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中健次郎
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    全エリア編 中健次郎 (気功家)

    特定エリア編 熊谷透 (気功家)

    全エリア編 高橋勝治 (カイロプラテック)



    森の休日社 特集記事

    癒し 全エリア編

    中健次郎(気功家)

    中健次郎先生は若い頃に中国に渡り、それからずっと中国をベースに世界中を放浪しています。
    気功、太極拳を中国の大家に師事してずーっと修業を続けてきただけでなく、
    北京大学、北京中医学大学で中国伝統医学を学んでいます。
    また冒険家としても知られ、人のあまり行かない南の島々や奥地も歩き武勇伝も多々。
    又仏教、キリスト教等の世界中の聖地を訪れ、聖人と言われる人々とも沢山の交流がありました。

    先生がよく使われる「道を求める」という言葉がありますが、
    多方面にわたってこのようにひたすらに修業を続けてきた先生の人生は、その通りだと思います。

    先生は宗教家・宗教学者ではありませんが、出身地の和歌山県は高野山のある所。
    先生はもしかして子供のころから修行僧たちの空気、生き方に無意識に影響を受けてこられたのでしょうか。
    先生の生活もそれに似た部分があるように思います。

    そもそも本来気功というもの自体の根底にも、仏教思想が流れています。

    日本にはいつも数年位に一度位づつ戻り、「日本の旅」という名で日本縦断合宿ツアーを行います。
    (日本のお弟子さんたちは、早く先生が危険な探検・修業を止めて日本に帰国することを
    望んでいるのですが・・・・)

    その合宿には、日本中のファンの方達や気功教室の教師の方達、医療健康関係者
    またアート系の人たち等が沢山集まります。
    日本では気功教室の先生達の指導をする感じです。
    又老若男女の合宿ツアーの「追っかけ」が多いです。
    実は、私もその一人です。
    気功の世界では、先生を知らない人はもぐりだと思います。(はは)

    中健次郎先生の多方面に渡る素晴らしさはここでは、書き切れない気がします。
    だから私が支笏湖の合宿で見せて頂いた気功の模範演技(?)、
    「拝仏功」のことだけを書きます。妙なことですがあれだけでも私には十分でした。

    昔から先生のお弟子さんだった人が言うには、
    普段は入静しないで、お弟子さんのお手本になるためだけにするのですが、
    まれにこの時のように入静して行うことがあるそうです。
    それはもう、筆舌に尽くしがたいものでした。
    このためのとても素晴らしい音楽があるのですが、私が見たときたまたまカセットがなくて
    無音で行われました。

    初対面の時の平着の先生の外見は失礼ながら、
    とても感じが良い、普通の男の人に見えました。
    (「普通の人」でない人なんていないし、逆に「普通の人」なんて、いませんが)

    しかし後であのマオカラ−(襟)の紺の気功の衣を着て、師匠となった先生は
    本当に最高の教師だと思った。
    気功をほとんど知らなかった私は生まれて初めて見る、先生の美しい動きに見とれていました。

    私は、あれほど美しい動きをする男の人を見たことがありません。
    ため息が出て、自分が教わった動きをするよりも、先生を見ることに、
    心がいってしまいそうになる。(はは、ごめんなさい。やましい心はありません)

    古くからある気功・太極拳の沢山の流れのなかには、
    この「美しい動き」を追求することを否定する意見も、一部にはあるらしいです。
    舞踊等の芸術とはまた違うので、それを追求し始めると本質を見失うと。
    これは舞踊や能楽等の芸術系の美とは、また種類を異にすることなので。

    つまり芸術は何かを表現するためにありますが、
    気功や太極拳は健康維持や治療のためにあります。
    私も確かにそう思いますし、実際中先生もめったにこのようなことをしてくれることは
    ないようです。
    しかしこの中先生の動きの美しさに関しては、「本質を見失うことではない」と私は確信しています。
    別に「美しく動こうとしている」のではなく、高い精神性を求め、厳しい身体の修練を積んだ結果に
    現れた「美しさ」であるからです。
    それは正しい身体の位置、動き、精神性がもたらした「副産物」。

