたので、あまりそれを外に出さないくせが

        ついていると思います。



        だから、あまり先生を知らない方には、「自分の意見がない人」と誤解されがち

        ですが、それは又別の問題だと思います。



        (体育会系の人には、こういう余計な説明いらないと思います)



        私も個人的に中先生とお付き合いがある訳でないですし、

        合宿の追っかけ、というだけですが、

        それでも中先生の合宿の終わったあとの、心地よさは何にも変えがたい

        素晴らしいものです。



        帰国されたからまだ、あまり時間が経っていませんが、

        いろいろなご計画もあるようですし、これからが楽しみです。

        2007年10月13日 後日情報

        中健次郎先生は、2007年11月中旬発売予定の、
        雑誌「壮快」一月号(マキノ出版)に、一年間の予定で、
        連載が決まっております。

        マキノ出版大好きな私は、すご〜く喜んでおります!!

        (C)
        (C)

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