いろいろ特集記事
http://blog.morino-kyu.com/
森の休日社
ja
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=933577
あらひろこ
あらひろこ(フィンランドのカンテレ奏者)
2006年12月
Hard to findの扇柳さんとのユニット、
aasian kukka (アアシアンクッカ)のライブでした。
このユニット、NHK等でも活動中。
ユニット名はフィンラン...
あらひろこ(フィンランドのカンテレ奏者)
2006年12月
Hard to findの扇柳さんとのユニット、
aasian kukka (アアシアンクッカ)のライブでした。
このユニット、NHK等でも活動中。
ユニット名はフィンランド語で「アジアの花」という意味です。
ちょっと早いクリスマスライブ、音の響きの良いという、心地よいカフェでの、アットホームなライブでした。
「囲む良さ」っていうのを、本当に味あわせてくれた日でした。
「囲む」とは、小さな会場で雰囲気良くて、しかもお店の方等のスタッフの方が、いい空気をつくってくれているような時にある。
ゆったりイスに座って、すぐ前にいる演奏者たちの演奏を、
一曲ごとにせがむように、楽しんでいるカンジかなぁ。
外は寒いけど、お部屋は温かくて、飲み物もおいしくて。のんびりと。
客席は息を詰めて聴くというのではなく、
でも「音楽はBGM」となっている訳でもなく中心で、なごやかに。
あくまで、鑑賞の妨げないように全てに気持ちが配られていました。
(ここまでは、扇柳さん記事のとダブっています)
私はあらひろこさんの、公開されているプロフィール以外の
ことと、ライブで見たこと以外のプライバシーを何も知りません。
この記事には、アートと女性の人生について、いくつかの話題が
出てきます。
そして、それはあらさん個人のプライバシーと直接関係ないです。
(私はあらさんのことを、全然知らないです)
ただ、この日のあらさんの演奏する姿、そして長い「追っかけ」で
ライブで見聞きした、沢山の女性アーティストをみていて
(誰のプライバシーも詳しいことは知りません)、
考えさせられたことを、集大成(はは)みたいに付け加えました。
アートは生活の手段として、大変な部分があるし、
それでいて練習に取られるエネルギーも時間も多いです。
(他の仕事も同様ですが)
だから、客席から見ると、きらきらして見える舞台の裏で、
みなさん、いろいろな思いをそれぞれ抱えておられるのだと
思います。
aasian kukka では、又少し前に聴いたカンテレのライブとは又少し違う雰囲気の演奏がほとんどでした。
あらさんに今回感じたのは、二面性でした。いろいろな意味での。
どちらかというと、老若男女子供を問わず楽しめる音楽が中心に思える
aasian kukka 。
扇柳さんの圧倒的な表現力の相棒として、あらさんは「見守る・支える
・ きっちりやる」という優等生であり、母であることを感じる演奏を続けていました。
そして、一曲だけ違うタイプの演奏がありました。(めちゃ良かった)
(その話は、この日の記事の最後に)
それでは、特に印象あった曲を中から幾つか。
「天国のポルスカ」は、物語を紐といていくような演奏でした。
あらさんは、フィンランドとの交流の仕事をしていたこもあり、フィンランドとご縁の深い方です。
そして、音楽だけでなく、童話、民話の研究もされている方のようです。その蓄積が、いい意味でこの演奏にも出ていたように思えます。
前に聴いたときは、旋律楽器としてのカンテレだったように思います。今回は、扇柳さんきちんと受け止める演奏をしておられました。
アジア的な魅力のあるあらさんの顔立ちですが、意思強く、自分なりに保守的な良い目標を設定して、それをきちんとクリアし続けてきたというような、印象を受けました。
学生時代も、結婚しても、母となってもがんばってきた、というイメージあり。
もし妹でもいたら、妹にとっては優等生で息ちょっと詰まるようながんばり屋で、ちょっと煙たいけど、でもお姉ちゃんがしっかりがんばっているから、
妹は安心して気楽に好きにやれる、みたいな頼もしさがあるのかな?
(ちなみに私は妹でないです。あらさんより多分年上)
でもお姉ちゃんには、お姉ちゃんなりにどっか亀裂みたいのもあるんだと思ったり…..。うん、勝手に想像。
すご〜くほしいもの、すご〜くやりたいこと、ってその人の人生のバランスを崩してしまうし、一歩間違うとめちゃめちゃにしてしまうようなコワさがあるものだから。
「強い抑え切れない欲望」というのと又ちょっと違うけど、似たようなもの。
昔、知っている人に私よりずっと年上で、すごく素敵な女の人がいました。その人は、とても社会的に良い肩書きを持つ夫がいて、経済的にも恵まれた人でした。子供達も順調に育ち、又良い就職を。
性格も良く、同性がみても憧れるようなカンジのいい人でした。
その女性は、主婦業にひびかない程度に、おけいこゴトをして、社会人のアート系サークルにも入り、素人としてはとても良い成果を上げ、又ボランティアで市の社会的な活動もしていました。そして、年を取っていった。いつしか、髪も銀色がかった白髪に。
誰も彼女のことを悪く言う人はいないし、夫にも子供にも愛され続け、妻として母として敬われていた。主婦として本当に成功して幸せになれた人。
その人が私に教えてくれたことがありました。別に彼女は私のことを知らないし、何かそういう話をしたこともなく、年配の人が自分の人生で学んだことを、年下の私に思い出しついでに、ちょっとづつ、ちょっとづつ、聞かせてくれていて、それもそういう話の一つだったのですが。
「女はね、何ごともほどほどがいいのよ」、と。
それはだれもがうらやむような○○夫人というような人、恵まれた家庭で、優しい両親に愛されて育ち、順風満歩で進み、いい夫に愛されて嫁ぎ、
いい子供に恵まれた。お金にも困ったことがない。
女性としては銀のさじというような、うらやましい人生に見えたのですが、
その言葉の中に、彼女がその人生を維持するのは、決して楽なことばかりではなかった、と感じられたのでした。
彼女は本当に賢い女性だったのだと思います。自分を抑えて生きてきた。その楽さと、大変さは、両刃の剣なのかも。
ゆるぎなく見える家庭の平穏なんて、ちょっとバランスを崩したら、
簡単に壊れてしまう。自分が崩さなくても、家族の誰かが崩したら、
それは戻すのが本当に大変なのだと思う。運も当りもありますが。
母親の役割は、一家の中でとても大きいです。本当に家庭の幸せを維持していくために、見えない苦労がいろいろあると思います。
(父親も同様ですね。そのバランスは本当に大変だと)
気のせいかもしれないけど、その昔に私が知っていた年配の女性の方の言葉を、あらさんの演奏中の表情に思い出したのでした。
何か葛藤を抱えながら、自分を支えながら、掴みながら、必死のあらひろこさんの一面みたいなものを。
それは、あらさん個人というより、結婚して家庭を守っている、時代ごとにファッションとか言動は違っても、「女大学」というのでしょうか、「女性の役割」を果たすことと、自己実現の相克の大変さが、垣間見えた気がいたしました。
どっちを選んでも、必ず幸せになれるという保証はないです。薄幸っていうか、どっちも上手くいかない場合もあれば、両方手にする場合もある。そういう結果は、この場合どうでもいいことです。
私の知人のその年配の女性の方は、運良くその「女性の役割」に徹することによって、経済的にも社会的にも家庭的にも成功することができました。
しかし、逆の場合だってあるし、人によって、時と場合、運によって、
どんな結果になるかなんて、最後まで誰にも分からないですよね。
これは別にあらさんに関係ないことですが、女だけでなく男の場合も、
アーティストであることと、生活していくことの大変さのバランスは難しいです。
どうしても、どっちかに傾かないと……..ですから。
アートは男女関係ない業界ですよね。そこは良い所ですが、だから、逆にアート系の女性は手一杯がんばらないとならないです。
アートは、並外れた練習量を維持することを、要求してくるし、特に舞台系の人は、家庭でできることに限りがありますから。
ただそれでもどうしても、好きなこと、したいことがある場合は、
割り切ってでも進んでいくしかないのかもしれないですね。
(これは前に書いたコラムに似た問題があります リンク)
アートでなくても、他の仕事の人でも趣味の人でも同じ問題が女性にはありますね。
ただ、女性は逆にその分許される部分があるので、楽なこともありますね。何かを極めようとして、挫折するときの口実に女性としての問題をしてしまうことだってできます。
家事って、やってみた人でないと分からないけど、長期に渡ると本当に大変。専業主婦だって、精神衛生から何から含めると、共働きと又違う大変さだし。
(同様に男の辛さと楽さもありですね。仕事だけ、も本当に大変)
ただ子供を育てる目的中心に作られた結婚制度は良くも悪くも、男女双方がんばらないとならない部分があるので、ある程度こういう形態になっているのは、あながち差別というだけではないのだと思うこともあります。
都合いいときだけ「男」になって、都合いい所で「女」に戻るっていう訳にもいかないですから。(ここが現代女性の考え所ですよね。何を選ぶか。人によって違いますね。これは)
……..だから、何を選ぶかは結局自分で納得できるものでないと大変だと思います。ネガティブなことを考えるのはよくないですが、例え上手くいかなかったとしても、納得できる方を選ぶっていうか。
リスクとか人生の目的とか、生活の大切さと生きがいの大切さとか。
こういうの、アート関係では、一生悩む人が多いと思います。
ただ男性よりも、女性は少しもっと、生活のこと考えないとならない部分が大きいかも。そんな強く生きられる女性って、多くないと思うから)
(まあ、中には育った環境によって、結婚した状況によっては、経済的に保証されて、「したいこと」三昧どっぷり、っていう恵まれた女性もいますね。そういう場合は、男性より強いかも)
ちなみに女性の独身も楽なようで、けっこう社会的に良くはないし、自己精神管理も大変だし、年取ってからの心配も一杯ですね。独身者にも家族の悩みある人多いですね。大企業の人は別ですが、それ以外の方は経済的不安も多し。
(でも扶養義務のある家族がない場合は、生計を担う男性より楽ですね)
で、何となくあらひろこさんて、人から見たらうらやましいように見える部分がある方ですが、この人はそれにけっこう押しつぶされそうなときがあるのかなぁ?と思えた今日のライブでした。
何でもがんばり屋で、オールラウンドに何でもできるように見えるのですが、それにしてもやはり家庭、夫と子供がいて、アーティストとしても「一の線」で活躍していくのは、大変なことなのだと思います。
そしてあらさんが、このように大活躍できるのは、素晴らしい、ご理解あるご主人と子供さん、そして協力的な共演者の方々に恵まれたからだと思います。
ファンとして、どうかこれからもずーっとがんばって、両立して、素晴らしい演奏活動を続けてほしいです。
ここで、あらひろこさんの活動とご縁の深い
Hard to findのことも関連話題として、混ぜますね。
HtFのリーダー夫人小松崎操さんも、素晴らしいミュージシャンで、
母であり妻でありますね。陰では本当にとても大変だと思います。
ただ、ご主人が「あの健さん」だから、力強いと思いました。
アーティスト同士だけでなく、一般企業でも医療福祉業界でも、
「同業者同士」は大変だと言われます。
「できれば避けたい」と言っているのを、何回も聞いたことがあります。
でも「画家は画家にしか惚れない」と昔思ったことがあるのですが、
本当に惚れるのは、同業者同士だと思います。ただ、結婚になるといろいろ大変。それは又別の問題ではないでしょうか。
でも小松崎家は全員同業者。
そう、健さんは音楽を心から愛しています。
確かにたまたま操さんは外見も中身も本当に素敵な
得がたい女性です。学生時代は「学校のマドンナ」タイプ。
でも健さんに特により感じるのは、男であろうと、女であろうと、
とにかく「音楽を分かち合える」ということも、とても重要なのだと思いました。
サラリーマンを捨てて、収入の不安定なアーティスト、その中でも生活の大変なアコースティック音楽に一生を捧げるHtF。
だから健さんは奥さんが、あれ程の素晴らしいフィドルを演奏しないと、満足できないのだと思いました。
北海道のインディーズの他民族音楽の中心として、
私の憧れの音楽一家の小松崎家。
こういうリーダー健さんの下で、奥さんも愛娘さんものびのび音楽に命をかけていけるのだと思いました。
ジョン・レノンなら、操さんは「ヨーコ」にならなければならなかったかもしれない。でも、操さんは別に健さんにそういう要求はされないようですね。「ヨーコ」は私から見ても、偉大で素晴らしい才能豊かな女性だと思います。でも一面「女大学現代アートバージョン」ですね。
(まあ、類まれなる音楽能力のある、N.Yで活躍するアーテイストで、アメリカ最高クラスの女子大出の、安田財閥令嬢と、世界的ポップスの大スター「ビートルズ」の、リッチ&フェイマスなジョン・レノンの組み合わせは、当時憧れの的になった割りに、
現実問題、一般的でない特殊な例のような背景がありますね。
ただ、ソロになってからのジョンの音楽、あのボーカルは本当に奇跡のように素晴らしいです。あの声と歌い方は世界をゆるがしましたね)
沢山のHtFのライブを見ていて、何となく感じたのは、
健さんは「ヨーコ」を望まない人なのかな?ということでした。
何かそういうの、一見保守的に見える健さんの、新しさのように思えることがあります。
健さんは、何でも自分でやってしまう人だし。
うん、そして健さんは、やはり死ぬほど音楽が好きなんだと思います。
まあ、HtFのケルト音楽の中でも、中心的なアイルランド音楽には、
音楽一家のユニットがけっこういますから、それもあるのかもしれないですね。
健さんご自身は、リーダー(指揮・旋律楽器演奏者・リーダー業務・営業・
マネージャー・広報等々)、で本当に大変に思えます。だけど、奥様の操さんのこと以外でも、とにかく健さんがどんなに音楽が好きか、それがリーダーとしての器にすごく影響しているのだと思います。
そして、それが時として得がたい深みをかいまみせてくれることのある、HtFの音楽に現れているような気がしています。
このブログに何度も出てきた程、メジャーなユニットのリーダーと違って、インディーズのリーダーは何でもしないとならないから、本当に重い仕事だから。
まあ、どんな家庭だって、先のことは分からないです。何があるかなんて。でも、私は小松崎家の幸せを末永く願っていますし、
仮に何があっても、それはそれで、得がたいプロセスを踏んでがんばってきたのだから、何にせよ素晴らしいのだと思いました。
………..とそして、このライブ、カンテレのソロで一曲だけ、
私の大好きな種類の、カンテレ演奏がありました。
題は「トナカイの子守唄」。
この曲名を聴いたとき、私は思わず吹きだしそうになりました。とても、そういう可愛らしい演奏には思えなかったからです。
フィンランドの、ハープみたいな弦楽器カンテレ。
弾き方によっては、「珠玉のオルゴール」のようにも聴こえる楽器。
これは、アイルランドのハンマーダルシマーも同様。
そういう音楽はとても人気があって、オルゴールっぽいCDは売れているようですが、でも私はそういうタイプの演奏は、好みでないのです。
(個人的趣味)
演奏家は使い分けていて、こういうアットホームなクリスマスライブの場合は、そういうの喜ばれるので演奏することも増えると思います。
今日も、多くはそうだった。バロック的な格調とオルゴールのような幻想的でかわいらしい演奏。
けど、この「トナカイの子守唄」は違いました。
もう、最後は身を乗り出して拍手していました。
この日の他の演奏は優等生のお姉ちゃん(あらさん)と、気楽な妹に例えましたが、
この演奏は妹には聴かせられないですね。大人になってから。
カンテレの木肌をさするように、身をそそぐように、カンテレの方に体を傾けるあらさん。
楽器の演奏の官能は、よく男女のことの官能になぞらえられるのですが、やはりこれは近いけどかすかに別のもののように思えます。
ただ、男女にたとえる必要はないのですが、他に言いようを探すのも大変かも。
弦と弦のあわい、柔らかい、息を詰めるように紡ぎ出される音色。
ここはあらさんだけ。このカンテレとあらさんだけの時間。あらさんとカンテレ以外何も存在しないみたいに。
この曲を聴いてて私がときめいたのは、
それがあらさんの、ひみつのこと、だったからなのかもしれないですね。
(…..なーんちゃって)
昔、「ピアノレッスン」という映画を観ました。
すごい映画でしたが、あれはヒロインと男が両想いになり、しかも男に責任感があり、しかも愛が続いたから幸せになれたのだと思います。
でないと、ただの許されざるセクハラですね。ひどい映画とも言えますね。
あらさんて、どっかあの映画の「セクハラ」部分を抜いたようなことを思い出させる方です。
ただし、あらさんのご主人を遠目で見たことありますが、あの映画みたいなイヤな夫とは似てもにつかない、音楽好きの、ご理解ある、しかも素敵な方ですね。
私が言いたかったのは、カンテレとあらさんが、
どっか、かすかにせつないということでした。
あらひろこさんHP
(C)
(2003年3月初アップロード。ブログ移行前です。)
]]>
あらひろこ
2008-01-27T20:57:00+09:00
編集A
JUGEM
編集A
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929653
La Zone(ラ・ゾーヌ)
La Zone(ラ・ゾーヌ)
(長嶺久美子・三重野直美・小山朋子)
20世紀初頭パリ下町に大流行した民族音楽、ミュゼットを演奏する、
ユニット「ラ・ゾーヌ」。地元札幌では初めてライブを観て、
すぐファンになってしまう人も多い...