    あのやさし気で流れるような動きは、一見誰でも簡単に出来ることのようですが、
    昔、中先生が中国で師匠に最初に弟子入りした時には、「ただ立つ」というその「立ち方の姿勢」だけでも
    及第できなくて、何ヶ月もただ立ち続けさせられたそうです。
    それ程本来の気功の「正しい体のポジション、姿勢」は難しいもののようです。

    また武道としても、気功・太極拳は強い力を持っています。
    一般に筋力を鍛える荒々しい武道は、剛拳と言われ相手に骨折等の外傷的ダメージを与えます。

    しかし一見軟弱にさえ見える柔拳と言われる「気」を使う気功・太極拳は
    筋力でなく気の力で相手の内臓にダメージを与えます。
    つまり破壊力は柔拳の方があるのですね。

    たまにテレビ番組でやっている気功で「触らないで離れている相手を吹っ飛ばす」術は、
    双方がある程度訓練を積んで気の通りが良い同士でないと、うまくいかないそうですが、
    気の通りが悪い相手とであっても、もし指一本でも触れ合うと、
    時には宙を舞うというか、ぶっ飛ばされるハメになるようです。

    (もちろんすべての武道の大家がそうであるように、その力を身につける修練の過程で
    高い精神性を身につけ、力の悪用は決してしないように教えを受けていきます。
    堕落しないように。堕落した人は精神性が欠けるため、最高の武道家にはなれないようです。)

    「美」というには、あまりに神々しかった先生の練功の時の模範。
    「拝仏功」をただ黙ってみていると、かすかな天上の光というものが存在するようにさえ思えました(はは)。

    あの動きは結局、心と体を修練しつづけ、いろいろな学問を修め、
    世界を旅して歩き、また神を求めた、先生が得た境地なのだと、思った。

    きっとあの動きの常ならぬ美しさ神々しさによって、だらけた生活をしている私のような人達が
    まずこの「気功」という素晴らしいことの存在、また気功に限らず心身の鍛錬又は高い精神性の追求
    そういうことがもたらし、導いてくれる素晴らしい世界の存在に気づくことが出来るのだと思う。

    そのためだけでも、時々先生に入静してああいうデモンストレーションを
    行ってほしいと願って止みません。
    さてあの支笏湖の時のことに戻ります。「拝仏功」。

    気功の所作を始めると、先生のいる空間がまるで澄んできたかのよう。
    薄白色の光が、かすかに差してきたかのよう。穏やかで、端正な表情。

    沈黙の中、体を動かす気配だけがして音楽のよう。
    無音だっためにかえってあの静かな、動きが移る時の気配が消されずによく分ったのです。
    あの気配の動きが、何より美しかった。
    沈黙が何よりも美しいことがある、と初めて思った。

    (ただ、それだと会場がある程度小さいライブハウス位の大きさのところでないと、
    伝わらないかもしれませんね。実験しないと、わからないですが)

    美は素晴らしいものあり、大いなる癒しともなりますが
    時に裏目に出ると優越であり威圧にもなることがあります。
    気功を教わる練功の場面において、先生は多分教師としてあまり私達が緊張するようなことは、
    極力避けておられるような気がします。
    だから、舞台の上で見せる為だけの気功をする時とは、また普段の練功は違うのだと思いました。

    先生の気功を見て、「本当の美とは、精神性に裏打ちされるものだ」ということを、
    教えられました。
    先生が「道を求める」とおっしゃいましたが。本当に道を求め続けた先生の人生が、
    あの動きに出るのだと、思いました。
    先生にお会いしてから、気功は自らの体の動きと、
    自然、宇宙が一体になって、光が現れるものだと、言葉でなく目の当たりにすることで教えられました。

    しかしこのデモンストレーションが素晴らしかったからといって、
    中先生を美化しても仕方ないと思います。あくまで中先生も人間だから。
    たしかに気功は素晴らしいものですが、普段の先生は見た目も普通の感じですし、
    穏やかで気さくな感覚のある方です。
    若い頃から修行ひと筋で、海外の特殊な環境で生活され続けられましたので、
    世間のことには情報的には疎く思えたり、感覚的に多少しズレて感じることも。

    しかし真理は道が違っても合い通うずるというのでしょうか、
    先生のお話って、どちらかというと超越的なことが多く現実離れしているようで
    実は、現実が次の日から、変化してしまうような含蓄のあるものが多いようです。
    先生のお話しは教えや極意は「世間の最前線の一つである」様々な企業等のセミナーでも
    引っ張りダコですし、普遍的な本質を私達に教えてくれるのでした。

    話変わりますが、先生は時々恐ろしいことをするのです。
    本当は私達は絶対に止めてほしくて二度としてほしくないことではあるのですが


    ノルウェーの600mの断崖のふち、吹きっさらしで通常地元の人が腰に紐をつけて
    這ってでないと近づけない場所があります。
    先生はそのふちで腰に紐もつけず、立って気功を行い
    三脚にしばりつけた自動シャッターのカメラで、自らの写真を撮りました。

    (余計なお世話ですが、どうかあの崖のような危ないところでは、
    できればもうなさらないで、欲しいです。一生のうち一回だけあのスライドさえ撮れば、
    あとは必要ないですよね)

    あれはトンデモナイ危険な行いだと思います。
    ただその意味は曲芸をしてみせたのではなく、
    先生は、長い年月かけて修行してきたことの一つの区切りをつけたのかもしれない。
    長い自分自身の心身のトレ−ニングをひと通り終えた後、あとは天と神に運を任せて、
    あのノルウェ−の崖で何のわずらいもなく、動けたのだと思いました。

    人は自分のぎりぎりまで努力し続けた後、
    その先にきっと天の、宇宙の、神の恩寵が現れるのでしょうか。(よくぞご無事で)

    これもまたあまり美化してはいけないと思います。
    先生はこのスライド上映のあと、あっさり笑って言いました。
    「このあとトルコのカッパギアでもう一度やった時は、断崖から転げ落ちて片足骨折しました。
    ノルウェーと違って不摂生な生活をして、不心得だったせいです」と。(いや〜)

    絶対に私達は真似をしてはいけないし、出来れば先生にも二度としないでほしいものです。

    先生もそろそろ落ち着いて、日本に帰国されて日本をベースに活動なさってほしいと願って止みません。
    (勝手な望みでスミマセン)


    ジョギング中健次郎先生ファン公式サイト


    晴れ中先生 合宿写真です。

    ★後日追記(2004.10月)

    中健次郎ご夫妻は長年の中国滞在を終え、ついにこの秋日本にご帰国されました。
    三重県の熊野に居を構え、しばらくの準備期間を終えたら活動開始されると思います。
    (しかし、第二の故郷中国への里心や、世界放浪癖の再発が私達の間で懸念されています)
    中先生ならではの、ご活動を心から楽しみにしている全国のファンが沢山いるようです。

    所用もあって内地へ行き千葉の合宿へも顔出し致しました。今回は又いつもとガラっと違う、
    中国でもめったに学べない気功を教わることが出来ました。
    あとはこれからの日々毎日継続して精進を続けていれば、新しい素晴らしい自分に生まれ変われそうです。

    (・・・・・一ヶ月弱経ったここ数日間、情けないですがもはや怠けています。
    「新しい自分に生まれ変わる」のはいつなの?又明日からがんばらなきゃ。)

    前述は北海道での「拝仏功」の模範気功。今回は太極拳で気の動きを見せて頂きました。
    私たち参加者は、又ため息が出るような素晴らしい舞台を見ることが出来て、とても幸福でした。