La Zone(ラ・ゾーヌ)
(長嶺久美子・三重野直美・小山朋子)
20世紀初頭パリ下町に大流行した民族音楽、ミュゼットを演奏する、
ユニット「ラ・ゾーヌ」。地元札幌では初めてライブを観て、
すぐファンになってしまう人も多いようです。私も。
今のラゾーヌには、何かがあるように思えます。
別に大げさなものではなく、
客席を引き込んでくれる、よい空気の動き、みたいなものが。
メンバーは見た目若いですが、3人とも40代前後の女性です。
三年前、ほとんど楽器を演奏したことのないこの3人が、
突然、ハートの矢を射抜いた(はは)音楽、ミュゼットを
「この手で弾く」と決心する。
そして楽器店に飛び込み、アコーディオンとバンジョーをいきなり購入。(ピアノだけは、家にあったらしいです)それから、SPレコードを
何十回も何百回も聴きながら、練習を始める。
ツキモノがついたまま、3人はひたすら練習を続け、
ついにライブに出演するまでになる。
実は、最初に買った楽器はちょっと間違っていた。
近くに偶然住んでいた、有名なプロのアコーディオン奏者が
ライブを聴きに来て、それを教えてくれたそう。
ミュゼットには独特な楽器が必要です。
アコーディオンは鍵盤ついたピアノ式アコーディオンではなく、
ミュゼット用のボタンアコーディオンだし、
バンジョーも弦の数の違う別な種類のもの。
正しい楽器で演奏してみると、ミュゼット音楽に合っていて
演奏しやすいのですが、始めに買ってしまった楽器に
合わせて覚えたことを、今さらやり直すのは大変だったよう。
でも、又新しい楽器を持ち直し(時には元のバンジョーも使います。
それも味)、
3人は練習にのめり込んでいったのでした。
ミュゼットは、パリの下町に大流行したダンス音楽。
流れ込んできたイタリアやスペイン人、ジプシー他、
ヨーロッパ各地の移民達とパリのフランス人でつくり上げた民族音楽。
音楽の女神「ミューズ」から来た名称。
20世紀初頭、アコーディオンをメインにしたバル・ミュゼットが
大流行し、パリにはこの音楽を演奏する酒場、ダンスホールが
沢山ありました
(そう、メンバー経営のフランス居酒屋「ガンゲット・ダイマ」のような)。
三拍子のワルツを中心に、ポルカやタンゴ等のさまざまな音楽要素を
取り入れ、移民の国パリ、ベルエポックの文化が生んだ音楽
とも言われているそうです。
アーティストや、アーティストを目指す人が沢山パリに集まっていた
古き良き時代、にぎやかで、お洒落で明るい音楽なのですが、
背景の世相は一面、暗く、戦争や貧困などがあったそうですが、
せめてココロだけでも元気に生きようという、
パリの人の根性を感じますね。
映画、オードリー・ヘップバーンの
「昼下がりの情事」、「パリの屋根の下」
でも知られていますが、
同じくパリで大流行したシャンソンと違い、
現在パリでミュゼットのことを専門的に調べようとすると、
なかなか大変だそうです。
客席で「ただ聴いてるだけ」の気楽さと楽しみを捨て、
どんなに大変でも自分達でやることを選んだ3人は、手探りの連続。
フランス語の辞書首っぴき、想念で時空を超えようとする3人は、
またミュゼット音楽の懐深くたぐり寄せられていくのでしょうか。
演奏はテクニック等の専門的なことは私には分かりませんが、
ライブでは3人が、望んだ「曲」のまん中にあるものに、
上手に引き寄せられていくのが、はた目にも感じられて、
客席まで楽しいです。
ラ・ゾーヌのライブを楽しいと言う人は、少なくないです。
ライブで、年季の入ったプロのミュージシャン同士の個性、
あくのぶつかり合いから、もまれて出来上がっていく音楽は格別ですが、
ラ・ゾーヌは演奏は上手いけど、そういうのとは、又違うような…..。
ラ・ゾーヌはプロのミュージシャンとしての自我もあくも出る間もなく、
ミュゼットをただ「この手で弾く」ことだけを望んでいるカンジ。
だから「弾けてしまう」んだと思います。
ラ・ゾーヌはまだ場数を踏んでいないせいか、
ライブ中のトークも精一杯のカンジがします。
聞いてる客席がハラハラする時も、ごくたまに。
でも逆にそんな所にもファン達は“天然もの”を感じて、いいなぁー、
と思ったり。
そう、いくつになっても「青春」はあるのです。
ラ・ゾーヌはファンは20代〜80代まで幅広いです。
前にフランスに住んでいた人も、よくライブやお店に顔を出します。
すでに以下のようなのも。
La Zoneのファンサイト
「3人はこのままいくのだろうか?」
いつか、ツキモノがちょっと落ちて、
われに返る時があるのかもしれない。
その時はココロの中にジゴクを見ねばならないのか?
その時はその時で、また別の味わいが出ると思いますが、
とりあえず今は、このまま3人に連いて行きたい、
という気持ちにさせられたりしています。
月一回、メンバーのやっているお店「ガンゲット・ダイマ」(音楽居酒屋)で定期ライブが聴けますし、あと道内の素敵なライブ会場でも、時々。
どの曲もいいですが、
特に「メフィアンス(Mefiance)・疑念」。
題に反して、明るい曲想ですが、客席的に、この曲の素敵な所は、
ラ・ゾーヌ全員の楽器の見せ場が、それぞれちゃんとある所です。
そう、「疑い」は絶望の友。希望は失くしていけないと、
私が勝手に励まされた曲でした。(解釈違うか)
ちなみにラ・ゾーヌはとび抜けて、
インテリアのセンスがいい人たちです。
円山のカフェ時代も良かったですが、
今年の秋の移転先の二条市場の中にある小さなお店は
「これでもか」と言う程、当時のパリの下町趣味に走っていて、
何度寄せて頂いても、満喫・満足です。
またピアノの直美さんの考案するフランスお惣菜料理が、
又とっても美味しいのですね。お酒も日本であまり見ない、
フランスのお酒がいろいろ。
いい意味で料理もお酒も大人の味が楽しめます。
詳しいことは、うちのHPの「ライブのお店」を、ご覧下さい。
長嶺久美子(KUMI)
ボタン・アコーディオン奏者で、ミュゼットのリーダー。
体育会系詩人。ガンゲット・ダイマのスタッフで、主に調理担当。
見てるだけで、元気もらえるタイプ。
子供みたい顔のまま、「この世に不可能はない」ことを
私達ファンに教えてくれる人。
三重野直美(NAOMI)
ピアノ奏者。 他の二人と違い、小さい頃だけ楽器(ピアノ)を
弾いていたことがあるそう。
ガンゲット・ダイマのシェフ&マダム。何か相談ごとを、
持ちかけたくなるタイプ。
小林朋子(JO)
はかな気だけど、芯の強そうなバンジョー奏者。
普段、お店には出ませんが、やはり3人いないと寂しいような。
ひっそりとした存在感のある人。
参照
Le・Zoneのホームページです。
戻る
]]>
La Zone
2006-12-01T14:00:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929652
高倉雄造
高倉雄造さん(ボタン・アコーディオン)
アイリッシュ音楽。ボタン・アコーディオン奏者として、
「Cuchulainn(クーカラン)」等でユニット活動あり。
歴代ライブハウスの名店であり、スープカレー激辛批評(樺沢氏の)、
...
高倉雄造さん(ボタン・アコーディオン)
アイリッシュ音楽。ボタン・アコーディオン奏者として、
「Cuchulainn(クーカラン)」等でユニット活動あり。
歴代ライブハウスの名店であり、スープカレー激辛批評(樺沢氏の)、
スープカレーポータル等のサイトで評価の高いjack in the box<a target="_blank」の店主。
いや〜、お店に誰もいない時に行くと、一人で練習している店主高倉さんの演奏を、そのまま聞き続けたいやら、小腹がすいて、
名物のカレーが食べたいやら、嬉しい迷い。(はは)
2006年11月
今日はフランス居酒屋「ガンゲット・ダイマ」というお店での、
高倉さんのライブ。張り切ってGo。
相方はHard to findの星直樹さん。
私の大好きな、アイリッシュ音楽のダンス音楽中心のライブ。
(嬉ちぃ)
びっしりの会場、そして本当に雰囲気の良い、楽しいライブでした。
ボタン・アコーディオンのアイリッシュ音楽。高倉さんの演奏も、
しっくりと素敵でした。
ボタンアコーディオンを弾き始めたのは、七年前の1998年から。
ソロとしては自分のお店で一回、そして人様のお店では今回が初めて!!
ご本人もご自身で「初心者」とおっしゃるだけあって、
演奏は良くても、ひどい緊張ぶり
会場に詰めかけた、すでに場数を踏んでスレている他の先輩音楽仲間
の方々達に、愛のこもった野次を、飛ばされていました。
(客席も、初物を頂く、というカンジの良さが……はは)
で最初の一曲目「Cul Aodh jig ・ Blue Angel」、
特に良かったです!とても。
この曲はそんなに緊張なかった気がする。
「お店の人」としてでなく、今夜は自分のライブ。
その気持ちのHANA(華)やぎが、演奏に出ていましたね。
ちょっと派手っちぃ演奏。客席の私にも伝わった。
普段と違う目を引く色彩のシャツもプロのけじめを感じて良かった。
やはり沢山ライブを見守っているだけあって、
ライブハウスにしっくりなじむ演奏の仕方を心得ている気がしましたし、
同様に曲間のトークの面白さは出色でしたね。
(さすが、ライブハウスのマスター)。
又「Lyrch’Barn Dances」が良かったです。
テクも効いていたカンジ。
私はダンス音楽が、ダンサーなしで演奏され、楽器演奏自体が
踊るかのように、エネルギーを強めている感じの時の音楽に目がないです。
でもダンサーと一緒の時は、それはそれで別の、
コラボの良さがありますし、又ダンサーメインの時は、
それはそれで又得も言われず素晴らしいですね。
要するに、一度に両方楽しめないのでしょうか。
この曲の演奏も、踊っていた気がして、好きでした。
そして、感動したのが「ブラック・バード」という曲。すごく良かった。
今まで主に演奏歴の長い方のライブばかり聴いていたのですが、
「感動」は演奏歴だけによるものでない、と思わされました。
私は専門的なことは分からないのですが、この演奏のとき、
高倉さんも穏やかだった気がします。
そして、演奏者の技量と曲の難易度が釣り合ったものであるとき、自分のすべてを注き込めたなら、演奏歴が長くなくても、無理なく客席の心を動かすことが出来るのだと思いました。
あれですね、料理に例えると、トマト系の味は、
長時間煮込むと重厚で美味しいけど、
料理によっては短時間であっさり酸味残した方が、
いい味な時があるのと似てるかも。
この「ブラック・バード」は本当に素晴らしかったです。
ちょっと笑えたのは、名店「ジャック(通称)」のマスターとして、
数限りないライブを見守ってきた高倉さん。
今日は自分が主役演奏、何やら一ヶ月前から緊張状態だったそうですが、
実際当日舞台に上がると、高倉さんは
何となく緊張するのに慣れていない様子。
ジャックを貸し切る他の沢山のミュージシャン達のライブを、
店主として落ち着きはらって見守る時のように、
顔だけはポーカーフェイスのまま。でも心持ち顔色青く、
手や足や頭が緊張してる気が。
反して同じく上がり性だという、伴奏の星直樹さん。
彼は逆で、上がるの慣れているカンジ。場数を踏んでいいますから、
顔を純情に赤くしながら、指や足は全然平気っていうカンジ。
そもそも星さんは、ひと月前から、高倉さんが「緊張する、緊張する」と
何度も言うので、星さんまで動揺したカンジ(被害者ですね)。
でも、こういう状態もいずれ場数を踏むと見れなくなりますから、
何というか、これはこれで楽しめる舞台でした。
(ちなみに客席はお気楽に、「緊張してるぅ〜」何て笑っていますが、
自分が逆の立場になったら、絶対深刻ですから)
舞台って逃げ場がない上に、
魔が宿るみたいな(?)コワイ場所でもありますから。
(だから、魅きつけられるのでしょうか。演奏者も客席も。
ほんの少し高くなっていたり、会場によっては同じ床の延長線にある、
最前列の客席の前にあるちょっとした、スペースというだけなのですが)
高倉さんのアイリッシュ音楽の独特の良さは、物哀しく響かない所です。(別な人の場合は、物哀しいのが良いこともあるのですが)
日向のような温か味、安らぎがあること。
何となく、アメリカに渡ったアイルランド人の移民という訳でないですが、アイリッシュ音楽が日本の東区16条界隈に来ると….というカンジ。
(何か他の所はともかく、「ジャック」という歴代、ミュージシャン達の因縁のあるお店は、存在感、影響力がその演奏にも及んでいくるのでしょうか?)
つまり高倉さんはご自身として、ちゃんとアイルランド音楽を掴んでいるだと思いました。
沢山の諸外国の文化と融合して各国の「民族音楽」は
出来上がってきていますから、これはこれでまた良いことなのだと
思いました。
淡々とボタン・アコーディオンに空気を送り込む右手が、
まるで日常を静かに漕いでいく、ゆっくりとした車輪のように感じました。
全般的に楽しめる、素敵なライブでした。
数曲だけ、演奏間違ったのもありましたが、
別にライブの楽しさは損なわれなかったし、
その時でさえ「もつれる指と、座った肝」という「店主・高倉」の
キャラを感じられて、先々楽しみな気がしました。
今でも十分上手いし、お店もカレーもあるけど、
コツコツ練習していれば、必ず実っていくのだと教えられました。
この日初めて、カレーでなく音楽のファンとなった私も、
演奏が先々楽しみに思えて、満足したのでした。
2010年10月
名店「Jack in the box」移転リニューアル
「他民族音楽の中心地※」、札幌ライブハウスの名店「ジャックインザボックス」が移転リニューアル。
店主・高倉雄造氏はアイリッシュ音楽のボタン・アコーディオン奏者として、
「Cuchulainn(クーカラン)」等でユニット活動あり。
ライブハウスの名店でありながら、スープカレー激辛批評(樺沢氏の)、スープカレーポータル等のサイトで評価も高いです。
先代は、ハンマーダルシマー奏者、Hard to findのリーダー、小松崎健氏。
小さな木のお店に、数々のミュージシャン達の歴史が刻まれています。
新しい店舗にも、前の店から記念の板木を剥がしてきてます。
高倉さんの沢山の友人の方等の協力で、また素敵なお店が出来上がりました。
前も良かったですが、今度のお店は前よりきれいで、アットホームなくつろぎ感が更にアップしていたように思いました。
ゆっくりしたくなる。
ライブの時間、夜道をとぼとぼ歩いていくと、暗い中に小さなお店の中の明かりがポワっと浮かび、外からも見える、
沢山のミュージシャンや一般のお客さん、又いつもの雰囲気に安心しました。
前の方が天井が高かったので、響きがまた違うという話でしたが、今回かぶりつきで聴いたせいか、
客席の周りに音が溢れていて、どっぷりと演奏に浸れました。
何となくジャックがあるのが当たり前みたいに思っていましたが、このご時世にスープカレーのお店とライブハウスの両立、
しかも店主ご自身もミュージシャンというのは本当に大変なことです。
ここは沢山のミュージシャンや、ファンの心の拠り所、数々の実験的演奏、名演奏の生まれる、かけがえのない場所だったし、
これからもそう願いたいです。
こうやって普段、美味しいスープカレーのお店をやって、その上、休日はライブ会場として、
休養や自分の音楽活動の時間を割いて、札幌、北海道、本州からのミュージシャンに場所を提供してくれる、
高倉氏の犠牲的ボランティア精神、音楽擁護のパトロン精神があって、初めてこうやって札幌の音楽シーンは
続いていくのだと思いました。
ある日お店が突然なくなったら、と想像してみたら、高倉さんの大変さ、かけがえのない尊さが、
少し分かったように思います。ご自身のライブ以外、普段はお世話係に徹する、高倉さんの存在の大きさ。
やはり音楽って、誰かががんばって意識的にお世話しよう、残そうとしないと、シーンの盛り上りが薄れていってしまいそう。
私の記憶の中でも、いつの間にかライブをしなくなったり、消えていった素晴らしいお店が幾つもあります。
ジャックインザボックスの灯りが消えないよう、これからも皆さんでお店を盛り立てていけたら、
素晴らしいと思いました。
(私などが思わなくても、すでに沢山のミュージシャン、ファンの方々がされておられますが)
ジャック イン ザ ボックス
http://plaza.rakuten.co.jp/bosca/
戻る
]]>
高倉雄造
2006-12-01T13:27:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929651
偶成天
森の休日社 特集記事
他アート
偶成天(暗黒舞踏)
他民族音楽の関連で偶成天の舞台を観る機会に恵まれました。故にそこを中心にこの記事を書きます。
森田一踏さんと竹内実花さんは偶成天という暗黒舞踏のユニットで活動し、
...
森の休日社 特集記事
他アート
偶成天(暗黒舞踏)
他民族音楽の関連で偶成天の舞台を観る機会に恵まれました。故にそこを中心にこの記事を書きます。
森田一踏さんと竹内実花さんは偶成天という暗黒舞踏のユニットで活動し、
国内のみならずアメリカ、カナダ、西欧、東欧諸国、オーストラリア等でも高い評価を得ています。
そしてダンサーとしてだけでなく、ダンスセラピーのセラピストとしても活躍し病院や大学等で
ワークショップも開いてきました。
偶成天の舞台や映画「ねじ式」やビデオで、私は幾つかの「暗黒舞踏」を観たことがあります。
創始者の土方巽氏は「暗黒舞踏は命がけで突っ立った死体」である、と定義したと。
白塗り、痙攣、坊主頭、脱力、ねじれ等一度観たら忘れられない異形の踊り。
実は私は「暗黒舞踏」はそれ程好みのダンスではありません。
でも機会があれば観るし、好みでないながらも素晴らしいと思っています。
そしてそういう中で偶成天の舞踏は、ファンにもなれました。
一般に「暗黒舞踏」自体は、私の個人的な印象としては文明の産物だと思いました。
人間という自然の生き物が、文明という人工的な枠の中で生きるとこんなにズタズタに傷ついて
しまうということ。そのズタズタになって歪められたしまった部分の自分を切り取って、
内臓をひっくり返すようにして踊ってみせて、解放による一種の浄化、自己救済を観客に促すプロセス。
怯えや歪み、嫉妬や恐れ、憎悪や邪悪さ、弱さと醜さ、狂気と逃避、エロティシズム、
野蛮で根源的な力。そして強い肯定の意志。
観客の誰もが、人間なら誰もが持ってはいる内面の一部分を強く打ち出すダンス。
舞踏は西洋や東洋他世界のあらゆる所で形づくられてきた「美的感覚」「美的価値観」と
別の所にあるダンスだと思う。一種の優越の意識でさえある「美」というものへの、反旗。
ただ、誰にでも多少はある優越と劣等の意識は容易に裏返るし、いずれも意識の進化の中では
一時的な仮の状態であり、成熟した意識の状態とはいいがたいと思う。
世界が万物の中から「美」を切り出し、つくりあげ、磨き上げていったプロセスの中で
切り落とされ、捨てられはじかれたものを拾い集めて、その中で従来のダンスの影に押し込められた
部分から独自のスタイルをつくり上げた「暗黒舞踏」。
だから個人的感想としては、一般に暗黒舞踏は一種の「反・従来の美意識」にスポットを当てていながらも、
やはり同じ延長線上にある「耽美主義」であるのだと思う。
一見グロテスクに見える暗黒舞踏の、確立された様式美。
彼岸の黒い花、竹内実花のダンスは目に焼きつく程きれいだ。
暗黒舞踏
竹内実花さん
竹内さんは暗黒舞踏の流れをきっちり踏襲した、「butoh」のとても優れたダンサーです。
そして、それと同時にその中で竹内さん独特の力と何か別の動きを感じることがありました。
オフの時は小柄で楚々とした、端正な女性です。
でも舞台でみせる強烈な存在のエネルギーの人並み外れた強さは、誰の心をも動かすと思います。
数年かけて観たのは公演「草刈る月」(偶成天と馬頭琴奏者 嵯峨治彦さんとの共演)、
数度の市のイベントで大通公園での路上パフォーマンス、
そしてアクシデントが起きたような、ライブでのセッション
(竹内実花さんとシタール奏者の井上憲司さん)
この中での竹内さんの変化が、私にとってもとても印象深いものでありました。
★さて、ここから他民族音楽とのセッションでの竹内さんのことを書きます。
正直言って、「暗黒舞踏」と「民族音楽」は本来はあまり合わないものだと思います。
それ用に合わせて演奏しない限り、ちょっと難しい組み合わせ。
なのに偶成天、そして竹内さんは結構好んで共演してしまいます。
客席サイドからすると、そのセッションの予告の案内が出る度に思うのです。
「果敢なことを・・・」と。
暗黒舞踏は独特の感性の世界、スタイルがはっきり確立されたダンスなので、
その舞台に異物(合わない種類の民族音楽)が混入すると
ダンサーサイドはかなり苦しいはずなのです。でも、竹内さんはこの結構なミスマッチを栄養に
着実に力を強めている気がしています。
※ここは音楽のコーナでないですので、演奏家の音楽のことは最小限にとどめます。
「草刈る月」(馬頭琴奏者 嵯峨治彦さん(booxbox))との共演)
これは年を置いて、二度観ました。大掛かりな公演でしたので、
音楽担当の嵯峨さんはこの公演にとてもよく映える音楽をつくり、演奏していました。
ただ嵯峨さんご自身のキャラクターや存在が暗黒舞踏、butohとかけ離れています。
初回はあだっぽいけど自虐的な感じで、好きなダンスではなかったです。
技術的にはとても良かった。
でも二回目は表現以前にダンスそのものも素晴らしかったし、特に前半の最初のうちの表情
とダンスは「入っていて」すごかった。本当に。
前回に比べてダンスの表現の「遊び」が抑えられていて、その分引き締まっていて素晴らしかった。
(前も別に無駄な表現があった、と感じなかったけど今回に比べたら)
「セッションのアクシデント」(シタール奏者の井上憲司さんとの共演)
これは暗黒舞踏の公演ではなく、SOSO CAFEというアートギャラリーを会場に行われた
短い即興、セッションでした。
なぜこれを私が「アクシデント」と勝手に呼ぶかというと、暗黒舞踏にまるで合わない演奏を
井上憲司さんがしたからなのです。井上さんはいろいろなダンサーとかなりセッションをしてきてるので
間違いがあるとは思えない方です。
でも、あの時は最初は井上さんの何かの間違い、次には冗談か意地悪かとさえ思った。
しかし結局それは今までにない竹内さんの素晴らしい面を引き出した音楽になりました。
シタールの音楽は決して暗黒舞踏「butoh」にさ程合わない訳ではないと思っていました。
しかしあの日はまるでマンドリンの演奏の音色にも似たリズミカルな弾きかた、
のんきで明る目の陽気な音楽。
「正統派の暗黒舞踏のダンサーに、これで踊れというのか?」
あの時は井上さんの大ファンの私でも、竹内さんが気の毒に思えた。
いつになく豪奢なlaceの白い衣装の竹内さんは最初戸惑った様子でしたが、
さすが即興でダンスを始めました。
以下のストーリーは私の個人的主観の産物で、ただそういう風に見えたというだけです。
「お屋敷の気の狂ったお嬢様のお出かけ」でした。
陽気な音楽にのって、おめかしして通りを歩こうかなぁ、と。
結局出ないで庭くらいで止まってる感じ。
どこかがかなり変になってしまっているのですが、
守られているので周りから傷つけられる心配とかもあまりなくて、
家が何不自由なく一生生活に困らない、何の心配もない人。
自意識さえも持たなくていい位、自分のいる世界では
女主人であり続けられる女の子。
何の心配もなくて一応全部思い通りになるのだけど、
だけど、それでも気まぐれに邪悪な衝動とか、
凶暴な感じの気持ちがよぎったり。
そしてそういう部分を人とも分かち合いたい感じ。
ここまでは、本当にいつもの暗黒舞踏のスタイルのダンスでした。
で、演奏している井上さんの表情が何となく、
別に同情してるのでもないし、
女の子を蔑視してるわけでも全然なくて、
でも「こんなんでいいのかよ〜」という小さな叫びが
うつむいた、全身にあったりして。
であまり変化のない曲想が続くにつれて、
これって「クリニック」みたい演奏だなぁ、と
思うようになった。
かまわず気の向くままに、
いろんな衝動の中にいる女の子。
好きに体を動かして、好きなところをみているのですが、
どちらかというと荒れた感じを与えるのですね。
そして曲が進むうちに、
音楽が何かを鎮めて、整えて、流して、
それにつれて変化していく女の子。
この辺からいつもの暗黒舞踏とは微妙に違ったダンスに
なってきたのです。
さっきに比べて動きは少なく、格段に大人しいのですが、
やはり自分の思うように動いている。
ただ上手く言えないけど、
前と違うのは、何か大切なことか、尊いものがあることに
触れたような気がしたこと。
光や水とかそういうものでもいいし、
何か自分が生きてることの何かでもいいし。
世間とかそういうのの目とまた関わりない、
誰でもある自分だけの何かを。
(別に夢とか命とかそういう大それたことでなくても)
生活に不自由ない人でも、不自由ある人どちらでも、
ささいなこと一つでもいいからそういう感覚がないと、
荒んでいってしまいがちなのは、誰でも同じだと思う。
そういう感覚を覚えて、
何かそういう何か大切なことか、尊いことがあることを感じたことで、
逆に自分の存在の大事さも分かる感じ。
気の向くように、気の済むように動いていたのは変わらないけど、
その動きは、何かの衝動に身を任せる感じでもなく、
発散でもなく、
ああ、これって「表現」の動き、
所謂あの、「女の子が踊りを踊るだけでなく、ダンサーになる」ということなのかな?