    「拝仏功」のように型がきっちり決まっていて、それを精進して磨き上げていくものもありますが、
    今回のは型がなくて「気の動きにつれて先生の動作が起こる」という不定型の自由なものでした。
    「拝仏功」同様今回は音楽なし。

    舞台としては「拝仏功」のように長年磨き上げた形(クラシック)のものは迫力がありますが、
    今回のように先生の気の動きにつれて動作が起こる即興の、果てることのない美しい流れの奔流を
    目の当たりにすると又別の感慨があります。

    先生は気功・太極拳は舞踏ではない、という思いがあられるのか照れておられたのが残念でした。
    私たちが無理にせがんで見せて頂くので、中先生ってば、照れている時の方が多いんですよね。
    (舞台アーティストはまず照れると大なしなのですが、気功・太極拳は別の教えの元に行われるものなので
    私のワガママな小さな不満は慎まないとダメですね)

    本来目に見えない透明な、尽きることのない「気の動き」が多分生きることなんだと思いました。
    私たちは生きていると様々な出来事にあい、喜んだり悲しんだりいろいろなのですが、
    そういう表層の部分でなく、真の底の深い部分では肉体・物質でも精神でもない、感情でも理性でさえもない
    ただのエネルギー、「気」の流れがあるだけなのかもしれない。

    そこに近づく叡智に至る一つの素晴らしい方法が「気功」という修行なのだと思いました。

    気功の指導をされている方の中には、普通に生活しながら気功をなさっている方も多いですし
    それは悪いことでも何でもありません。気功自体には関係ないと思います。

    ただ中先生は他人に無理強いはしませんが、とても禁欲的な生活をされてきた方です。
    菜食、粗食、禁酒。近年は甘いものも好まれないようです。
    この背景には、中先生の生まれ育った和歌山の高野山の修行僧たちの影響が強いと思います。
    そして古き良き中国の気功・太極拳も禁欲的な生活をしながら、修行することを教えています。
    又長じて先生が世界中の聖地をめぐり、多くの聖人と交流した結果同様の影響を受けたのだと思います。

    ※ちなみに中先生は何か特定の宗教だけを支持したり、入ったりすることはないですが、
    宗教学者と言ってもいい位、世界中の聖地をめぐり聖人達と交流し、
    世界のいろいろな宗教学を学び、そこから良い影響を受けています。

    本来「気功」は原初の頃の仏教思想が多分に入っているものだそうで、
    生まれ故郷の高野山の修行僧の姿と合いあまって、中先生のバックボーンとなっているとは思います。
    特に高野山だけで学んだ訳ではありませんが、先生が27才頃ちょうど空海の入定後1150年という
    大きな時期にあたり、関連の荒行をされたこともあるようです。

    私は凡人なので、中先生のようなストイックな生活をすることはなかなか出来ないでいます。
    ただ私なりに考えたことがあり、それで中先生のような生活を素晴らしいと思えます。
    理由は幾つかあります。

    まず環境問題、健康問題。これらに上記のことは良いことだとと思います。
    又ほとんどの宗教の宗教家や多くのアーティスト達がこういう生活を好む理由である
    「穏やかな精神状態を維持しやすくなる」、心の浄化のためにも、プラスすると思います。

    さて気功においてもなぜこういう生活を修業の中で守らねばならないのでしょうか?
    聞いてみたことがないので、答えは分かりませんが何となく想像したことがあります。

    「気」のエネルギーは無駄を削ぎ落として、初めて表面に現れてくるものだと思います。
    お酒のエネルギー、高カロリーの高価な食物等こういうものは、すべて人間がエネルギーを得る
    素晴らしいものだと思います。(「力」(リキ)をつける、と言うではないですか)

    しかしそれらは体にいいことばかりでないし、多分修業の過程の中では
    いずれ「まがいもの」扱いになっていく低いエネルギーなのでしょうか?。
    表層のものを削ぎ落としたとき、はじめて出てくる純度の高いエネルギーを「気」と呼んでいるのだと
    思います。

    ★しかしながら体も脆弱で、一般社会生活を送る、しかも修業の足りない不心得者の
    私はストレス解消にお酒を飲んだり、肉(元々若い頃に比べたら量は少ないです)や
    お菓子を沢山食べてしまいます。

    ※ただ玄米は普通に作ると、白米より農薬が米に残っているらしいのと、
    肉より健康にいいはずの魚は水質汚染のために地域によっては毒性が高いそうです。
    アメリカではすでに「妊婦は食べてはいけない魚のリスト」が国から配られているそうです。
    まず健康には環境を改善していかないとダメなようです。
    でもここ20年位かけて市民運動が広がってきて、部分的には改善されてきていますよね。
    (逆に地球的には悪化している部分も多いですが)

    一時疲れがとれて、エネルギーが出たりストレス解消されたりするので、
    多分今の私に必要なのだとは思いますが、

    中国の至宝、気功が教える本当のエネルギーはそういうものと対極にあるのだと少しづつ
    理解できるようになっただけでも合宿に参加して良かったと思っています。

    気のエネルギー、気功は偉大で素晴らしいものです。
    ただ本当にそれが身につけるは、やはり厳しい修業が必要なようです。

    私は今の所なかなか及びもつかない、情けない状態ですが、
    自分で出来る範囲、日常生活の中でささやかに気功・太極拳を楽しみたいと思っています。

    自分の潜在能力をオープンにするための、かけがえのない時間だから。

    結晶中健次郎先生スケジュール

    千葉の合宿のこと

    中先生の合宿は全国各地で開催され、中先生にご指導頂くことには変わりないのですが
    開催地・主催者によってカラーが多少違うようです。いずれも素晴らしい、個性のある素晴らしい合宿。

    その中で私の好きな千葉はどちらかというと、地味な合宿かもしれません。
    他のフィールドのアーティストの方等と中先生達とのジョイントがあったりする他の開催地と違い、
    千葉は気功一本です。(ジョイントのある所も又別の意味でとても素晴らしく、
    多くの感動と学び・影響をを参加者の方々は得られます)
    地元の「気功道友会」主催で、ただひたすら気功を真摯に学ぼうとういう雰囲気。

    長年気功をされていた参加者も多いです。でも初心者でも十分参加できる内容ですのでご安心。
    千葉のすごい所は、バックにズラりと控える道友会の気功の教師陣ではないでしょうか。
    教室を開かれているか、実質上の教師レベルに近い方々が後列で沢山守りを固めておられるのですね。
    自分達も中先生のご指導を受けたいはずのなのに、それをガマンして初心者達に
    奉仕活動をしてくださるのです。

    私たち初心者は、中央前のステージで、中先生が長い修業の中で磨き上げた素晴らしい体のフォーム、
    ポジションをお手本に頂きながら、自分の細部の動きの間違いを、
    バックの教師陣の方々に個別にさりげなく訂正、指導して頂けることがあるのですね。(うるうる)

    と言う訳で私は千葉の合宿が大好きです。(でも未熟者の私は先生方にいつも迷惑をかけて恐縮です)

    ★道友会の教師陣の方々は誰一人とっても個性豊かで、素晴らしい教師ばかりです。
    一人一人書いたら、とても長くなると思います。
    ここでは主催代表窓口を務めて下さっている猪野多佳先生のことを少し書かせてください。
    猪野先生はご自身で気功教室を開かれている、ベテランの名教師です。

    4年以上前に千葉に参加したとき猪野先生に初めてお会いしました。
    その時一番印象に残ったのが、
    「私、気功に出会ってから幸せで、幸せで」と、光り輝く表情で微笑まれたことでした。

    わたしよりずっと年上の女性、人生経験もある素晴らしい教師の方に失礼なのですが
    本当に無垢な少女のような、幸せな表情にとても感動したのを覚えています。

    猪野先生の心が皆にも映るかのように、千葉の中先生合宿に参加した人たちは
    みな何かしら頂きものをして、心身ともに軽くのびのび幸せな気持ちになって帰路につきます。