と思いました。
うん、こじつけかもしれません。
※この後、思ったのです。竹内さんのダンスの舞台で
ヘレンケラーの「奇跡の人」みたいなのか、又はそれのダンサーバージョンみたいのを
のをやったのを観たいなぁ、と。
こういうのめちゃくちゃワガママですが、観たい観たいと思ったのでした。
あと、微妙な線でアンデルセンの「赤い靴」みたいなのもいいなぁ。
竹内実花HP
森田一踏さん
偶成天の暗黒舞踏は彼によってbutohと表記されています。
butohとは森田一踏によると「正直な心身をつくること」。
それはアートの表現としてもそうであり、ダンスセラピーによって
心身の防衛機制をゆるめることでもそうであります。
竹内さんの所では、主に芸術表現中心に記事を書いてきましたが、
ここではbutohのもう一つの側面についても。
偶成天は、単にアートであるだけでなくその表現すべてが
身体心理学に基づいたダンスセラピーで、裏打ちされています。
続けてきた竹内敏晴、野口晴哉、アレキサンダー・テクニック等の彼の研究成果がbutoh。
最近知ったのですが、森田一踏さんはダンサー以外にもう一つの顔を持っています。
葛西俊治先生という名前の、大学の心理学の教授です。
実はbutohを知るずっと前、私は市の小さな会場を借りて行われた教授の身体心理学の
勉強会に参加させて頂いたことがちょっとだけあります。
しかしその葛西教授が「森田一踏」と同一人物だと知ったのは、つい先日でした。
勉強会の講師・学究の徒、インテリジェンスにあふれ、
物静かで気弱にさえ見えたあのお方が・・・・まさか。
この落差の激しさ。(まさか)
あの教授の研究の実践が、この偶成天のbutoh。
理論に基づく、素晴らしいダンスセラピーではありますが、
アートとしても見事なものです。
私は暗黒舞踏自体はあまり好みのダンスでないので、
ますますあまり良く分っていないと思います。でも正直に感じたことを書いてみます。
偶成天の舞台は、市のイベントの路上のもの以外は男性舞踊手の出番が少ないです。
私は彼のパートは、彼女を「迎えに来る」役だと思っていました。
彼女のイマジネーションが具現化した世界で遊ぶような竹内さんを。
彼の短い踊り、存在のエネルギーの強さは竹内さんのそれと共振し、
竹内さんのダンスを収斂させて、クライマックスへと導き変化させていきます。
うごめくエロティシズム、屈強さ。
竹内さんの存在をやすやすと腕の中に収め、
犯して制すような彼の踊り方が紙一重で猥褻にならないのは、
ひとえに彼の厚みのある存在感と身体、ダンスに漂う品格、優しさのためだと思う。
鋼のような竹内さんの傍若な、ダンスの自律性と合いあまって。
どうしてか「森田一踏と竹内実花」は互いに絶妙なパートナーシップを持ちながら、
すれすれの所で決して交わらずに、それぞれがひとりのまま終る。
それが偶成天の未成熟さであり、もしかしてそれが人間の真実の一つの側面、
「ひとりで生まれて、望んでも決して誰かとひとつにはなれず、
ひとりで死なねばならない」すべての人間の宿命、孤独を表現しているのかもしれない。
だから舞台で少女にも老婆にも見える竹内実花は、森田一踏の理想の女性なのだろうか。
葛西俊治HP
偶成天HP
★偶成天はお客さん達の人気がとても高い割りに、公演の数がとても少ないです。
それはスポンサーなしで自分達で活動せざるを得ない状況だったからです。
もっと竹内さん達を観たいファンは沢山いるのですから、
ここでもやはり「マハラジャごっこ」っていうのがあるといいなぁ、と思います。
塵も積もれば山となる!!!
戻る
]]>
他アート
2003-03-17T23:59:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929650
高橋勝治
森の休日社 特集記事
癒し 全エリア編
高橋勝治(カイロプラテック・高橋治療院・北海道江別市)
ご参考までに、文末に、2006年1月現在の診療時間等を入れさせて頂きました
※無理やり掲載致しました(はは)、勝治先生と看板お写真
...
森の休日社 特集記事
癒し 全エリア編
高橋勝治(カイロプラテック・高橋治療院・北海道江別市)
ご参考までに、文末に、2006年1月現在の診療時間等を入れさせて頂きました
※無理やり掲載致しました(はは)、勝治先生と看板お写真
(クリック)
「天国は江別にある」私は、むかしそう思っていたことがありました。
体のあちこちの調子がとても悪かった頃ですね。
手術したりそういうことの必要はないのですが、あちこちの調子が悪くて真綿で首を絞められるように
心身がじわじわ弱ってきて、日々の生活が辛く思えていた頃、
ある大きな病院の医療従事者の知人にここを教えて頂きました。
身体を酷使する医療関係の人やプロスポーツの選手や農業関係の人が通って来ているようです。
初めての顎関節症で、口がほとんど開かなくなってご飯も食べられなくなった時も
職場のパソコン作業で残業が続いて首・背中・腰全てが痛んで、頭痛や不眠に苦しんでいた時。
ここに来て帰る時、私は「苦痛」という衣をすっぽり脱いでこれたのです。
口が開かなかった顎関節症の時は初回の帰りの汽車の中で、私はもうサンドイッチをパクついて
いました。(ああ、ひもじかった)
人間の幸福はまず健康であることだ、と思い知らされていた日々でした。
身体の苦痛や不快のため、したいことも思うよう進まず、あせってばかりで苦しい気持ちでした。
人間普段から、身体を正しくトレーニングしていればある程度こういう不調を防げるといいますが
現代の職業環境ではなかなか運動したり、そういうことの出来ない人が多いです。
残業の多い働く女性、OLたちの中には、「休みの日は信頼できるどこかの治療院やマッサージや
針に行って、それから買い物して帰って、それから掃除と洗濯して終わりだ」という人が結構多いようです。
残業代もそいういう体のメンテナンスに消えていくのですね。
保険診療の病院と違って、周知のことですがこういう所は費用がある程度かかります。
しかし体のことには代えられないし、
高橋先生はこの世界では、本当に良心的に施術をされてこられました。
確かに私の安月給では、負担ではありましたが「高い」と思ったことは一回もないです。
本当にいつも先生に感謝して帰りました。
先生は若い頃から「江別市を出て大きな都市で、もっと高いお金をとって開業しなさい」と
いろいろな人に薦められたことがあります。
でも先生ご自身が小さな町で、ケガの後遺症で長く苦しんだ経験があるので、
江別にい続ける決心をしておられるようです。
しかも「働いている人は日曜日しか来られない」と、
昔まだ他の治療院のほとんどが日曜日休みだった時から、ずっと日曜に院を開けていました。
そして良心的な施術料に、この高度な治癒力のお陰で私はいつも心からの
感謝以外の気持ちを持ったことはありません。
(しかし先生でも治らないことはありますので、その場合は先生は前もってそのように 伝えるし、
診ない場合もあります。
また特に不調の部位が急性期を過ぎている場合や不調の程度によっては
治るのにも時間がかかります)
残業多いと、例えば「日に一時間位の軽い運動」のようなことの余力が全然なかったりします。
「運動するくらいなら死んだ方がマシだ」とのたまわった知人がおりましたね。
みんな職場が悪いのか、本人の不心得が悪いのか。
また間違った運動の仕方は身体を確実に壊しますし、いくら正しい運動をしていても
仕事自体がハード過ぎるとやはり身体の調子は悪化していきます。
最初に治して頂いたのは、顎関節症でした。その後はひどい肩こりと背中・腰の痛みの調整。
私は頚椎の捻挫(むち打ち)が癖になって、その後遺症等と仕事柄から首、肩・背中、腰、あごの調子が
ずっと悪かったのです。
もう病院での治療は終了していて、別に骨はちゃんとくっついているし
あとは後遺症のみという状態でした。
しかし大きなケガをしたことのある人はみなさんご存知と思いますが、
人間の骨はきれいにくっついても、大なり小なり何らかの後遺症に苦しむ人が多いです。
やはり生まれてきた時のままの元通りにはならないのが、ケガや病気の悲しいところです。
別に命に関わる問題ではなく、また日常生活に大きな障害をもたらすわけでないですので、
病院でもそれ以上のことは守備範囲外です。
けれど、この各部位の痛みや、だるさ、しびれ等が日々の生活や仕事、勉強等の活動に
辛い支障となっていくのです。
「カイロや整骨・整体」には私の個人的狭い見聞では三種類あると思います。
きちんとした学校を卒業して、危険のない施術をきちんと行える所。
例えばカイロには「医学マッサージ」という別名がありますが、危険のない正しい施術により
その日その時は肩こりや腰の痛み等が解消することもあるし、
又長い時間かけて定期的にしょっちゅう通うことによって、
体の良くないところが少しづつ少しづつ良い方へ向かうように出来る所。
ここは学生の時からきちんと真面目に勉強し、きちんと職業経験を積んでいけば
大抵の施術者はこの域に到達できるようです。
怪しい講習等を受けて、にわかに施術者を名乗るようなるか又は学校を出ても勉強不足で
危険な施術を行ってしまったりで、たまに事故さえ起きるという所。
私は幸いなことにこういう所に行ったことはないです。
よく「整体やカイロ等が怖い」というのは、こういう所に行ったからだと思います。
本当に危険なので、変だと思ったら変なことをされかけたら施術者を突き飛ばしても逃げるべきだと
思います。
ある程度は「見分けるポイント」もあるようですので、
きちんとした所で知識を仕入れておいた方がいいと思います。
神技の域。血のにじむような鍛錬と、勉強によって会得した素晴らしい施術。
こういう世界の超有名人は、例えば俗な話ですが「当時No.1の競争馬の骨折した足をつなげて家一軒
建つ程の謝礼を得たり、島津家のお姫様をお嫁にもらったのでも知られている」野口晴哉。
ナチスドイツが国外に出さずに自国で戦時中飼い殺しにしたというフィンランド人。
彼は「黄金の指」と言われていました。
ここまでいかなくても、大きな都市ごとには少なくとも一人位は「神技」と思うような施術者がいると思います。
逆に言うと、ここまで厳しい鍛錬を続けてがんばれる人はめったにいません。
道具を使う訳でもなく、人間の身体を使って行うことはとても訓練が大変です。
高橋先生はだと思います。
先生の施術は危険なことはしないですし、終ったあとは本当にシアワセな気持ちになれます。
人間の身体に施術を行うために力をかけるとき、まるでテコの支点と力点の組み合わせのように
複数の方向にかかる力が合わさって、自分の体が正しい方に矯正されるのが感じられます。
これは高橋先生クラスでないと、ない感覚。
★なお絶対ダメなのは、施術の日に入浴やシャワーに入ったり、温めたり、アルコールを飲むこと。
また過度に冷やすのも良くないです。
これがあるとせっかく受けた施術が元に戻ってしまいます。
最低でも丸一日はひかえて下さい。
よくこれをしてしまって、元通り不調部位が悪化してしまう人がいるそうです。
ここで「高橋治療院」の名前が、
「高橋整骨院」と変更になりました。
理由は高橋Jr・高橋大樹(たかはしだいき)先生(先生の息子さん)がデビューしたからですね。
(現在 高橋大樹先生は、当別治療院開業)
(そして、江別は元の「高橋治療院」に戻っています)
勝治先生は今まで通り、保険外のカイロプラテックの施術専門ですが、
大樹先生は、柔道整復師として保険診療のきく、整骨の方をなさります。
実はずーっと昔に、まだ彼が学生さんだった頃に
休みに助手としてお手伝いされていたのを、一度見たことがあります。
あのいたい気で、必死にがんばっていた少年が、
いつのまにか立派になられて....(うるうる)。
デビューだから、見習い終わった位だと思ったら
ナント月日が経つのは早いもの、いつの間にか大樹先生は
「柔道整復師の学校の教師」をする程になっておりました。
う〜ん、さすが勝治先生の息子さん!!
正直言って、お父さんと一緒の開業は良い面もあるけど
プレッシャーだってあるのではないかな?と思います。
でも素直で謙虚で、人一倍努力家の大樹先生だから
お父さんの「技と心」を身に着けながら、更にご自身の
施術の世界をつくっていくのだと思います。
頼もしいパートナーが出来て、勝治先生もこれから少し
楽できそうだなぁ、と思っています。
後日追記 2006年3月
私は、もう10年以上勝治先生にずーっとお世話になってきた
勝治先生の患者なのですが、
先日行きました時、混んでいて、その時間たまたま空きだった
大樹先生が勝治先生の助手として入っていました。
※ちなみにカイロの勝治先生と違い、大樹先生は保険診療の整骨ですが、勝治先生の助手に入るときは、二人から施術を受けても、保険のきかないカイロの勝治先生の料金に含まれることに
なります。)
今までも、混んでいる時は勝治先生の奥様(大樹先生のお母上)が、助手に入られて、矯正のところ以外のことを
手伝うことがありました。
(奥様も、素晴らしいウデをしておられます)。
で、その日途中までを大樹先生にして頂きました。
今は大人になった大樹先生も、私のイメージの中では
いたい気な小さな男の子なのです。(はは、許して)
だからその日も何か、
「大樹君も大きくなったねぇ(うるうる)」っていう
そういう失礼な気持ちが私の中に、ちょびっとあったと思います。
実際、他の患者さん達も、子供の頃の大樹先生を知っている人が
けっこういるせいで、
「坊主、どれ、一人前になったかなぁ?」的発言が
施術室でもちらほら聞こえてきていました。(はは)
でも施術を受けて分かったのは、
彼は彼でまたお父さんの勝治先生とは、施術家として違う分野で
学び、今ではその専門の教官まで務めるようになった、
立派な専門家だということ。
そしてお父さんと似てると思った所は、その日の体の悪い所に
次々、ぴたっと手が行くことですね。
いつも不思議に思うこのことが、
「血は争えないなぁ」と思った所でした。
しかし学問的にも、施術の技術面でもお父さんとは違う分野の
専門家として、「この人はこの人で、別の立派な治療家」に
成長した彼に、「高橋治療院)は、
末も安泰だなぁ」と思って、安心したのでした。
(いつも「もし勝治先生いなくなったら、痛いとき、
私はどうすればいいの?」と思って、
将来に不安を感じていましたので)
経験的にも年令的にも大樹先生と勝治先生は、
かなり差がありますが、息子さんの大樹先生は、
もうすでに立派な専門家だし、素晴らしい跡取りだと思いました。
施術室で思ったのは「ぜいたくな治療院になったなぁ」って
いうことです。
混んでいると助手に大樹先生が来るなんて!!