    ああ、こうやってみんな合宿追っかけになってしまうのですよね。(はは)

    ★追記 2005年9月 登別

    老若男女を問わず、中健次郎先生には全国の合宿をはしごしてあるく
    「追っかけ」が沢山います。

    「気功は寝て治療を受けるものではなく、
    本来どんな下手でもいいから、毎日少しづつ自分でするものだ」
    という厳しい指導をものともせず、沢山の参加者に中先生はいつも
    囲まれていますね。

    中先生は既婚者で、奥様がおられます。
    多分、中先生に連いていける女性はこの人だけじゃないかなぁ?と思った
    ことがあります。

    で、今回ついに来道、見てしまいましたね!!(あ、ミーハー)

    これが、細い、雪のように色白の佳人!!
    本当に女優の小雪さんを、中国美人にして普段使いにしたような!!!
    三十台半ばのはずなのですが、22才位にしか見えないのです。
    お人柄も、気持ちの良い、優しい、イキイキした方であります。
    中先生の助手をされるときも、指導が親切で的確です!!

    気功の先生は、すごく年下の奥様をもらっている方が
    多いらしいですね。
    昔の中国人が、すごく年下の女性と結婚することが
    多かった影響なのでしょうか?
    それともエイジレスの魔法というカンジの「気功」ならではの
    象徴なのか?
    中先生ご夫妻も年の差が十五歳!!
    でも中先生だったら、その位若い奥様でぴったり合うのかもしれないですね。

    中先生程、修業ひと筋で、求道的な方で、生真面目な方だと、
    十五歳位年下の元気な女性が「息抜き」で、エネルギー源にも、
    なるのかもしれないですね。

    包容力のある中先生は、奥様にパートナーとして
    自由にのびのびいろいろな活動を共に出きるように、
    励ましてこられたようです。
    奈良女子大生の頃知り合われたらしいのですが、卒業して中国に
    渡った後も、共に人民大学、中医薬大学で学んでこられたそう。

    「益々美しくなり、惚れなおしています」といつも、
    合宿で暢子さんのことをのろけている中先生ですが、

    暢子さんのお話を聞くと、奥様を「ほったらかしで、いなくなる」時期もけっこうあったようです。

    奥様を中国に置いて、冒険や修行の旅に世界に出て行って
    戻って来ない!

    それで中国人の兄弟子たちが暢子さんに
    「妻をほったらかしにするなんて、健次郎はとんでもない奴だ!!
    ぶっ飛ばしてやれ!!」と
    けしかけ、何と暢子さんに武道を伝授してくれたそう。

    そして一年半ぶり位に中国に戻った健次郎先生を、
    「お出迎え」に暢子さんが気でぶっ飛ばした話には、
    お二人ならではの、ハードな「ラブ」をカンジました。(わはは)


    合宿、もの覚えの悪い私に細かい所を
    さり気なく教えてくださる暢子さん、
    私より年下ながら、なぜか自然に私は彼女を「暢子先生」と
    呼んでしまいました。

    暢子さんは、カンロクないし(失礼)、か細く、いたい気で控え目で、かわいらしいのですが、
    気さくな方ながら、実は大の男はぶっ飛ばすし、
    競争の激しい中国の最高の学校で
    健次郎先生とがんばって学んでこられた方です。

    講習のステージの上で、模範のお手本を示される健次郎先生と、
    助手として、間に個人的な指導をして回られる暢子さんのお陰で、
    いつもよりなお、良い勉強が出来た合宿となりました。

    やはり舞台の中先生に、目で見える模範を示して頂くだけでなく、
    自分の細かい間違いを、正して下さる方がいると
    やはり上達が違います。
    暢子先生にも、今回随分お世話になりました。

    そんな素晴らしい暢子さんに比べて、自分があんまり
    運動神経も鈍く、もの覚えも悪いので情けなくなり
    それを口に出すと、
    暢子さんでも「芽が出ない時期が7〜8年位あった」と
    お話してくれました。

    芽が出ると、面白くなって師匠の家の側に引っ越して
    がんばったそうですが、それまでは全然だったそうです。
    (う、少し希望が!!
    私でも7〜80年(ゼロ一つ多目)あれば芽が出るかも)

    健次郎先生も言っていましたが、
    体はすぐには変わらないそうです。
    それでいて、毎日続けることでいつの間にか
    少しづつ変化していくそうです。

    やはり何の道も同じで
    「ローマは一日にしてならず」なのですね。
    でも逆に、努力を続けられれば
    いつか変化が起きるということなのですね。


    お二人の太極拳

    私たちに模範としての、気の流れのままに動く、
    観せる為の太極拳を
    中先生はして下さいました。舞台の上で。
    その時、暢子さんもご一緒に。

    気功は教わると、よくテキストに出てくるのは
    「女子は右で、男子は左側から」というのがあります。

    男女は生物学的に逆方向なのか?と
    不思議に思っていた箇所でした。

    でもこれを観て、何だか分かった気がします。
    中先生と、暢子さんの同じ動きが、左右対称になって
    とても美しいのです。
    男女が一緒に動くとき、これがぴったりくるように
    なっているのですね。
    やはり「つがい」が人間は自然なのか?
    それとも「つがい」は不自然なのか?
    今の私には分かりませんが、気功等はつがいが
    基本なのかなぁ?と思ってしまいました。

    暢子さんはあの年で、素晴らしいのですが
    やはり中先生の完成度のとても高い動きの、
    抑えても現れる迫力はまだです。

    が、よくこんな人(中健次郎先生)について来れるなぁ、
    と驚く程素晴らしかったです。

    暢子さんの素晴らしさ、そしてだからこそ良く分かる
    健次郎先生の怖さが良く分かりました。

    鍛え上げた体の正しいポジション、動きが
    あれほどの美しい太極拳を可能にするのだと思います。
    そのほかにも生活の全て、精神の鍛錬、そういうものが
    すべて統合されて、完成されていく程に美しい動きが
    現れるのだと思いました。

    日進月歩で伸びていく、素晴らしい暢子さんと、
    神界へ踏み込んでいくような、健次郎先生、

    これからもお二人のご活動が、とても楽しみです!!