本当はそれぞれ一軒づつ開業して、治療院を開ける二人が、
一緒に施術に当っているのですから、もったいないことだと
思いました
混んでないときは、それぞれ一人づつの施術ですが
お二人がそれぞれご活動されることで、「元気を取り戻してくれる場所」として、
「まさかの時」のお助け場所として、ますます素晴らしくなったと
思っていますし、元々、明るい治療院の雰囲気が、
ますます明るくなったように思いました。
現在 大樹先生は当別治療院開業。
2009.1
大樹先生がブログを作りました。
http://blogs.yahoo.co.jp/jyuudouseihukusi7
少しでも多くの方が来て下さることを、願っています。
勝治先生は、ここで何十年も昔から開業されていますが、
大樹先生が院長になられて、整骨院と改名されたのは、3年前からです。
院名は何であれ、父子(カイロプラテックと整骨と
守備範囲は別ですが)
末永く、いつまでもご活躍されることを願っています。
(だって、今日もまた、あちこち痛い私たち)
2013年8月4日
高橋勝治先生のご長男さんの、大樹先生が当別に独立開業されて、
しばらく経ちました。
大樹先生は、小さい中学生の頃から知っているので、
どうしても私にとっては、「お兄ちゃん」扱いです。
でも立派な腕と柔道整復師の専門学校の教師の経歴を持ち、
当別整骨院を訪ずれる人々のために、日夜がんばっている。
(もうとっくに「お兄ちゃん」じゃなく、一人の独立した施術家と
なられています)
そこに、今度は「お兄ちゃん」より、私にとっては、
まだ更に幼いいたいけな存在、
「弟さんの尚吾くん」のデビュー?が...。
どこからデビューというか、難しい問題です。
私としては、本当は、一人で最初から終わりまで施術することを
デビューと思っています。
2013年の春までの時点で、弟さんの高橋尚吾先生は、
通しで全部の施術を受け持ってはいないです。
まだ学生という部分があるので、多分お父さんの勝治先生が、
OKしないのかもしれないです。
勝治先生厳しいだろうから。
(でも、学生ながら高橋尚吾先生は、すでに副院長であります)
外見は、お兄ちゃんは奥様に似て、細面色白ですが、
弟さんの尚吾先生は、色は浅黒くお父さんに顔立ちが似ています。
そして、施術を受けた人なら分かると思いますが、
弟さんの尚吾先生は、ここ数年で、めきめきと腕を上げて
来られています。
特に、今年の春当たりからめざましいものがありますね。
(やった!)
その陰には、尚吾先生が血のにじむような努力をされてきた
からだと思います。
高校卒業してから、まっすぐこの道に進んだお兄ちゃんと対照的に、尚吾先生は別の仕事、社会経験をしてから「家業を継ぐ」ことを
選びました。
(お父さんの勝治先生もそうでした)
柔道整復師として整骨を行うお兄ちゃんと違い、
尚吾先生は、カイロプラテックを学んでいます。
施術を受ける方は、どっちでもいいことなのですが、
こういう考えの違いは、施術者にとっては大事なことのようです。
高橋大樹先生も、尚吾先生もツライのは、お父さんと比べられる
ことかもしれない?何て、外野は余計なことを考えたりもします。
昔、大けがをして、それからこの道に入って苦労して大成された
勝治先生。
その何十年の経験だけでも、息子さん兄弟にとっては、
近寄りがたいものがあるかもしれないです。
でも、お父さんと比べなければ、お二人とも立派な施術家と
言えると思います。
(2人の息子さんにかかって頂けたら、分かってもらえると思う)
だから、めきめき腕を上げてきている若いお二人は、
たくましいココロで、がんばっていってほしいと思います。
お二人が、他の施術家に比べて精神的にツラいのは、
お父さんの存在かもしれないですが、
でも「高橋勝治先生」の愛弟子になれるという、
すごい特権を持っていると思っています。
勝治先生がもし引退されたら、
いずれは、息子さん達のお世話にと思っている、
お父さんの勝治先生の昔からの患者さんたちが、
江別だけでなく北海道中に沢山おられると
思います。
勝手な考えですが、そういう沢山の患者さん達のために、
お二人には、ぜひぜひがんばってご活躍して頂きたいと
思っています。
歌舞伎や老舗の味ではないですが、
代々受け継いでいってほしい「高橋家の施術」
な〜んて、お二人ともお父さんとまた違う、施術上の考えを
もって、違う施術家になられるのかもしれませんが。
(高橋治療院)
069-0801
北海道江別市中央町1-5
要予約
予約電話011-383-3952
※交通機関は現在のものですので、必ずご確認お願い致します
新さっぽろバスターミナルから乗車 (現在・北レーン)
中央バス 江別行(5・55・6) 「野幌錦町」(旧・三番通り7丁目)下車 バスの進行方向に徒歩1分
または、
JR高砂駅 下車 徒歩20分)
地図です(クリック)
施術時間
平日・午前8時半〜午後7時
土日祝日・午前8時半〜午後五時
休日 毎週月曜日、第二火曜日(電話で確認してください)
(休日でも勝治先生在宅のときは、
お電話頂ければ、施術可能な場合もあります)
高橋大樹先生(現在・当別治療院)は、専門学校の授業がある時、
休みになりますので、事前にお電話してご確認お願い申し上げます。
※なお、これは今日現在のデータですので
通院されます方は、電話でご確認なさって下さいませ。
(C)
]]>
癒し
2003-03-17T23:58:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929649
熊谷透
森の休日社 特集記事
癒し 特定エリア編
熊谷透 (北海道エリア・札幌市・気功家・教室「風の舟」)
(札幌市中央区北1条西26丁目4-24 ?011-612-1831)
実はこのHPを作っていた頃、他にもすることがあって一日中イスに座り続けて作業...
森の休日社 特集記事
癒し 特定エリア編
熊谷透 (北海道エリア・札幌市・気功家・教室「風の舟」)
(札幌市中央区北1条西26丁目4-24 ?011-612-1831)
実はこのHPを作っていた頃、他にもすることがあって一日中イスに座り続けて作業していました。
イスの高さが合ってなかったせいもあって、ひどい腰痛が・・・・・。
イスに10分以上座るということが困難に。
その頃たまたまご縁があって熊谷さんの教室へ少し通うことに。
ほどなく腰痛はおさまりました。(熊谷先生、ありがとうございます)
熊谷さんはカルチャー教室講師の経験もあり、市内のいくつもの教室で気功を指導してきました。
時に自然の中で気功をする新聞社主催のイベントのツアーをされたり、
中国から気功の師匠を招いて合宿や講習を主催したり。
教室では、比較的小柄な熊谷さんがすくっと正しい立ち方で私達に指導を始めると
彼が大きな大陸的な内面の世界を持っていることを何となく感じます。
気功以外のことで前から彼を知っていたので、人柄の良さも分っていましたが。
穏やかで大らかな器のある、温かい先生です。
教師に必要なクールな判断力もあり。
また多方面に渡る読書家だし音楽や他の事にも造旨が深く
教室の休憩時間の時などには、面白いお話しを聞かせてもらえます。
気功教室は気功を教わる以外に、いろいろなお話を聞けるのも楽しいですよね。
一般に、気功の先生にはお話しの上手な方が多いです。
熊谷さんは、気功家の中健次郎氏(全国の気功教室の教師の方々の指導もされる)の
札幌地区の気功の合宿や講習をいつも主催しています。私も幾度か参加させて頂きました。
街の気功教室の教師の方達にはいろいろ個性がありますが、
熊谷さんは見た目は穏やかな一般人という感じの方です。服装もいつも平着のせいかも。
だから受講者も気楽な感じで、気功を始めることが出来ます。
そのように熊谷さんが考えてされているのだと思います。
同じ気功でも「武道」の方に重点を置くということはありません。
ですから熊谷さんとご縁の出来る方も、平和を愛する福祉・文化関係者が多いような気がします。
熊谷さんは、元は英語の教師でした。今は気功教室一本になりましたが
昔は英語教室と両方をなさっていました。世界を旅して歩いたこともありますし、
ボストンマラソンに参加したり、福祉関係にも積極的だし、今は気功が忙しい等諸事情で
出来なくなったようですが、
ご自宅を福祉・文化関係の人たちのために一部解放していたこともあります。
癒しの他にも「気」の力はいろいろありますが、
一つは武道にもなる「柔拳」というような破壊的パワー。
もう一つは、目に見えない「気」がそれぞれの人間の間をゆるめて風通しがよくなるかのように、
コミュニケーションが楽になるという作用があります。何かその時自分に必要な形での。
リラックスして、人見知りがやわらいだりするのでしょうか。
熊谷さんの「気」はコミュニケーションを活発にする方の力が強いように思えます。
気功以外の場面でも、気の通りが良くなりリラックス出来るせいか
積極的な人間になれるような気がします。
どうしてか気功に限らず熊谷さんの周りには絶えずいろいろな人の流れがあり、
福祉や文化関係の良いたまり場になっていたりしていますし、
若い人たちも熊谷さんをしたってよく集まるようです。
今はそれが高じて下宿屋さんまでしているよう。
時々彼が出会ったいろいろな人たちのことを、本に書いたらそれだけでも面白いだろうな、
と思ったことが何度もあった程。
よく気功の教本には心身を調整することで、頭の働きも活性化するとあります。
何か勉強しなければならないときは、気功も合間に組み入れると成果が上がりやすいそう。
もう今は休業されていますが、彼の英語教室も気功のリラックスした雰囲気を生かして
良い成果を上げていました。
私が熊谷さんを知りましたのは、
気功でなく他民族音楽のライブの客席。たまたまお互いあちこちのそれによく通っていたからです。
よく顔を合わせたのと、その関連で共通の知り合いが何人かいたからです。
気功の先生だということを知ったのさえも、少し後からでした。
だから熊谷さんの気功教室がこんなに良いと知ったのは、ごく最近の冒頭の出来事からです。
「灯台もと暗し」というのでしょうか、意外と身近な所に良い教師がいたという嬉しさ。
熊谷さんの気功教室の特徴は、
教師出身のせいか熊谷さんが人にものを教えるのが上手いということです。
熊谷さんご自身は、勉強熱心で全国の気功の学習会のみならず中国にもよく勉強に行かれています。
初心者から上のクラスまで指導。
私の腰痛も彼の指導の下で、ほどなく完治。
特に「気功」に何となく気遅れというか、偏見というか抵抗のある方は
熊谷さんの教室へ行ってみるといいと思います。
本来気功は特別なことでなく、昔中国でそうだったように一般市民の日課、
普通の生活の中のささやかで大切な一部であるのです。
健康維持であり運動であり、自分の潜在能力をオープンにするためのリラックスした時間。
そういうことを熊谷さんは彼のこだわりのない雰囲気から、伝えてくれます。
彼は人を圧しようと思ったり強制しようとしない、自由な人だから。
(C)
戻る
]]>
癒し
2003-03-17T23:57:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929648
中健次郎
癒し 目次
全エリア編 中健次郎 (気功家)
特定エリア編 熊谷透 (気功家)
全エリア編 高橋勝治 (カイロプラテック)
森の休日社 特集記事
癒し 全エリア編
中健次郎(気功家)
中健次郎先生は若い頃に中...
癒し 目次
全エリア編 中健次郎 (気功家)
特定エリア編 熊谷透 (気功家)
全エリア編 高橋勝治 (カイロプラテック)
森の休日社 特集記事
癒し 全エリア編
中健次郎(気功家)
中健次郎先生は若い頃に中国に渡り、それからずっと中国をベースに世界中を放浪しています。
気功、太極拳を中国の大家に師事してずーっと修業を続けてきただけでなく、
北京大学、北京中医学大学で中国伝統医学を学んでいます。
また冒険家としても知られ、人のあまり行かない南の島々や奥地も歩き武勇伝も多々。
又仏教、キリスト教等の世界中の聖地を訪れ、聖人と言われる人々とも沢山の交流がありました。
先生がよく使われる「道を求める」という言葉がありますが、
多方面にわたってこのようにひたすらに修業を続けてきた先生の人生は、その通りだと思います。
先生は宗教家・宗教学者ではありませんが、出身地の和歌山県は高野山のある所。
先生はもしかして子供のころから修行僧たちの空気、生き方に無意識に影響を受けてこられたのでしょうか。
先生の生活もそれに似た部分があるように思います。
そもそも本来気功というもの自体の根底にも、仏教思想が流れています。
日本にはいつも数年位に一度位づつ戻り、「日本の旅」という名で日本縦断合宿ツアーを行います。
(日本のお弟子さんたちは、早く先生が危険な探検・修業を止めて日本に帰国することを
望んでいるのですが・・・・)
その合宿には、日本中のファンの方達や気功教室の教師の方達、医療健康関係者
またアート系の人たち等が沢山集まります。
日本では気功教室の先生達の指導をする感じです。
又老若男女の合宿ツアーの「追っかけ」が多いです。
実は、私もその一人です。
気功の世界では、先生を知らない人はもぐりだと思います。(はは)
中健次郎先生の多方面に渡る素晴らしさはここでは、書き切れない気がします。
だから私が支笏湖の合宿で見せて頂いた気功の模範演技(?)、
「拝仏功」のことだけを書きます。妙なことですがあれだけでも私には十分でした。
昔から先生のお弟子さんだった人が言うには、
普段は入静しないで、お弟子さんのお手本になるためだけにするのですが、
まれにこの時のように入静して行うことがあるそうです。
それはもう、筆舌に尽くしがたいものでした。
このためのとても素晴らしい音楽があるのですが、私が見たときたまたまカセットがなくて
無音で行われました。
初対面の時の平着の先生の外見は失礼ながら、
とても感じが良い、普通の男の人に見えました。
(「普通の人」でない人なんていないし、逆に「普通の人」なんて、いませんが)
しかし後であのマオカラ−(襟)の紺の気功の衣を着て、師匠となった先生は
本当に最高の教師だと思った。
気功をほとんど知らなかった私は生まれて初めて見る、先生の美しい動きに見とれていました。
私は、あれほど美しい動きをする男の人を見たことがありません。
ため息が出て、自分が教わった動きをするよりも、先生を見ることに、
心がいってしまいそうになる。(はは、ごめんなさい。やましい心はありません)
古くからある気功・太極拳の沢山の流れのなかには、
この「美しい動き」を追求することを否定する意見も、一部にはあるらしいです。
舞踊等の芸術とはまた違うので、それを追求し始めると本質を見失うと。
これは舞踊や能楽等の芸術系の美とは、また種類を異にすることなので。
つまり芸術は何かを表現するためにありますが、
気功や太極拳は健康維持や治療のためにあります。
私も確かにそう思いますし、実際中先生もめったにこのようなことをしてくれることは
ないようです。
しかしこの中先生の動きの美しさに関しては、「本質を見失うことではない」と私は確信しています。
別に「美しく動こうとしている」のではなく、高い精神性を求め、厳しい身体の修練を積んだ結果に
現れた「美しさ」であるからです。
それは正しい身体の位置、動き、精神性がもたらした「副産物」。
あのやさし気で流れるような動きは、一見誰でも簡単に出来ることのようですが、
昔、中先生が中国で師匠に最初に弟子入りした時には、「ただ立つ」というその「立ち方の姿勢」だけでも
及第できなくて、何ヶ月もただ立ち続けさせられたそうです。
それ程本来の気功の「正しい体のポジション、姿勢」は難しいもののようです。
また武道としても、気功・太極拳は強い力を持っています。
一般に筋力を鍛える荒々しい武道は、剛拳と言われ相手に骨折等の外傷的ダメージを与えます。
しかし一見軟弱にさえ見える柔拳と言われる「気」を使う気功・太極拳は
筋力でなく気の力で相手の内臓にダメージを与えます。
つまり破壊力は柔拳の方があるのですね。
たまにテレビ番組でやっている気功で「触らないで離れている相手を吹っ飛ばす」術は、
双方がある程度訓練を積んで気の通りが良い同士でないと、うまくいかないそうですが、
気の通りが悪い相手とであっても、もし指一本でも触れ合うと、
時には宙を舞うというか、ぶっ飛ばされるハメになるようです。
(もちろんすべての武道の大家がそうであるように、その力を身につける修練の過程で
高い精神性を身につけ、力の悪用は決してしないように教えを受けていきます。
堕落しないように。堕落した人は精神性が欠けるため、最高の武道家にはなれないようです。)
「美」というには、あまりに神々しかった先生の練功の時の模範。
「拝仏功」をただ黙ってみていると、かすかな天上の光というものが存在するようにさえ思えました(はは)。
あの動きは結局、心と体を修練しつづけ、いろいろな学問を修め、
世界を旅して歩き、また神を求めた、先生が得た境地なのだと、思った。
きっとあの動きの常ならぬ美しさ神々しさによって、だらけた生活をしている私のような人達が
まずこの「気功」という素晴らしいことの存在、また気功に限らず心身の鍛錬又は高い精神性の追求
そういうことがもたらし、導いてくれる素晴らしい世界の存在に気づくことが出来るのだと思う。
そのためだけでも、時々先生に入静してああいうデモンストレーションを
行ってほしいと願って止みません。
さてあの支笏湖の時のことに戻ります。「拝仏功」。
気功の所作を始めると、先生のいる空間がまるで澄んできたかのよう。
薄白色の光が、かすかに差してきたかのよう。穏やかで、端正な表情。
沈黙の中、体を動かす気配だけがして音楽のよう。
無音だっためにかえってあの静かな、動きが移る時の気配が消されずによく分ったのです。
あの気配の動きが、何より美しかった。
沈黙が何よりも美しいことがある、と初めて思った。
(ただ、それだと会場がある程度小さいライブハウス位の大きさのところでないと、
伝わらないかもしれませんね。実験しないと、わからないですが)
美は素晴らしいものあり、大いなる癒しともなりますが
時に裏目に出ると優越であり威圧にもなることがあります。
気功を教わる練功の場面において、先生は多分教師としてあまり私達が緊張するようなことは、
極力避けておられるような気がします。
だから、舞台の上で見せる為だけの気功をする時とは、また普段の練功は違うのだと思いました。
先生の気功を見て、「本当の美とは、精神性に裏打ちされるものだ」ということを、
教えられました。
先生が「道を求める」とおっしゃいましたが。本当に道を求め続けた先生の人生が、
あの動きに出るのだと、思いました。
先生にお会いしてから、気功は自らの体の動きと、
自然、宇宙が一体になって、光が現れるものだと、言葉でなく目の当たりにすることで教えられました。
しかしこのデモンストレーションが素晴らしかったからといって、
中先生を美化しても仕方ないと思います。あくまで中先生も人間だから。
たしかに気功は素晴らしいものですが、普段の先生は見た目も普通の感じですし、
穏やかで気さくな感覚のある方です。
若い頃から修行ひと筋で、海外の特殊な環境で生活され続けられましたので、
世間のことには情報的には疎く思えたり、感覚的に多少しズレて感じることも。
しかし真理は道が違っても合い通うずるというのでしょうか、
先生のお話って、どちらかというと超越的なことが多く現実離れしているようで
実は、現実が次の日から、変化してしまうような含蓄のあるものが多いようです。
先生のお話しは教えや極意は「世間の最前線の一つである」様々な企業等のセミナーでも
引っ張りダコですし、普遍的な本質を私達に教えてくれるのでした。
話変わりますが、先生は時々恐ろしいことをするのです。
本当は私達は絶対に止めてほしくて二度としてほしくないことではあるのですが
ノルウェーの600mの断崖のふち、吹きっさらしで通常地元の人が腰に紐をつけて
這ってでないと近づけない場所があります。
先生はそのふちで腰に紐もつけず、立って気功を行い
三脚にしばりつけた自動シャッターのカメラで、自らの写真を撮りました。
(余計なお世話ですが、どうかあの崖のような危ないところでは、
できればもうなさらないで、欲しいです。一生のうち一回だけあのスライドさえ撮れば、
あとは必要ないですよね)
あれはトンデモナイ危険な行いだと思います。
ただその意味は曲芸をしてみせたのではなく、
先生は、長い年月かけて修行してきたことの一つの区切りをつけたのかもしれない。
長い自分自身の心身のトレ−ニングをひと通り終えた後、あとは天と神に運を任せて、
あのノルウェ−の崖で何のわずらいもなく、動けたのだと思いました。
人は自分のぎりぎりまで努力し続けた後、
その先にきっと天の、宇宙の、神の恩寵が現れるのでしょうか。(よくぞご無事で)
これもまたあまり美化してはいけないと思います。
先生はこのスライド上映のあと、あっさり笑って言いました。
「このあとトルコのカッパギアでもう一度やった時は、断崖から転げ落ちて片足骨折しました。
ノルウェーと違って不摂生な生活をして、不心得だったせいです」と。(いや〜)
絶対に私達は真似をしてはいけないし、出来れば先生にも二度としないでほしいものです。
先生もそろそろ落ち着いて、日本に帰国されて日本をベースに活動なさってほしいと願って止みません。
(勝手な望みでスミマセン)
中健次郎先生ファン公式サイト
※
中先生 合宿写真です。
★後日追記(2004.10月)
中健次郎ご夫妻は長年の中国滞在を終え、ついにこの秋日本にご帰国されました。
三重県の熊野に居を構え、しばらくの準備期間を終えたら活動開始されると思います。
(しかし、第二の故郷中国への里心や、世界放浪癖の再発が私達の間で懸念されています)
中先生ならではの、ご活動を心から楽しみにしている全国のファンが沢山いるようです。
所用もあって内地へ行き千葉の合宿へも顔出し致しました。今回は又いつもとガラっと違う、
中国でもめったに学べない気功を教わることが出来ました。
あとはこれからの日々毎日継続して精進を続けていれば、新しい素晴らしい自分に生まれ変われそうです。
(・・・・・一ヶ月弱経ったここ数日間、情けないですがもはや怠けています。
「新しい自分に生まれ変わる」のはいつなの?又明日からがんばらなきゃ。)
前述は北海道での「拝仏功」の模範気功。今回は太極拳で気の動きを見せて頂きました。
私たち参加者は、又ため息が出るような素晴らしい舞台を見ることが出来て、とても幸福でした。
「拝仏功」のように型がきっちり決まっていて、それを精進して磨き上げていくものもありますが、
今回のは型がなくて「気の動きにつれて先生の動作が起こる」という不定型の自由なものでした。
「拝仏功」同様今回は音楽なし。
舞台としては「拝仏功」のように長年磨き上げた形(クラシック)のものは迫力がありますが、
今回のように先生の気の動きにつれて動作が起こる即興の、果てることのない美しい流れの奔流を
目の当たりにすると又別の感慨があります。
先生は気功・太極拳は舞踏ではない、という思いがあられるのか照れておられたのが残念でした。
私たちが無理にせがんで見せて頂くので、中先生ってば、照れている時の方が多いんですよね。
(舞台アーティストはまず照れると大なしなのですが、気功・太極拳は別の教えの元に行われるものなので
私のワガママな小さな不満は慎まないとダメですね)
本来目に見えない透明な、尽きることのない「気の動き」が多分生きることなんだと思いました。
私たちは生きていると様々な出来事にあい、喜んだり悲しんだりいろいろなのですが、
そういう表層の部分でなく、真の底の深い部分では肉体・物質でも精神でもない、感情でも理性でさえもない
ただのエネルギー、「気」の流れがあるだけなのかもしれない。
そこに近づく叡智に至る一つの素晴らしい方法が「気功」という修行なのだと思いました。
気功の指導をされている方の中には、普通に生活しながら気功をなさっている方も多いですし
それは悪いことでも何でもありません。気功自体には関係ないと思います。
ただ中先生は他人に無理強いはしませんが、とても禁欲的な生活をされてきた方です。
菜食、粗食、禁酒。近年は甘いものも好まれないようです。
この背景には、中先生の生まれ育った和歌山の高野山の修行僧たちの影響が強いと思います。
そして古き良き中国の気功・太極拳も禁欲的な生活をしながら、修行することを教えています。
又長じて先生が世界中の聖地をめぐり、多くの聖人と交流した結果同様の影響を受けたのだと思います。
※ちなみに中先生は何か特定の宗教だけを支持したり、入ったりすることはないですが、
宗教学者と言ってもいい位、世界中の聖地をめぐり聖人達と交流し、
世界のいろいろな宗教学を学び、そこから良い影響を受けています。
本来「気功」は原初の頃の仏教思想が多分に入っているものだそうで、
生まれ故郷の高野山の修行僧の姿と合いあまって、中先生のバックボーンとなっているとは思います。
特に高野山だけで学んだ訳ではありませんが、先生が27才頃ちょうど空海の入定後1150年という
大きな時期にあたり、関連の荒行をされたこともあるようです。
私は凡人なので、中先生のようなストイックな生活をすることはなかなか出来ないでいます。
ただ私なりに考えたことがあり、それで中先生のような生活を素晴らしいと思えます。
理由は幾つかあります。
まず環境問題、健康問題。これらに上記のことは良いことだとと思います。
又ほとんどの宗教の宗教家や多くのアーティスト達がこういう生活を好む理由である
「穏やかな精神状態を維持しやすくなる」、心の浄化のためにも、プラスすると思います。
さて気功においてもなぜこういう生活を修業の中で守らねばならないのでしょうか?