    後日追記 2007年2月



    これは、私の個人的な合宿の感想の追記です。



    中健次郎先生ご夫妻は、またインド方面に

    おられるようです。



    今まで、中先生の合宿に出て、一つ感じることがあります。



    帰国人子女問題ではないですが、

    中健次郎先生は、中国生活がとても長いため、日本の国民的な感覚と

    少しずれを感じる所があるような気がします。



    中国に住み、いろいろな中国人のお師匠様に弟子入りし、厳しい修業生活を

    ずーっと送ってきた中先生は「舅・姑根性」という、私怨的なこととは全然

    別の意味で、部分的にすごく「キビシイ、キツイ」部分があるように思います。



    ふだんは、飾り気ないながら、誰に対しても柔和で、人当たりが良い先生です。



    でも、合宿の中で本気で真剣に気功を学んでいる、本気の人に対してだけは、

    特に男の人には、いつもでないですが、たまに、女性の私から見ると、

    「ぎょっ」とする程、キビシイく思えることがあります。



    でも先生ご本人は、大して「コワい」つもりはなく、

    ふつうの表情ですので、多分先生ご自身が、中国で

    かなりの目に合って、それに耐えてきたのだと思いました。



    ......あ、別に優しくして欲しい人(軟弱でチャラチャラした私とか)、

    コワがらなくも大丈夫です。

    中先生は、ちゃんと区別して下さっていて、合宿で個人的に先生とお話し、

    気功等に対して、本気のやる気を何度も見せないと、こういう扱いは

    されないですから。



    中先生の口から、中国の悪口を聞いたことは、一回もないです。

    中国の師匠を、いつも立てて、本当に敬っておられます。



    中先生ご自身も中国の神秘と力に魅せられ、長い間住んで学び続けて

    おりました。



    でも、日本人が行って、口にできない苦労は多分、沢山あったと思います。



    また、中国と日本は国民性が違うようです。

    日本は「恥の文化」と言われる側面もあるように、

    人前でのことは、思いやったり、柔らかかったりする部分も

    あるのですが、



    中国は、日本から行ったビジネスマンが、自分のHPに、

    中国は、日本からみると残酷に思える国民性があると書いてありました。



    私は、このビジネスマンがどんな人か全然分からないですが、

    偶然うちののアドレスに来たDMによって、そのHPを知りました。

    (この内容の実情は、私には全然分からないし)



    小池さんからの手紙の102回目のところで、ミクシイの話の後半に

    出てきます。

    http://www.e-tomsouya.com/tomsouya_column_top.html



    中先生は中国人の師匠たちの素晴らしい話をいつも聞かせてくれていますし、

    これはビジネス界のごく一部の話かもしれないです。



    (日本でも中国でも、どこの国でも、いい人もいれば、そうでない人もいますので

    ひとくくりにはできないですし)



    ただ、こいう国民性の差がある場所で、中先生ご夫妻が長年修業してこられた

    ことが、



    日本に帰ってきたばかりの、中先生にまだ少し残っているかもしれないなぁ、と

    思うことがあったりします。



    ちなみに、中先生に部分的にキビシイい指導を受けた男の人は、私が知っている限り

    二人ですが、彼らは何だかあまり気にしていないようで、その後も先生の合宿に関わって

    おられますので、女から見る程は、大したことでないのかも。(はは)



    中先生が、はたから見てると損だなぁ、と思うことがもう一つあります。

    それは、中先生は北京大学や中医薬大学に留学し、又気功や太極拳の師匠達の

    門下に入り、また世界の聖地を巡り、奇跡の聖人たちに沢山会い、

    修業を続けてきた人です。



    そのため、徒弟制度のきつさが、骨の髄まで染み込んでいるカンジ。

    常に謙虚な態度で、何か人と話すときも、自分の意見を言うというより、

    中国や、日本で学んだ師匠等を立てて、「先生の教えによると」というような

    話し方しかしない場合が多いです。



    学術論文のほとんどには、必ず引用マークがついていますが、

    あれと似ている気が少し。



    (あれって、引用がずーっと続き、結論のオリジナルは論文の最後に

    ついてる場合が、多いですね)



    ただ、本来中先生は、その人生が示すように、すごくユニークで、めったにない

    個性の持ち主だと思います。



    (大体、そもそも日本でも市井の教室の気功の先生たちからして、

    みなさん、地味ながら本当に個性豊かな人ばかりだもの)



    先生は「道を求め」ご自身でこれと決めたことを、ひたすら進んで来ました。

    本当は、個人的に本当にご自身の自説、ご自身の意見がものすごく沢山あると

    思います。



    ただ、徒弟制度の下で生きてきたので、あまりそれを外に出さないくせが

    ついていると思います。



    だから、あまり先生を知らない方には、「自分の意見がない人」と誤解されがち

    ですが、それは又別の問題だと思います。



    (体育会系の人には、こういう余計な説明いらないと思います)



    私も個人的に中先生とお付き合いがある訳でないですし、

    合宿の追っかけ、というだけですが、

    それでも中先生の合宿の終わったあとの、心地よさは何にも変えがたい

    素晴らしいものです。



    帰国されたからまだ、あまり時間が経っていませんが、

    いろいろなご計画もあるようですし、これからが楽しみです。

    2007年10月13日 後日情報

    中健次郎先生は、2007年11月中旬発売予定の、
    雑誌「壮快」一月号(マキノ出版)に、一年間の予定で、
    連載が決まっております。

    マキノ出版大好きな私は、すご〜く喜んでおります!!

    (C)
    (C)

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