聞いてみたことがないので、答えは分かりませんが何となく想像したことがあります。
「気」のエネルギーは無駄を削ぎ落として、初めて表面に現れてくるものだと思います。
お酒のエネルギー、高カロリーの高価な食物等こういうものは、すべて人間がエネルギーを得る
素晴らしいものだと思います。(「力」(リキ)をつける、と言うではないですか)
しかしそれらは体にいいことばかりでないし、多分修業の過程の中では
いずれ「まがいもの」扱いになっていく低いエネルギーなのでしょうか?。
表層のものを削ぎ落としたとき、はじめて出てくる純度の高いエネルギーを「気」と呼んでいるのだと
思います。
★しかしながら体も脆弱で、一般社会生活を送る、しかも修業の足りない不心得者の
私はストレス解消にお酒を飲んだり、肉(元々若い頃に比べたら量は少ないです)や
お菓子を沢山食べてしまいます。
※ただ玄米は普通に作ると、白米より農薬が米に残っているらしいのと、
肉より健康にいいはずの魚は水質汚染のために地域によっては毒性が高いそうです。
アメリカではすでに「妊婦は食べてはいけない魚のリスト」が国から配られているそうです。
まず健康には環境を改善していかないとダメなようです。
でもここ20年位かけて市民運動が広がってきて、部分的には改善されてきていますよね。
(逆に地球的には悪化している部分も多いですが)
一時疲れがとれて、エネルギーが出たりストレス解消されたりするので、
多分今の私に必要なのだとは思いますが、
中国の至宝、気功が教える本当のエネルギーはそういうものと対極にあるのだと少しづつ
理解できるようになっただけでも合宿に参加して良かったと思っています。
気のエネルギー、気功は偉大で素晴らしいものです。
ただ本当にそれが身につけるは、やはり厳しい修業が必要なようです。
私は今の所なかなか及びもつかない、情けない状態ですが、
自分で出来る範囲、日常生活の中でささやかに気功・太極拳を楽しみたいと思っています。
自分の潜在能力をオープンにするための、かけがえのない時間だから。
中健次郎先生スケジュール
千葉の合宿のこと
中先生の合宿は全国各地で開催され、中先生にご指導頂くことには変わりないのですが
開催地・主催者によってカラーが多少違うようです。いずれも素晴らしい、個性のある素晴らしい合宿。
その中で私の好きな千葉はどちらかというと、地味な合宿かもしれません。
他のフィールドのアーティストの方等と中先生達とのジョイントがあったりする他の開催地と違い、
千葉は気功一本です。(ジョイントのある所も又別の意味でとても素晴らしく、
多くの感動と学び・影響をを参加者の方々は得られます)
地元の「気功道友会」主催で、ただひたすら気功を真摯に学ぼうとういう雰囲気。
長年気功をされていた参加者も多いです。でも初心者でも十分参加できる内容ですのでご安心。
千葉のすごい所は、バックにズラりと控える道友会の気功の教師陣ではないでしょうか。
教室を開かれているか、実質上の教師レベルに近い方々が後列で沢山守りを固めておられるのですね。
自分達も中先生のご指導を受けたいはずのなのに、それをガマンして初心者達に
奉仕活動をしてくださるのです。
私たち初心者は、中央前のステージで、中先生が長い修業の中で磨き上げた素晴らしい体のフォーム、
ポジションをお手本に頂きながら、自分の細部の動きの間違いを、
バックの教師陣の方々に個別にさりげなく訂正、指導して頂けることがあるのですね。(うるうる)
と言う訳で私は千葉の合宿が大好きです。(でも未熟者の私は先生方にいつも迷惑をかけて恐縮です)
★道友会の教師陣の方々は誰一人とっても個性豊かで、素晴らしい教師ばかりです。
一人一人書いたら、とても長くなると思います。
ここでは主催代表窓口を務めて下さっている猪野多佳先生のことを少し書かせてください。
猪野先生はご自身で気功教室を開かれている、ベテランの名教師です。
4年以上前に千葉に参加したとき猪野先生に初めてお会いしました。
その時一番印象に残ったのが、
「私、気功に出会ってから幸せで、幸せで」と、光り輝く表情で微笑まれたことでした。
わたしよりずっと年上の女性、人生経験もある素晴らしい教師の方に失礼なのですが
本当に無垢な少女のような、幸せな表情にとても感動したのを覚えています。
猪野先生の心が皆にも映るかのように、千葉の中先生合宿に参加した人たちは
みな何かしら頂きものをして、心身ともに軽くのびのび幸せな気持ちになって帰路につきます。
ああ、こうやってみんな合宿追っかけになってしまうのですよね。(はは)
★追記 2005年9月 登別
老若男女を問わず、中健次郎先生には全国の合宿をはしごしてあるく
「追っかけ」が沢山います。
「気功は寝て治療を受けるものではなく、
本来どんな下手でもいいから、毎日少しづつ自分でするものだ」
という厳しい指導をものともせず、沢山の参加者に中先生はいつも
囲まれていますね。
中先生は既婚者で、奥様がおられます。
多分、中先生に連いていける女性はこの人だけじゃないかなぁ?と思った
ことがあります。
で、今回ついに来道、見てしまいましたね!!(あ、ミーハー)
これが、細い、雪のように色白の佳人!!
本当に女優の小雪さんを、中国美人にして普段使いにしたような!!!
三十台半ばのはずなのですが、22才位にしか見えないのです。
お人柄も、気持ちの良い、優しい、イキイキした方であります。
中先生の助手をされるときも、指導が親切で的確です!!
気功の先生は、すごく年下の奥様をもらっている方が
多いらしいですね。
昔の中国人が、すごく年下の女性と結婚することが
多かった影響なのでしょうか?
それともエイジレスの魔法というカンジの「気功」ならではの
象徴なのか?
中先生ご夫妻も年の差が十五歳!!
でも中先生だったら、その位若い奥様でぴったり合うのかもしれないですね。
中先生程、修業ひと筋で、求道的な方で、生真面目な方だと、
十五歳位年下の元気な女性が「息抜き」で、エネルギー源にも、
なるのかもしれないですね。
包容力のある中先生は、奥様にパートナーとして
自由にのびのびいろいろな活動を共に出きるように、
励ましてこられたようです。
奈良女子大生の頃知り合われたらしいのですが、卒業して中国に
渡った後も、共に人民大学、中医薬大学で学んでこられたそう。
「益々美しくなり、惚れなおしています」といつも、
合宿で暢子さんのことをのろけている中先生ですが、
暢子さんのお話を聞くと、奥様を「ほったらかしで、いなくなる」時期もけっこうあったようです。
奥様を中国に置いて、冒険や修行の旅に世界に出て行って
戻って来ない!
それで中国人の兄弟子たちが暢子さんに
「妻をほったらかしにするなんて、健次郎はとんでもない奴だ!!
ぶっ飛ばしてやれ!!」と
けしかけ、何と暢子さんに武道を伝授してくれたそう。
そして一年半ぶり位に中国に戻った健次郎先生を、
「お出迎え」に暢子さんが気でぶっ飛ばした話には、
お二人ならではの、ハードな「ラブ」をカンジました。(わはは)
合宿、もの覚えの悪い私に細かい所を
さり気なく教えてくださる暢子さん、
私より年下ながら、なぜか自然に私は彼女を「暢子先生」と
呼んでしまいました。
暢子さんは、カンロクないし(失礼)、か細く、いたい気で控え目で、かわいらしいのですが、
気さくな方ながら、実は大の男はぶっ飛ばすし、
競争の激しい中国の最高の学校で
健次郎先生とがんばって学んでこられた方です。
講習のステージの上で、模範のお手本を示される健次郎先生と、
助手として、間に個人的な指導をして回られる暢子さんのお陰で、
いつもよりなお、良い勉強が出来た合宿となりました。
やはり舞台の中先生に、目で見える模範を示して頂くだけでなく、
自分の細かい間違いを、正して下さる方がいると
やはり上達が違います。
暢子先生にも、今回随分お世話になりました。
そんな素晴らしい暢子さんに比べて、自分があんまり
運動神経も鈍く、もの覚えも悪いので情けなくなり
それを口に出すと、
暢子さんでも「芽が出ない時期が7〜8年位あった」と
お話してくれました。
芽が出ると、面白くなって師匠の家の側に引っ越して
がんばったそうですが、それまでは全然だったそうです。
(う、少し希望が!!
私でも7〜80年(ゼロ一つ多目)あれば芽が出るかも)
健次郎先生も言っていましたが、
体はすぐには変わらないそうです。
それでいて、毎日続けることでいつの間にか
少しづつ変化していくそうです。
やはり何の道も同じで
「ローマは一日にしてならず」なのですね。
でも逆に、努力を続けられれば
いつか変化が起きるということなのですね。
お二人の太極拳
私たちに模範としての、気の流れのままに動く、
観せる為の太極拳を
中先生はして下さいました。舞台の上で。
その時、暢子さんもご一緒に。
気功は教わると、よくテキストに出てくるのは
「女子は右で、男子は左側から」というのがあります。
男女は生物学的に逆方向なのか?と
不思議に思っていた箇所でした。
でもこれを観て、何だか分かった気がします。
中先生と、暢子さんの同じ動きが、左右対称になって
とても美しいのです。
男女が一緒に動くとき、これがぴったりくるように
なっているのですね。
やはり「つがい」が人間は自然なのか?
それとも「つがい」は不自然なのか?
今の私には分かりませんが、気功等はつがいが
基本なのかなぁ?と思ってしまいました。
暢子さんはあの年で、素晴らしいのですが
やはり中先生の完成度のとても高い動きの、
抑えても現れる迫力はまだです。
が、よくこんな人(中健次郎先生)について来れるなぁ、
と驚く程素晴らしかったです。
暢子さんの素晴らしさ、そしてだからこそ良く分かる
健次郎先生の怖さが良く分かりました。
鍛え上げた体の正しいポジション、動きが
あれほどの美しい太極拳を可能にするのだと思います。
そのほかにも生活の全て、精神の鍛錬、そういうものが
すべて統合されて、完成されていく程に美しい動きが
現れるのだと思いました。
日進月歩で伸びていく、素晴らしい暢子さんと、
神界へ踏み込んでいくような、健次郎先生、
これからもお二人のご活動が、とても楽しみです!!
後日追記 2007年2月
これは、私の個人的な合宿の感想の追記です。
中健次郎先生ご夫妻は、またインド方面に
おられるようです。
今まで、中先生の合宿に出て、一つ感じることがあります。
帰国人子女問題ではないですが、
中健次郎先生は、中国生活がとても長いため、日本の国民的な感覚と
少しずれを感じる所があるような気がします。
中国に住み、いろいろな中国人のお師匠様に弟子入りし、厳しい修業生活を
ずーっと送ってきた中先生は「舅・姑根性」という、私怨的なこととは全然
別の意味で、部分的にすごく「キビシイ、キツイ」部分があるように思います。
ふだんは、飾り気ないながら、誰に対しても柔和で、人当たりが良い先生です。
でも、合宿の中で本気で真剣に気功を学んでいる、本気の人に対してだけは、
特に男の人には、いつもでないですが、たまに、女性の私から見ると、
「ぎょっ」とする程、キビシイく思えることがあります。
でも先生ご本人は、大して「コワい」つもりはなく、
ふつうの表情ですので、多分先生ご自身が、中国で
かなりの目に合って、それに耐えてきたのだと思いました。
......あ、別に優しくして欲しい人(軟弱でチャラチャラした私とか)、
コワがらなくも大丈夫です。
中先生は、ちゃんと区別して下さっていて、合宿で個人的に先生とお話し、
気功等に対して、本気のやる気を何度も見せないと、こういう扱いは
されないですから。
中先生の口から、中国の悪口を聞いたことは、一回もないです。
中国の師匠を、いつも立てて、本当に敬っておられます。
中先生ご自身も中国の神秘と力に魅せられ、長い間住んで学び続けて
おりました。
でも、日本人が行って、口にできない苦労は多分、沢山あったと思います。
また、中国と日本は国民性が違うようです。
日本は「恥の文化」と言われる側面もあるように、
人前でのことは、思いやったり、柔らかかったりする部分も
あるのですが、
中国は、日本から行ったビジネスマンが、自分のHPに、
中国は、日本からみると残酷に思える国民性があると書いてありました。
私は、このビジネスマンがどんな人か全然分からないですが、
偶然うちののアドレスに来たDMによって、そのHPを知りました。
(この内容の実情は、私には全然分からないし)
小池さんからの手紙の102回目のところで、ミクシイの話の後半に
出てきます。
http://www.e-tomsouya.com/tomsouya_column_top.html
中先生は中国人の師匠たちの素晴らしい話をいつも聞かせてくれていますし、
これはビジネス界のごく一部の話かもしれないです。
(日本でも中国でも、どこの国でも、いい人もいれば、そうでない人もいますので
ひとくくりにはできないですし)
ただ、こいう国民性の差がある場所で、中先生ご夫妻が長年修業してこられた
ことが、
日本に帰ってきたばかりの、中先生にまだ少し残っているかもしれないなぁ、と
思うことがあったりします。
ちなみに、中先生に部分的にキビシイい指導を受けた男の人は、私が知っている限り
二人ですが、彼らは何だかあまり気にしていないようで、その後も先生の合宿に関わって
おられますので、女から見る程は、大したことでないのかも。(はは)
中先生が、はたから見てると損だなぁ、と思うことがもう一つあります。
それは、中先生は北京大学や中医薬大学に留学し、又気功や太極拳の師匠達の
門下に入り、また世界の聖地を巡り、奇跡の聖人たちに沢山会い、
修業を続けてきた人です。
そのため、徒弟制度のきつさが、骨の髄まで染み込んでいるカンジ。
常に謙虚な態度で、何か人と話すときも、自分の意見を言うというより、
中国や、日本で学んだ師匠等を立てて、「先生の教えによると」というような
話し方しかしない場合が多いです。
学術論文のほとんどには、必ず引用マークがついていますが、
あれと似ている気が少し。
(あれって、引用がずーっと続き、結論のオリジナルは論文の最後に
ついてる場合が、多いですね)
ただ、本来中先生は、その人生が示すように、すごくユニークで、めったにない
個性の持ち主だと思います。
(大体、そもそも日本でも市井の教室の気功の先生たちからして、
みなさん、地味ながら本当に個性豊かな人ばかりだもの)
先生は「道を求め」ご自身でこれと決めたことを、ひたすら進んで来ました。
本当は、個人的に本当にご自身の自説、ご自身の意見がものすごく沢山あると
思います。
ただ、徒弟制度の下で生きてきたので、あまりそれを外に出さないくせが
ついていると思います。
だから、あまり先生を知らない方には、「自分の意見がない人」と誤解されがち
ですが、それは又別の問題だと思います。
(体育会系の人には、こういう余計な説明いらないと思います)
私も個人的に中先生とお付き合いがある訳でないですし、
合宿の追っかけ、というだけですが、
それでも中先生の合宿の終わったあとの、心地よさは何にも変えがたい
素晴らしいものです。
帰国されたからまだ、あまり時間が経っていませんが、
いろいろなご計画もあるようですし、これからが楽しみです。
2007年10月13日 後日情報
中健次郎先生は、2007年11月中旬発売予定の、
雑誌「壮快」一月号(マキノ出版)に、一年間の予定で、
連載が決まっております。
マキノ出版大好きな私は、すご〜く喜んでおります!!
(C)
(C)
戻る
]]>
癒し
2003-03-17T23:56:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929647
OKIさん
OKI(ワールドミュージック)
トンコリ(樺太アイヌ伝統的弦楽器)、エレキギター奏者、ボーカリスト。音楽プロデューサー
アイヌ伝承音楽をベースにした現代音楽、オリジナル曲多々。
初めてOKIさんのトンコリの演奏を聴いたとき、次第に音...
OKI(ワールドミュージック)
トンコリ(樺太アイヌ伝統的弦楽器)、エレキギター奏者、ボーカリスト。音楽プロデューサー
アイヌ伝承音楽をベースにした現代音楽、オリジナル曲多々。
初めてOKIさんのトンコリの演奏を聴いたとき、次第に音楽に洗われて私の見たことのない
野性の大地、「遠い彼方の蝦夷の地、太古の北海道」の幻影が現れ始めたような気がした。
私の知っている文明の都市ではない、神と大自然と共に生きようとしたアイヌ民族の集落、
命の糧を運んでくる河の水の大きな流れを。
どの楽器演奏もとても上手い方です。ゆったりとした癒される曲想が中心。
テーマもボーカルもアイヌ伝承のものをふまえた、素晴らしいワールドミュージックでもあります。
アイヌの歌で有名な安東ウメ子さんもそうなのですが、
アイヌのボーカルはインドの古典音楽の歌を彷彿させる部分があります。
アイヌ独自の、別のものなのですが共に根源的な発声を感じさせるからでしょうか。
またそこを彼はhiphopのティストで処理して、ポップスが好きな普通の若い世代の人も一緒に
楽しめるような現代音楽にしています。
OKIさんの素晴らしいサウンドは世界で評価されています。
アイヌ民族の楽器は原初的な力を感じさせる素朴な音色の民族楽器ですが、
演奏家としての彼は素朴だとは思いません。(いい意味です)
勝手な想像ですがアイヌ民族ということより、
この人は芸大という所にいたためにこういう感じの民族楽器の演奏が
自然に出来るようになれたのかな?と思った。
良くも悪くも周りに楽器の下手な人(発展途上の人)がいない、
気を抜ける瞬間がない環境でアーティストとしての自己形成をしてきた人という感じ。
演奏家として「瞬間的に最も安定する、ムラやアラのないスタイルを選択して実現できる
音楽のための三半規管(?)」のようなものが培われてきたような気がします。
演奏中も全体の演奏を実に良く聴いている気がしました。
そして例え共演したことのない楽器とでも、また何かあやういリスクのある瞬間でも転ばずに
瞬間的に名演奏に仕上げる力。
まあ多彩な方面で活躍されている彼が何を学校で専攻されたのか知らないのですが。
私は音楽が分らないし、
別に音楽にどの学校もないと思うし、要は一人の音楽家が辿る道のりの中で学校を選ぶ人も
選ばない人もいるという位の認識しかないです。
芸大だから好きとか嫌いということもなく、あくまで演奏家個人それぞれが
自分の好みの音楽をしそうな人かどうかという点で、チケットを買うかどうかを決めています。
OKIさんと逆の、不安定な感じの演奏をする演奏家の良さに魅力を感じることもあるし、
その時の好みそれぞれだと思っています。
ただ良くも悪くも芸大は権威であると同時に、芸大以外のアーティストの指標、標的にされる辛さもあると
思います。専攻が音楽であってもなくても、期待とねたみを背負う辛さがあるように思えます。
そういう圧力の下でがんばってきた人だけが身につけられる力があると思いました。
(芸大だから皆いい人とかいい演奏家とかそういうことはなくて、あくまで個人の問題なのは、
芸大以外の演奏家と同じですね)
またOKIさんは素晴らしい音楽家であるだけでなく、
アイヌ文化を通して民族のリーダーシップを取っていくような知恵、たくましさを感じる人です。
お洒落でセンスの良い服装でまだ若いのですが、ひげの長老のような知性を感じます。
近年世界中で自然と調和して生きるインデアンやアポリジニ等いわゆる「先住民族」と
言われる人々の生き方、知恵を学ぼうという動きが目立つようになってきました。
シャーマニズムの優れた面というのか。
世界中で、少数民族が追いやられてきたという悲しい事実があります。
世界中で、平和で心清らかな先住民族に、奸智に長けた獰猛な支配民族が勝利したのでしょうか?
高度に発達した文明、科学は何でも手に入れられるかのようでした。
何世紀も、長い年月が経ってみると何をもって「勝利」したつもりなのか分らなくなっています。
結局私達は、自然を破壊して自らを食い尽くしてゆるやかに自滅に向おうとしている
地球の歴史の歯車を止めることさえ選べないようになりつつある。
文明国の悲しさ。
高度な文明の恩恵には同時に痛みや苦しみやゆがみも、沢山ありますよね。
試行錯誤の人類の歴史の中で、方向転換する時期が来ているとしか思えない。
結局他者を犠牲にして通すエゴイズムは、回り回って自らを蝕んでいく結果となっていく。
今からでも遅くない、先住民族の知恵に習って自然と共生していけるような道を探していけたら
素晴らしいと思います。
日本人(和人というのでしょうか)はインデアンやアポリジニの本は沢山読みますが、
アイヌ民族については何かしら罪悪感があるせいか、
まっすぐに彼らを感じようとすることに多少抵抗がある人もいると思います。
私達の先祖のしたことに対して。
そして中には勇気ある意識の高い人たちがいて、
事実を直視すると同時にこだわりのない目で豊かなアイヌ文化からさまざまなことを学ぼうとしています。
彼らの良い活動からまたさらに、アイヌ文化を通して沢山の良いことを学んでいこうとする人たちが
段々増えてきつつあると思います。
(必ずしもアイヌ文化だけでなく、他のことを通して学んでも良いのですが)
環境問題は悪化する一方だし世界の平和は実現されていないし、
有史以来加害者と被害者は常に発生し、
時に立場が逆になることもあり争いは絶えることなく続いて来ています。
私達が未来に向かってどう考えて、どうしていったらいいのか、血で血を洗う争いの歴史の繰り返しを止めて
新しい考え方や生き方に基づく社会を作っていけるのかどうか。
真のやすらぎや豊かさは何なのか。
自然環境や人間にとって痛みや苦しみの少ない、それでいて生き生きとした社会が実現できるのかどうか。
OKIさんの音楽を聴きながら考えてしまったのは、彼の国連での活動等を通して高められてきた意識が
無言のメッセージとして現れていたからでしょうか。
アイヌ民族と日本人のハーフである彼の存在と音楽を通した活動が
沢山の人に無言の良い影響を与えてきているのを会場一杯の観客、
若い人たちを始めとする幅広い年代の男女の元気な表情から感じられました。
★世界各地での公演活動、さまざまなアーティストとコラボレーションあり。
CDはこれまでで3枚。うぽぽとムックリの名手アイヌ民族の文化の代表継承者である
安東ウメ子さん参加の「ハンカプィ」、最新CD「ノーワンズ・ランド」までアイヌの伝統と
現代音楽を融合させた斬新なサウンドは世界でも評価されています。(2004年4月上旬)
◆ここで再びワールドツアーから戻ったOKIさんのライブに行ってきました。
去年からオーストラリア、ドイツそしてN.Yやワシントン等アメリカ各地を回って来た
世界ツアーの実績が、少し余裕となったカンジ。リラックスした雰囲気とつやがOKIさんに
更に加味されていました。
元はN.Yのフィルムスタジオのヴィジュアル・アーティストだったOKIさん、
やはり「その気」になると本当にセンスがいいです。
今回はアイヌの民族衣装を現代アレンジ。大きさとかカットとか色づかい等とても良かった。
(これからもどんどん「その気」が起きると客席は、楽しいと思いました。
但し一般にスポンサーでもいない限り舞台づくりは衣装以外の費用も莫大だから、
無責任な客席のリクエストも負担ですね)
河のうねる大きな水の動きや、新緑からしたたる水滴をイメージしやすい幻想的で心地よい
癒されるサウンド。アイヌ民族音楽と現代音楽の融合、アコースティックとデジタルサウンドの融合。
民族に誇りを持ちながらも、現代人である聴き手のこと、若い世代のことも考えるOKIさんらしい
心優しい音づくりを感じました。
特に見事なのは一つの曲の中での「静止と躍動」のタイミング。
それによって曲が立ち上がってくる感じがします。今回の演奏ではそれがとても良かった。
トンコリとエレキギターとボーカルのOKIさん、
特にトンコリではソロ演奏のときとそうでない時は演奏の仕方もちょっと違います。
ユニットで演奏している彼は、
全員で一つの音楽を作り出すことをもっとも大切に考えているような気がします。
とても完全主義で、多分狂いを許さない気むずかしいリーダー。
彼のトンコリもエレキギターも曲の随所で全体のコントロール楽器になることがある。
そして演奏の途中で、他の各メンバーの楽器の音の中心に歩いて近づいていって、
自分の楽器と反応しあうのを楽しんだりもする、ユニークで独特の演奏スタイル。
そしてトンコリのソロ。こちらは本当にゆったりした曲想でした。
そして今回感じたのは、多分今に至るまでのOKIさんの「素朴な、楽器との対話」。
リーダーとして強さ、完全主義さを感じるユニット全体での演奏と違う、
どちらかというと正反対のエネルギー。
ソロ以外では体全体で、驚くほど他の人の音を常に聴いているリーダーOKIさんの
タクトのような「スグレもののトンコリ」でなく、
自分を引き寄せ、ここまで連れて来た「強い相手」であるトンコリと。
一般に「楽器」ってまともに向き合うと、演奏者の何かの部分を剥ぎ取り、
何かを突きつける作用があるもののような気がします。
OKIさんみたいにプロの上手い方でも、又全然音楽素人のヘタな人であっても。
楽器とはそれだけ怖くて、それだけ魅力があるのだと思う。夢中になり過ぎてしまう位。
巧みなトンコリ奏者であるOKIさんも、この時だけは素晴らしい演奏の合間に
「多分、死ぬまで知り尽くすことの出来ない”深い楽器としてのトンコリ”の存在感」の確かさに
ちょっと照れたりするのかと思いました。
(ユニット全体の演奏が続いた直後に、急に反対の雰囲気になったせいか)
初めてたどたどしくつま弾いた子供の頃から、プロの素晴らしい演奏家となった今までの
時の流れさえ感じた程。
そして自然な予兆も。このゆっくりトンコリと向き合う演奏が、
これからもっともっとゆっくり深く向き合い続けて、
更にくつろいでトンコリがますますほどけていくだろう、とでもいうように。
(トンコリに限らずアコースティックの民族楽器・古典楽器って、こういう不思議さを
聴き手に感じさせてくれる瞬間がありますよね)
(勝手な客席の印象でした)
※ちなみに、この「ゆっくり」は曲のスピードというより楽器と演奏者の
コミュニケーションというような意味です。
OKIさんのライブでの印象は、ミュージシャンとして世界に自分たちユニットを通用させるための
したたかなリーダーシップ 。
そしてアイヌ民族の音楽と楽器をこよなく愛するトンコリ奏者。
そしてこれは客席の勝手なイメージ、印象ですが、
普段は男くさい無骨なヒゲ面、リーダーのせいかちょっとコワモテ気味なのですが、
実は子供好きで子供に好かれたくて、
つい子供が近づくと相好を崩してしまって、大なしという感じ。(失礼します。ゴメンナサイ)
舞台を観た限りではOKIさんは、その表情において人間的な内面を意外とつくろわない人だと思います。
彼は少年でないと思う。誰でも少年のような幼い面は必ずパーソナリティの中に残っていますが
彼はそのことを、あえて気にとめてない感じ。強いてしたたかに、老成しようと努力してきた感じ。
そしてそれも魅力だと思います。(オフは知りませんが)
(又人によってそういうのは様々で何が一番いいのかも、様々だと思う)
彼はアーティストとしてとても恵まれて成功してきた部分もあるし、
又国内や海外で苦労もしてきた彼は、大人になるのが早かったような気がします。
人間が大人になると、誰でも知ることを彼も知っているという感じ。
人生の喜びや楽しさ、苦い味や辛さアイロニーも、分別や無邪気さも、
冷たさもしたたかさも、温かさ・情やもろさも純情さも全部オープンにしてしまう感じ。
それがやれるのは少年には無理な技でもあり、
又無駄な力を入れない故の、ただの自然さでもあるのだと思う。
OKIさんの勝手ですが、私はOKIさんは舞台では何でも気楽に自然に
ますますオープンになっていってほしいと思います。(わはは)
それがかえって、他のメンバーともますますリラックスして和合する流れをこれからも
ますます作り出していくような気がしました。(何か分かったような分からないようなことを
書いて恐縮です)
後日追記
2005年6月
トンコリをもっと、じっくり聴いてみたいと思っているファンが
沢山いたようで、今回たまたま「トンコリ」ソロ演奏部分が一杯
ありました。
他の音楽の時も同様ですが、自分の聴きたいリクエスト(?)と、たまたまそのミュージシャンの方向性が合っているときは、
聴きたいものが聴けたりします。でも違うものしか聴けなくても、それはそれで素晴らしいのですね。
(参照「リクエストは某焼き鳥屋なのか?」)
新発売CDも「TONKORI」。今回ライブも主にOKIさんのソロライブ。
このCDは細野晴臣氏や大貫妙子氏等メジャーな市場の
ミュージシャンが絶賛。
OKIさんの音楽はいつもはアイヌ・フュージョンというので
しょうか、古典民族音楽と現代音楽の融合がなされています。
だから演奏もトンコリとエレキギター、現代的な音響等でファン層も広くなっています。ロック、そしてラップやテクノ良さも。
従って森の休日社としては、どちらかというと少し専門(?)外ジャンルなのですが、でも素晴らしいライブでした。
今回は前半、トンコリを何本も並べて一曲ごとにOKIさんは
楽器を変えて演奏しました。
乳飲み子を抱くようにトンコリを持って、無骨なOKIさんが演奏し始める。しかし音が出ると、しぐさとは裏腹に今までのこの楽器との付き合いの長さをカンジさせました。
不器用そうに弦をはじくのですが、
トンコリの方がかすかに脈打ち、強い響きで、
それに応えるカンジ。聴いている方までときめきを感じましたね。
OKIさんは野性味たっぷり、男くさいコワモテなのですが、
その攻撃的な感じのいつもの舞台が、今回のソロ部分は官能的で静かなものに変わりましたね。
顔の表情もそういう感じになりました。
ただこれらはいつも表に出なかっただけで、
内面には前から持っておられたような気がします。
前に別のアーティストのライブにご家族連れで来られている
OKIさんを見たことがあります。(ふふ)
結婚、そしてお子さんの誕生は多分、
ハードなOKIさんの別の面をゆっくり引き出してきたのだと
思います。
年々、いろいろな出来事や、想いを昇華して、
ミュージシャンは良い音楽をつくっていくのでしょうか。
又舞台の上には素敵な共演者たちが常に沢山おられます。
魅力たっぷりの男女のボーカリスト、ダンサー、女優さん達等OKIさんに限らず、ミュージシャンの舞台には、
音楽・人間を触発する沢山の刺激に溢れているのだと思います。
客席でそういうのを観ていると、いろいろ勉強になっていいですね。楽しむだけでなく。(はは)
OKIさんのライブ・コンサートでいつもすごいと思うのは、
あらゆることで観客を楽しませようとする、サービス精神です。
会場にはカレー等の軽食、ビールなどの飲み物が
用意されているし、演奏が続くと、
間にディスコタイムをつくってみんなに踊ってもらったり。
ビジュアルアーティストならではの、舞台演出も見逃せません。
今回はステージの背景にOKIさんの作った、
アートフィルムが切れることなく流れ続けていました。
こういうOKIさんって、多分ご自分が若い頃いろいろなことを
して、遊んだんだろうなあ、と思ってしまうのです。
アメリカ行って美術関係の仕事もしたし、
国連にも足を突っ込んだ。遊びの方も学生時代芸大生として
多分多少のムチャもしたのかも
(ごめんなさい、放蕩者扱いして。実際は真面目一本やりだったかも)。
それからミュージシャンになっても、いろいろ。
そうやって少年の頃から勉強も仕事も遊びも、目一杯がんばって、又公私共にいろいろな素晴らしい出会いと別れを経験して、そしてちょっと遊び疲れてしまったおじさんが、今度は若い子に気を使って「楽しんでいきなよ」「しっかり遊べよ」という、兄心的やさしさを感じましたね。
参照
OKIさん
HP
戻る
]]>
OKI
2003-03-17T23:04:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929646
アンブランテ
アンブランテ
(福井岳郎・久守浩司・中島夕子)
(アンブランテはフォルクロ−レと、オリジナルの曲を演奏しています。)
(まだ途中)
私は年々アンブランテがじんわり好きになる一方です。
演奏も上手くなる一方ですが、年月の中...
アンブランテ
(福井岳郎・久守浩司・中島夕子)
(アンブランテはフォルクロ−レと、オリジナルの曲を演奏しています。)
(まだ途中)
私は年々アンブランテがじんわり好きになる一方です。
演奏も上手くなる一方ですが、年月の中でメンバ−それぞれがとげていく変化が素敵だから。
信じられる人間の体温がメンバ−同士に感じられるから。
ティンクナとメンバ−の福井さんがダブっていますが、
アンブランテはティンクナとまた別の種類の良さ、異なる成り立ちを感じさせるユニットです。
最初に聴いてからもう5年以上、最初は地味ながら落ち着いた素朴な良さを持つユニットでした。
そして演奏が年々上達してきた今、「花も実もある楽しいライブの始まり」を感じます!
音楽ユニットにはメンバ−それぞれが、
演奏家として成熟していき結果、全体でいい演奏になっていく発展の仕方と、
いいチ−ムワ−クが最初にあって、それから各自の演奏水準が上がっていく仕方があると思います。
きっちり二つに分類出来ないことですし、
前者でもチ−ムワ−クというハ−ドルを越えねばならない時があるし、
後者でも全員の融合がかもし出す雰囲気の陰で、
個人の演奏家としての技量を上げる時があると思います。
アンブランテは、どちらかというと後者のチ−ムの良さが最初にあったユニットのような
気がします。
「旅芸人」という意味のユニット名は、彼らの雰囲気にぴったり。
彼らのフォルクロ−レの個性で一番好きなのは、
演奏全体の芯から細く流れるような、尽きない波の波動が感じられること。
これは心身共にほぐれる感じがして、シアワセな感じがします。
多分リズムがとても良いのですね。
彼らのどの演奏にも、ベ−スに「癒し・慰め・やさし味」を感じます。
人間同士の温かいつながりと音楽をする楽しさがあふれて、
自然とリズムになる感じ。
中島夕子(ギタ−・マンドリ−ナ)
私は彼女のファンです。元気をもらえる感じ。
初めて舞台で観た時はちょっとオズオズした、地味な若い女の子という感じでした。(失礼します)
でもこの年月の中で、彼女は演奏も顔の表情も、服装も何もかもが生き生きした素敵な人に
なってしまいました。
それは多分「音楽」を始めて、それをがんばっていくうちに
いろんな人やことに突き当たって、悩んだり悲しんだり、喜んだりして
演奏家として人間として、たくましく・元気に・リラックスしていったプロセスだったのだと思います。
そういう良いステップをはた目に感じると、音楽は出来ないけど自分も自分の決めたことを
こうやって一生やっていきたいなぁ、と思えて励まされます。
私は特にマンドリ−ナ(アンデス仕様のマンドリン)の演奏が大好き。
魅力のある強い音です。
でも残念なのは、昔からチ−ムを重んじて控えめ過ぎる彼女は
演奏の時に必要以上に完全に裏に徹してしまうこと。
他のメンバ−二人は十分華やかな演奏をされる方々だから大丈夫!!!
彼女ももうちょっと、客席に彼女自身を聴かせてほしい、ほしい。(ワガママかしらん)
久守浩司
(ケ−ナ・ロンダド−ル他)
名手だと思います。「お祭りの笛吹き」。
独特の個性的なリズムの良さがあります。
彼が笛を吹くと、お祭りになる感じ。
人生の楽しみ方と人の情けを結構知ってる、味わい深い人間性を感じる人。
街の雑踏、庶民の生活の中のいろいろな場面にフォルクロ−レがあって
それを彼の笛からいつも感じます。
福井岳朗
(チャランゴ・ボ−カル・ギタ−他)
リ−ダ−の福井さんはティンクナの所に書いてあります。
アンデス音楽でよく演奏される「あなたの影になりたい」という曲があります。
福井さんはボ−カルかチャンランゴをメインにしてよく演奏しますし、
また他の人が別の楽器メインですることもあります。
で、私はこの曲は
「アンブランテの時に、チャランゴでソロ演奏する」福井さんのが
一番好きです。逸品デス。
参照
戻る
]]>
アンブランテ
2003-03-17T22:54:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929645
N’DANA
N’DANA
アフリカ音楽のタイコユニット
渡島地方を拠点に、今は本州全国での活躍の方が多い。
この数での男だけのタイコ演奏の迫力は最高!!
地味派手な盛り上がり!!!!
今のメンバーになってから、演奏も表情も...
N’DANA
アフリカ音楽のタイコユニット
渡島地方を拠点に、今は本州全国での活躍の方が多い。
この数での男だけのタイコ演奏の迫力は最高!!
地味派手な盛り上がり!!!!
今のメンバーになってから、演奏も表情もそれぞれの雰囲気が強まって
「元気ノリノリ」だけでない、アヤシイ感じの魅力も+++。
このユニットの場合は、くつろいでそれぞれ好きに遠慮なく自分を出してる時が
全体でいい演奏になってる感じがしました。
二人とも自制心強過ぎる感じだからかなぁ。
ネィティブのアフリカ人のタイコの演奏は確か技術的にずば抜けて素晴らしいのですが、
アフリカの灼熱の大地の過酷さに拮抗するように、タイコも酷烈な演奏過ぎて、
私はちょっと抵抗あるのです。
全力で最高に激しく叩く時でも、N’DANAのは微妙に違ってて。
だから日本人の、N’DANAのアフリカ音楽の方が好きです。
編集部だけでなく、他にもそういう声アリ。
絶好調の時は天から何かが降りて来るような素晴らしい演奏。
二人で叩いているのを聴いていると客席の私達も他のことがどうでも良くなり、
音楽を聴くだけの存在になり、
ただこの瞬間が終わらずにずっと続くことだけを願ってしまう。
そういうヤミツキ感があります。
(神官祝祭系の、何かを呼び出す演奏だからでしょうか)
人気者のN’DANAのライブ、私は動きたくなる衝動を抑えてじっとして聴いているのが好き。
音楽を浴びて
でもそれと逆に素直に踊りまくる人たちも多し。
いつも沢山のダンサーたちが会場にひしめいて、ライブの熱がまた上がります。
木村マサト(木村優斗・MASATO)
コンガ奏者(教室もやってます)バタドラム奏者
忘れない、N.Yから帰国して最初の彼のライブ出演。
あのスタイリッシュでクールなコンガの演奏のすごさを。
一人でアメリカに渡って長年音楽修業ひと筋でがんばって来た人。
ご本人は地味・温か系ですごく落ち着いた印象。苦労沢山して人柄も磨かれた感じの人。
私服もセンス良し。
彼のコンガを聴きながら、N.Yがどういう所がどう所か初めて実感した気がしました。
人種のるつぼと言われ、演奏家の層の厚いN.Yは誰よりも際立つ、ということを
この人に要求し続けたのだと思った。
キタナイことする訳じゃない、ひとの足引っ張るわけでもない、
(そういうことすると音楽に出るので、する人少ないと思いますが。音楽に限らず)
その演奏が人と違って個性的で刺激的で洗練されていること、
そして演奏技術を最高以上に高めようとし続けること。
良くも悪くもN.Yはそういう音楽を集めるのだと思った。
打楽器好きの私にはジャンルを越えて、ヨダレ出る程素晴らしい演奏でしたね。
手で叩くことも、スティックを使うこともあるけれど、
手の時は、私は客席で身を乗り出してしまいます。
その後正式に当時もう有名だった山北紀彦さん達と一緒に
N’DANAを結成。
N’DANAに入ってN’DANA演出の服装や演奏、トークに変わりましたが、
打楽器好きを釘付けにするタイコ演奏は相変わらず素晴らしいです。
そしてN’DANA入ったらまたN’DANAの良さを吸収して少し変化した、
彼の素晴らしさをまた感じました。
最近あまり体調の良くなさそうな時、彼がコンガを叩くのを観ました。
演奏が下手だった訳でないのですが、不思議とミュージシャンとしてでなく、
個人としての彼の素顔のようなものが少し出てた気がしました。
見えたのは、彼がひたすらコンガを叩いている姿。
「学ぶべきことは、このコンガの中に全部あったんだなぁ」と
教えられた気がしました。
楽器の演奏のことだけでなく、他のいろいろなことも。
誰でももし、そういう気持ちがあればそうだし、
人によってはタイコでなくて、別のものを通してであっても。
1984年ジャズドラマーを目指してN.Yに。
ドン・チェリーやビリー・バング、パット・メセニー、
D.D・ジャクソン等との数々のジャズメンと
共演やグループ活動。
ジャズの後、キューバのストリートミュージックやルンバと出会い、アフロキューバ音楽に魅せられ、西アフリカを起源とする
コンガやバタドラム音楽を。
1999年より主に山北紀彦氏と演奏活動に入る。
山北紀彦さん
モスバーガの奨学金でアフリカ留学した話は有名。
まだ一人で演奏されていた頃からHappy soundで
全国にファン多し。
愛嬌一杯・温ったか面白いボーカルと胸のすくタイコは、
どこでも引っ張りダコの人気です。
山北さんという人は普段は見た目は
「旧制高校の高下駄の、穏やかな優しい先輩」風の雰囲気であります。
そしてライブでは一転して「全部捨てて、キテル感じ」(最高)でした。
そしてMASATOさんが来てからもずっとタイコ一筋。
元々十分上手い方でしたが、
なおまだコツコツじりじり腕を上げてきていることもスゴイと思う。
独特の大地の土を感じさせるボーカルの良さと存在感、太鼓、、
作詩作曲の良さ、お人柄にファン多し。
器も大きく、地味な顔立ちですがなぜか人目を引く存在感のある人です。
ただ、二人とも元気な時とそうでもない時の楽差が
ちょっと微妙にあるかなぁ。(誰でもそうですが)
単身でカメルーン共和国を訪問。帰国後北海道のカバノキとエゾシカの皮で作った太鼓で演奏活動開始。
1999年からプロ活動に入り、2000年から2002年まで
北海道アフリカネットワーク主催で、アフリカ人音楽家と共に
毎夏ツアーを。
アイヌ・フュージョンのミュージシャンにして、
樺太アイヌ伝統楽器のトンコリ奏者のOKI氏や、
モンゴル音楽の嵯峨治彦氏(booxbox)や、
南米音楽の福井岳郎氏、和太鼓楽団ひのき屋や、遠藤ミチロウ氏
との共演も多し。
最近は自作太鼓のほかに、ジンバブエの親指ピアノのムビラや
自作の木琴パラフォンを演奏。
また札幌の演奏会場には阿部さん、今田さんやジンベクラブ主宰の
ジンベ奏者飯田知樹氏の教室の演奏&ダンスの生徒さん等を
はじめ素敵なダンサー達が大勢詰めかけて、踊ってくれます。
(阿部さんは一人で、N’DANAとの素晴らしいコラボもあり)
後日追記
◆2004年12月中旬、ここで久しぶりにまた聴けました。
別のミュージシャンがメインのコンサートツアーのメンバーとして彼らが。
今回はメインでないので抑えた演奏、でも変わらぬN’DANAのサウンドであり
それでいてまた一段と腕をあげ、表情にもゆとりと
魅力がまた+++でありました。
2人ともバックに回っても、立派だったですね。
音量・旋律といい表情といい、メインの人を引き立てながらでもひたむきに一つの音楽を
つくっていけるゆとりを感じる大人の演奏でした。
MASATOさんは今回はドラムスティックが中心の演奏。
いつもは手の演奏の方ばかりに気がいった私でしたが、
今回は彼がスティックを使う場合の演奏のすごさをみせてもらいましたね。
彼は多分前よりずっと上手くなったのかもしれない。
例えが妙ですがスティックを使う時「腕の立つ人が刀で切りつけるとき」に似た「気」、
でもそれが決して「ものや人を切る」殺気にならず、
タイコと一体になる音の波動に変換される感じ。清廉な迫力。
音楽のことはよく分らないですが、
彼はもしかしてスティックでむだな場所を叩かなくなった、
本当に必要な部分だけを狂いなく叩き始めたのかもしれないとさえ思った。
(タイコにむだな場所があるなどと考えたこともないのですが、今回の演奏でそう感じたのです)
そして手の時と同じに、
テンポが遅れる訳でないのに演奏中一瞬スティックが空中で静止したように見えることが
何度もあります。
山北さんの音楽はMASATOさんとまた微妙に違う良さ素晴らしさですよね。
情感豊かでおおらかな楽しい波動。今回その演奏はますます熟達、音楽にも表情にも
彼本来のつやが出た感じ。
個性一杯の山北サウンド、そのボーカルやタイコは周りの人間をまたハッピーにしてくれました。
「人間がハッピーであるのに理屈はいらない」ことを、
彼は自分の音楽活動を通して全国に伝道して回っている気さえしますね。
「山北さんは人間だし、日本男子だし、タイコばかり」。誰にはばかることもなし。
シンプルな日々の中で更に増してきた表現力・人間味の引力にまた引き寄せられマシタ。
MASATOさんと山北さんの演奏が一つになると、
絶好調の時は客席は金しばり状態。最高に2人の演奏はテンポもぴったり。
このテンポという点でいうと、音のリズムをカウントする以前の呼吸の、
さらに前段階みたいな所にある演奏する人の動きを開始するための脳の信号、
「ON」と「OFF」(二進表のコンピューターのしくみ、みたいな例えでスミマセン)
が2人はもしかしてちょっと違うのかもしれません。
だからそれぞれの良さがある。
後日追記
2005年7月
N’DANAのライブに行こうと決めると、
いつも気持ちがちょっとハイになります。
でも、あれですね、
あまり聴く自分が演奏に「飢えている」状態だと
どうも「良い舞台鑑賞」は出来ないような気がします。
打楽器好きの私は、もう出だしの曲が始まると内心は
「Give me」だの「早く」だの、
進駐軍にチョコレートをねだる日本人さながらに、
ひもじい心持ちで、自分の好きなような「演奏部分」が
始まるのを求めてしまいます。
(やはり私は、激しく叩くときが好き)
でも演奏家には、やはり「その日の予定している種類の演奏」
があるので心静かに聴かないとダメですね。
又別の意味で困ったことがあります。
N’DANAに限らず、ユニット組んでする演奏のときは
全体を聴くと同時に、参加している演奏家個人それぞれの演奏を
楽しみにして聴いています。
その日によって、メインの楽器は違うことがありますが
それでも全員それぞれの演奏が楽しみ。
で、ここに「飢えた状態」で会場に入ると、
たまたま「聴きたい演奏家」のが、控えめ抑え目だったりすると
勝手に欲求不満になって、逆恨みまでしたくなったり。
でもやはりその日の編成とか、メインの楽器はあるので
これは客席サイドの私が悪い聴き方なのですね。(はは)
まあでも例えば「メインの歌手とそのバックバンド」というので
ない限りは、全員の見せ場が多少ある方が客席サイドとしては
不満が少なく、無難な気がします。
その時々の、各一人づつの演奏家の良さを見せる場面が
多少あるとやはり嬉しい。
メインかどうかで見せ場の多少はあると思いますが、、
それでも参加演奏家全員各自の「その時の最高の良さ」部分を
それぞれ、ちょっとでも客席サイドは感じたい。
一つの曲の調和、曲想が壊れたら台なしですが、
そうでなければ、何かこうその日のプログラムに応じて、
上手に見せ場を配分してあると、
すごく得したような気分のライブになったりします。
N’DANAに限らず息の長い、活動歴の長いユニットは、
気のせいかこれがとても上手いような気がしています。
(それだけ難しいものなのだと思います)
恥ずかしいことですが、ようやっと私は彼らの演奏に
全然「シット」しないでいられるようになりました。
(何て不遜なんだ)
私は楽器はとても下手だし、又一切演奏しないのですが
それでもどれか選ぶとすると、「自分の楽器」になるのは
打楽器だと思っています。
(リズム音痴だけど、一時間位叩いているとき
怖い位夢中になれたから。本当に引き込まれていったのです。
下手ながら努力し続ければ、その後少なくとも「横好き」の
楽しい趣味になるとは思うのですが
諸事情で、友人や職場でのカラオケ(下手な)以外の音楽は
しないと決めました。)
私は昔、独断と偏見で思ったことがあるのです。
それは「画家は、画家にしか惚れない」ということ。
人は、同じことをしている人にしか、本当は惚れない。
他の違うことしている人には、大いに憧れも尊敬もするのですが
でも、心底惚れるのは同業者しかないということ。
でもそれは「恋愛」というのとは又別だと思います。
恋愛の「惚れる」っていうのより、もっと息苦しい根深いカンジ。
そして恋愛と両方が混じる場合だってあって、
これは一般に結構しんどい関係になりがちだとも思います。
(例外もあるでしょうが)
私が一番楽しんで聴けるのは「弦楽器」だと思います。
でもやはり「金しばり」「憎い」「惚れる」のは、
打楽器に対してです。
このドロドロとした部分だけをクローズアップしましたが、
実際は、ひどい時でも「大ファン度97%」「シット度3%」位
です。
でも今はそれが抜けて、「大ファン度100%」に。
プロセスは、無邪気に感動「大ファン」→
「大なり小なりシット混じる」
→「憎みつつ愛す」→つき抜けて、「晴れ晴れと大ファン」。
(これって何を鑑賞していても、多少はあるプロセスのような
気がします。
大抵の場合、ちょっとよぎって終わりですが、
打楽器の場合ちょっとプロセス長め)
但しこの「シット」とか「憎みつつ愛す」とかは、
完全に自分サイドの問題、勝手なので
相手に迷惑をかけないように、心の中だけにしないとダメですね。
初めて山北さんを聴いたときは
最初は無邪気にファンだったのですが
不遜にも、傲慢にも、二回目辺りから
ちょっと微妙に複雑な気持ちになり、
木村正人さんが加わったときも、やはり同様。
情けない現象だったけど、でもこれも何となく自分のプロセスを
把握できた後では、何となく良い勉強だったと思います。
何によらず、音楽以外でもこいうことあるし。
打楽器は一般に「伴奏楽器」的な楽器になりがちです。
楽器の中では、一番原始的かもしれない。
音程は多少あっても(プロにはもっと聴こえているのかも)、
はっきり分かるのはリズムだけだから、
感情的な表現力は、他の楽器に比べると
本来はあまりないものです。
でもその制限ゆえに、人の根源的な本能をゆさぶるし
ストィックなものにだけ出る種類の、極上の派手さがあるし、
リズムの奥底の真髄のようなものに、生物に組み込まれた真理や、
精神性が高まって、何かを求めて立ち昇っていくこと等を
目の当たりにさせてもらえる気がします。
打楽器に限らす、ある種の演奏が極まると
やはり「祈り」「神への奉納」という神聖な目的が
音楽にはあるそうですが、
そういうのを理解しやすい打楽器ユニットが
私にとってはN’DANAでした。
アフリカ音楽にはそういう曲が多くて、
彼らはそういう解説をしながら、演奏してくれるのですが
私がそれを感じ、多少なりとも理解出来るのは、
別に言葉で解説してくれたからでなく、
その曲が祝祭用の音楽かどうかということでもなく、
何の曲の時であっても
「ただ二人の息がぴったり合って、
しかも同時に互いに抑え合わないで、自由に演奏が
最高に極まっている時の数分間」だったりします。
そうあの「何かが降りてくるような演奏」の時。
言葉も、旋律というのもなくて、
リズムだけで何かが極まっていくとき。
ライブハウスの時のアットホームな、
人間的な演奏の時もいいですが
会場の大小に関わらず、コンサート(?)という感じの
「舞台」がはっきりした時の方が
こういう演奏になりやすい気がします。
(全部観てないので分からないけど)
そろそろ強く思うのは、
そろそろ「ソロ」が聴きたいということです。
助っ人と一緒でもいいから、
二人ともそれぞれの「ソロ」ライブで
自分の世界を思いっきり出してほしいと思いました。
これはN’DANAに限らず他のユニットも
長く聴いているとやはり
同様のことを思う時期があります。
但しこれは、「ソロもやってほしい」というだけで、
ユニット活動を止めてほしいということとは、全然違います。
N’DANAも、ぜひ時にはソロをやってほしいです。
ぜひぜひぜひ。
1999年あたりに彼らの演奏を聴いてから、
彼らはほぼずーっとスケジュールがびっしりで、
演奏の旅を続けていることが、多かったようです。
そのことに、何となく感慨を覚えました。
「あれから彼らはずっと、旅をし続けていたんだなぁ」って。
うらやましいような気もしますが、大変なことですよね。
音楽家ってタフでないと、出来ないですね。
身体のことだけでなく、精神的にも。
お二人ともすごいのは、楽器を次々簡単に作ってしまう
ことですね。それであんないい音が出てしまうのですね。
素晴らしいことです。
木村優斗(マサト・MASATO)さん
私はついにこのライブで「God hand」と
握手してしまいました。
God handとは、木村優斗さんの演奏中の
大きな手のことですね。
そう思ったのは、アメリカから帰国後最初のライブの時からです。
その後も、極まると彼の演奏する手を私はそう心の中で呼びます。
N’DANAに限らず、めったにそういうことはないのですが
このライブは演奏者の他に、客席から飛び入り参加が結構あって
楽しく盛り上がった、アットホームなライブだったのです。
その余韻で、山北さんも木村さんも最後は客席みんなと握手して
回ったし、帰りもそうでした。それで私とも。
(しかしライブの後で握手するときは、
別に普通の乾いたカンジの大きな人間の手)
まあ「God hand」と呼びたくなる手は
他の楽器の演奏家にも使われる言葉だし、
音楽家だけでなく医療関係やカイロプラテックや整骨、
裁縫、工芸等どの分野でも使われる言葉ですね。
分野は違っても一つ共通点は、「死ぬほど精進した人間にだけ、
天が、神様が貸してくれる手」ということなのかもしれない。
何によらずこういうものの悲しさは、
精進を怠ると天が「返せ」と言ってくる所かも。(はは)
あ、これの「足バージョン」もあるし、
何でも人間には何によらず精進次第では「驚異の世界」という
ものが広がっているようです。
私は帰国最初のライブ以来、行けるときは彼のライブに行くのを
心から楽しみにしていました。
何だかめぐり合わせが悪くて、行けないこともあったし、
いろいろなユニットでの、編成の違う演奏が多くて、
それはそれで素晴らしかったけど、不満がたまっていたのです。
1999年から6年間の長い時間に。
そして、この日のライブだったので私は又本当に演奏に
「Give me」状態。
だから木村さんの顔を最初に見たときに、思わず叫びたくなった。
「もう、借りてきたネコみたいな、お行儀のいいあなたは沢山よ」と。
(やはり、しばらく聴かないで「ひもじい状態」だと、
こういう失礼で
分かってないくせに、失礼でワガママな言い草になるのですね。
やはり心を静かにして、瞑想し、我欲を捨てて聴かないと)
(くすん)
木村優斗さんは、極まると本当にGod hand、
何かが降りてくるようなすごい演奏を聴かせてくれるときが
あります。
種類としては、すごさは「クリア」な感じのすごさです。
宗教的な、祝祭用の音楽、儀式用の音楽には、
例えば聴き手をトランス状態に導くような演奏があると
言われます。
打楽器ってリズムを取るから、
弾き方によってはトランス状態をもたらしやすいかもしれないです。でも、木村さん演奏は、それとは又全然違います。
打楽器に限らず、トランス状態をもたらすような
そういう演奏の仕方があり、
それはそれで大変難しい、素晴らしい別ジャンルの演奏だと
思います。
(なかなか出来ないことですよね)
ただ彼の演奏は、極まっていっても私を決してトランス状態にしないです。
私は彼の刻むリズム、音楽を聴きながら「金しばり」、
「目は釘づけ」、どうにかなりそうなほど気が高ぶっているのですが、でも頭の芯は醒めわたっていて、正気のまま固まって、
ひたすら引き上げられて、高まっていくカンジがします。
この状態めったにないのですが、
本当に「ただ演奏を聴くだけになり、この瞬間がいつまでも
続くことを願う」という、あれになるのです。
天上の光をかすかに感じるようなときって、N’DANAの愛する
打楽器と稲妻の神様「ヨルバの神」って、本当にいるのかも?って
思ってしまいます。
打楽器に限らず、音楽、アートってこういう種類の感覚を
実際にどういうことか教えてくれる素晴らしいものだと思います。
山北さんはアフリカ人と生活していた素晴らしい体験がありますが、
木村さんはアメリカ等でいろいろな音楽の方と演奏した
素晴らしい世界を持っていると思います。
私はN’DANAでのような演奏ジャンルが好きなのですが、
でも木村さんの自由で、のびのびご自身の世界をこれから出していってほしいと思ってしまいます。(ソロ活動も!!!)
あ、と初めてこの日観たダンスも良かったです。
ミュージシャンって皆さん上手いのでしょうか?
あと歌も、よく通るすがすがしい声で上手いです。
最初のライブの時から、ちょっと変わっていると思ったのは、
彼は音楽に対してどこか、少しだけとても慎み深い修道士のような態度がみられる方でした。
楽器と共に、心も音楽も精進の日々というカンジ。
全般に飾り気もなくて、見ててどっか損することも多い人だなぁ、
という印象があります。無防備で純粋な分、傷つけられることも
あったのかも。
でも、大人のある程度確立された、成熟されたお人柄を
感じる方です。
いろいろなこと、いいこともあれば、いやなことも、
トライ&エラーを繰り返して、自分を成長させて来られたのだと
思います。
外見は若いのですが、彼の年齢を聞いて驚きました。
もっと年上に思えていたから。どっか老成した所のある方です。
(まあ、でもそうでない部分も人間だからその時その場で
いろいろあるとは思います。腹も立つだろうし、いろいろ)
人に気を使うことも多すぎて、結構内面はストレスたまったり、
不完全燃焼気味になったりしないかなぁ?と
外野は思うことが多いのですが、本当の所はわからないです。
ちなみに、正人さんは江差町の知的障害者更正施設
「あすなろ学園」でパーカッションバンドの指導もしています!
木村優斗さん ブログ
★2005年8月
今回は珍しい、木村正人さんのジャズドラムでした。
関西の市川修さんと北海道の清新 精鋭リズムセッション
市川修さんは、北海道初めてのツアーですが
木村優斗さんの高校の大先輩。
今回四人はぶっつけ、初めての演奏だったそうですが、
息が合って、とてもそうは思えなかったのは
市川さんの大らかなお人柄かもしれないと、思いました。
恥ずかしながら、私はほとんどライブのジャズを聴いたことがありません。
ただ、ジャズは高校生の頃、ジャズ喫茶というのが幾つかあって
そこに時々一人で通っていたことがあります。別にジャズが特に好きだった
訳でなく、大人のいる、日常と違う場所に座ってみたかったからですね。(あ、青春)
ジャズは私にとって嫌いじゃないけど、何となく「私を緊張させる」音楽だと
今も思っています。それが悪い気持ちでないだけで。
さて「女子高生」はすぐ年を取り、その後は友達の出るビッグバンドのジャズコンサートに
行ったり、レコードを何枚か買った位で後は縁のない音楽でした。
でも今回のライブはすごく良かったです。
思わず「うわぁ〜、やるなぁ〜」と、うなる程皆さん素晴らしく上手い方たちでしたし、
ほんとうに「どっぷりミュージシャン」という方たちのメンバーで
音楽だけでなく、そういう空気にもひたれて嬉しかったです。
特に前半(二曲目から特に)、最高でした。
そして今回のライブで初めてジャズってどういう音楽なのか、
ちょっと分かった気になりました。
知識として知ってたのは「クラシックより技術的に演奏が難しい音楽」という
ことでした。他民族音楽にもジャズ出身の人もちらほらいますね。
又「ファンがとても多いジャンルの音楽」ということ。
今回のライブ(モダンジャズ)がとても素晴らしかったので、思ったことは
「ジャズって、それぞれが出来るだけ自由にやりながら、
他の楽器とからむためにある音楽」みたいだなぁ、ということ。
「他の楽器とからむ」ことにかけては、ジャズ程すごい音楽は
ないかも?と思えた程。そのために出来た音楽みたいだった。
クラシックは一糸乱れぬ見事さはあるけど、「からむ」というのと又
違うと思う。
個人的には、私は民族音楽が好きなのですが、今日はジャズの楽しさを
沢山教えてもらえました。
(とゆっても、自分で勝手にそう思っただけで、
ジャズのことは本当に分からないです。くすん)
京都の市川修さんは、何度も渡米して向こうの沢山のジャズミュージシャンと
一緒に住み込んで、又広く共演しています。
肝が座っているというか、巧みにリードを取って、
他のメンバーの演奏の熱を更に上げ、又それを楽しんでいるカンジ。
ピアノも歌も、驚くほど上手いですが、
特にサックスフォンにはうっとり。
オリジナル曲も、とても素晴らしいです。
55才は、心にゆとりのある年頃なのでしょうか?
リーダーシップ、演奏、パフォーマンス、どれひとつとっても
充実されていました。
瀬尾高志さんは、正人さんとは何度も共演経験あり。
クラシック出身で、後にキューバに渡りロサンゼルスやニューヨーク、
ニューオリンズでセッションを重ねる。
彼はジャズだけでなく、他のジャンルからも共演引っ張りだこのベーシスト
ですが、今回はコントラバスで。
いや〜ぁ、キュートというか素敵というか、特に前半は最高でした。
佐々木伸彦さんは、札幌を拠点にジャズギターで、ご自分のトリオで活動。
貴公子のように品のいい、共演者にとても気を使って演奏する方で、
裏に徹しての今回の出演だったと思います。
そして木村優斗さんの、的確なジャズドラム。
ニューヨークで最初はジャズドラマーを志しただけあって、
本当に場に慣れているカンジがしました。
私は他民族音楽の時の彼の大ファンなので、今回はちょっと畑が違いましたが
精緻で知性的なカンジの、彼のジャズドラムも又素晴らしいと思いました。
山北紀彦さん
彼は本当にじりじりと、ますます腕を上げたカンジがあります。
本当に頭が下がります。
あまり又演奏に「飢えている」と、私はまたワガママに、
発想が乱暴になっていきますね。
彼は最初のころ、演奏家としてすごく「キテる」カンジがして、
そういう所が最高に好きでした。
でもしばらくすると、何か誰か言われたのか、思うところがあったのか、
割と生真面目な、冷静な、表情をくずさなくなりました。
演奏は段々上達して、私は楽しかったですが、
でも段々、不満がたまってきて、又思ってしまったのです。
「遠慮しないで「キテてて」ほしい、
そしてもう「キテる」というより「イッテる」という風に
なってほしい。」と。(失礼いたしました)
これは心の中にだけで思っていたのことなのですが、
嬉しいことに今回のライブで、山北さんは本当に
そういうカンジになっていました。
なにかこう、人間離れした、でも動物ではない、
何かリズムと踊りに取り込まれたような、
そういうものの権化のような
「向こうにイッテるヒト」に、だんだんなってきてしまっている。
怖いような、そういう迫力ある部分と、本来の理性的で温かい部分が同じ人間の中で、出入りして、それがすごく好きであります。
山北さんは、声も独特のつやがあり、
昔から演奏もHANAのある方だと思います。
山北さんのボーカルは、本当に魅力たっぷりだし、
踊りも入ったパフォーマンスも磨きがかかったカンジがします。
これからもますます楽しみですが、
そのカリスマ的なところや、外交力のあるところを生かして
音楽に限らず、何か国際的な活動をしていくことも向いているカンジが
しました。
(あ、でも音楽聴けなくなるから個人的には、イヤですが)
参照
山北紀彦HP
戻る
]]>
N’DANA
2003-03-17T22:41:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929644
浜田隆史さん
浜田隆史さん (ラグタイム音楽・ボーカル)
日本のラグタイムギター演奏の第一人者として定評あり。
初めて聴いた時、洗練された美しい音の波がシャワーのように
客席に降り注いで来てびっくりした。ギターなのですが、ギタ−じゃないような。
棹の弦...
浜田隆史さん (ラグタイム音楽・ボーカル)
日本のラグタイムギター演奏の第一人者として定評あり。
初めて聴いた時、洗練された美しい音の波がシャワーのように
客席に降り注いで来てびっくりした。ギターなのですが、ギタ−じゃないような。
棹の弦を抑える左手・奏でる右手の間を通り抜ける、
生き生きした脈動。超絶技巧演奏はライブならでは!
ラグタイム音楽とは、19世紀末から20世紀初めに広まった黒人音楽。
一般には映画「第三の男」や「スティング」(エンターティナー)のテーマ曲で
なじみ深いです。
そして上記のと微妙に趣の違う「これぞラグタイム」と思うような「らしい」曲を聴くと、
イメージしやすい情景があります。
いずれも昔の外国映画。
古き良き時代のホテルのレストランやバーで、
着飾ったお客さん達のために演奏される生の音楽。
麻のジャケットの演奏家達。
または大きな商船が停泊する港、昔の外国のお洒落な酒場。
港湾で働く仕事帰りの労働者や、船員や商人達がくつろぐ時間、
ステージの音楽。
つまり洒脱で軽快な、音楽です。
生活の中の何かがシンドイ時に聴きたい音楽を2通りに分けると、
?哀しい辛い気持ち、メッセージ等をストレートに表現している曲
(共感することで、自分の中の感情・想念を解放して楽になれる)
?特に特定の感情を表現せずに、何もかも忘れて楽しめる音楽
ラグタイム音楽は?だと私は思います。
浜田さんも曲によっては踊るように、体中で演奏していますが、
こんなに陽気でリズミカルな音楽は、めったにないのです。
でもその音符の隙間に、人の生活のさまざまな想いが昇華されていく。
「まあ、いいや」「また明日」って。
ライブハウスで浜田さんの演奏を聴きながら、
「ああ、こんな音楽を聴ける時間もあるのだから、また明日もがんばろう」
と思えたのです。
当時の黒人の状況は、とても大変なものだったと思います。
でもこんな音楽があった。
民族音楽の力強さって、ラグタイムに限らずこういう「しぶとさ」を
くれることだと思います。
ボーカルは、フォーク系。
個人的な趣味で恐縮ですが、私はこれをラグタイム音楽と分けて
別々にライブをしてほしい。それぞれの良さがあるから。
浜田さんの唄もファン多く心癒されるとても良いものです。
楽しい軽い歌い方、さり気ない日常のことを題材にした素朴な歌詞に
慰められ、元気が出た人も多いです。「クラス会」「いばって歩け」等。
特に一曲歌い方がとても個性的で面白い「素のままで」が私は好きです。
聴けば分かる(うん)。あの良さは。
切れ長の目と五月人形のような口元が魅力!
それから浜田さんが雨天の日と所用・ライブの日以外はほとんど毎日する
小樽運河路上演奏(投げ銭スタイル)。
私はライブは、ちゃんと屋内の会場で聴くのが好きです。
浜田さんの演奏も屋内の会場で聴く方が音楽的には好き。
でもこの運河演奏は、想像してたよりず〜っと良かったですね。
屋内会場のライブは、音楽を聴くためにベストの状態にしてあるし、
演奏者の音楽の妨げになるものがほとんどないから、
その音楽のベストのエネルギーを集中して感じられて大満足!!
それに比べて路上演奏はとてもすがすがしく心地良いのですが、
誰のであっても音の条件が悪いので、
聴くサイドとしてはそれほど好きではありませんでした。
でも浜田さんのは良かったデスネ。これはこれでヤミツキ感有り。
運河の浜田さんは、
普段の超絶演奏ライブとはまた違う演奏の仕方に思えました。
運河に合わせてオタルナイ・コードというオリジナルコードで
演奏するのですが、それ以前に別タイプの演奏に感じられました。
小樽の夕暮れ、運河と水、橋、初夏の風、石畳、洋館風の建物の並ぶ街並み。
そこでの浜田さんは静かに街の風景の一部になろうとするような、
デリケートな演奏の仕方。
ここだけの、というようなはかない感じの時間でした。
この演奏自体はほぼ毎日、13:00〜16:00、
そして夏はさらに夜19:00〜21:00に予定されています。
(その日演奏あるかどうかは、浜田さんにメールで前もって
確認した方がいいと思います)
街の騒音にギターの音がかなり散ってしまうのですが、
それが逆に何とも言えない、静かな響きを....。
耳をそばだてて聴く、という感じの良さ。
有機的な関わりを音楽で、その土地、空気、水、燈、街の風景や年月に持つということが
出来るのだなぁ、と思いました。
つまり、音楽が夕日や運河の水や夏の風や石畳と一緒に呼吸して、ただある感じ。
ただ自分も溶け込んでいきたいような演奏。
例えデジタル楽器でないアコースティック楽器でも、弾き方によっては
演奏自体は良くても、街に溶け込むということは出来ないと思います。
音楽で有機的な関わりを周りと持てるというのは、
多分小樽を愛する浜田さんが、
自我を越えて、小樽に対してオープンになっているからかなぁ、
と思いました。
また来よう、と思いました。
次回は小さな折りたたみイス持参で。
※ちなみに路上演奏をのんびり聴く用goods。
地面が土でない限りは腰を下ろしてゆっくり聴くのは、冷えて困難。
で、もし長く聴いてみたくなったら.....
?ぶ厚い古雑誌一冊。この上に座る。
又は週刊誌一冊と古新聞の朝刊があると便利。新聞を四つ折にして上に週刊誌。
ここに座る。
女性はさらに白い半透明のビニールのゴミ袋をかけると、見た目もOK。
?大きな旅行用品売り場にある、空気入れて使える携帯用クッション。
新聞紙の上に、これを置いて座る。
?小さな折たたみイス。座り心地ベストなれど携帯用には重すぎるかも
私が行った日の中では、
「夢和に捧げる曲」「メナシトマリ」「蘭島」等のオリジナル曲が好きです。
それからラグタイムではないですが、古い映画「慕情」のテーマ曲が絶品でした。
(映画はオーケストラなのですが浜田さんはギター一本。別の味が出ます)
やはり運河沿いを歩く人たちが立ち止まっていきますね。
あと特にロシア人に喜ばれる、ギターで「バッハチェロ無伴奏ソナタ」もアリ。
面倒見がよく、太っ腹な所のある人。
他の隠れた素晴らしいユニットのライブを企画して紹介したり。
文学畑の方の詩作も。
彼がこよなく愛する小樽を題材にした詩が多いです。
またアイヌ研究家としても仕事をされています。
やはり少数民族文化の理解は、
その民族の方々自身の働きかけ「伝える活動」と、
伝える・伝えられる側両方のための翻訳(言語の訳だけでなく解説・研究等々)
仲介「橋渡し活動」と、伝えられる側・受け手の意欲「知るための活動」が
必要ですよね。
この三つの立場の方々のどれが欠けても難しい。
そしてこの三者がきっちりかみ合うと、単なる文化の理解のみならず
三者の立場の分け隔てが薄れて、「みんなで一つの目的を持ち、活動する」という
実感が生まれていくのだと思います。
浜田さんの気持ちは、
昔、アイヌ文化を学びたくて長く勤めた会社を辞めた程、強いものでした。
それが段々少しづつ実を結んでくのが、
外目にも楽しみな感じがします。
現在はアイヌ民族関連の出版に幾つも関わり、
ボランティアでアイヌ語の新聞「アイヌタイムス」の執筆者もしています。
アイヌ民族はまったく独自の言語を持っています。
私達の住む同じ土地の上で自然に出来上がった、日本語とは全く別の言語アイヌ語。
そこには和人が見落としていた、北海道の別の素晴らしさが現れているのかもしれません。
決してアイヌ語はやさしい言語ではありませんが、それを学ぶことで自分たちが知っているはずの
北海道という土地の新たな面が見えてきたりするのでしょうか。。
浜田さんに限らず、一般に音楽をする人たちは言語の習得に強い方が多い気がします。
その必要がある場合の方は、ですが。
音楽出来ない私は、日本語もなかなか・・・・。(トホホ)
★最新CD「赤岩組曲」は作曲家としても新境地、
新しい試みのある作品集。
昭和初期のティストのある題やイラストもいい。
中でも”想い出”は珠玉の一曲だと思った。曲も演奏も。
何を想い出してつくった曲なのか、
ドラマやCMの曲にもいいなぁと思う私ってミーハーさんだなぁ。
◆この新作CDの発表も兼ねたライブに12月上旬私は行ってきました。
絶好調の超絶技巧演奏!!CDとはまた違う種類の迫力。
ただ浜田さんはそのテクを「どうだすごいだろう」とひけらかすような
演奏はしない人です。
ただ演奏中にその難しさを一つ一つ自分でクリアしていくことを楽しんでいるだけという印象。
そしてそれらが演奏の中でとても自然なのは、演奏の中で必要だからなされているからだと思いました。
ライブ「赤岩組曲」の演奏で浜田さんは何も説明しませんでしたが、
まるでギターで岩を愛でて登っていくかのような演奏を披露してくれました。
まず弦の音一つ一つが微妙にぶつかりあって、かすかにはじけ合うようになる。
そして弦の音色が連なりをつくり出す。そしてその旋律、リズムの中には
かすかなくぼみや尾根のようなのがあって、彼はそれを丹念に弦であぶり出す感じ。
引越しの多い私にとって一つの土地がこれ程深く心に染み込むことはなかったです。
いろいろな家や土地に住めて、楽しかったと思ってきました。
多少人より見聞が広くなったつもりでした。
でも浜田さんと小樽への深いつながりを感じると、
一つの土地を愛し、深く思うことで逆にそこから普遍的な何か、
「地球のすべて」を大切に思うこと、方法を学べるのかもしれないと
ちょっぴり思いました。
◆2004年12月には新しい歌のCD「歌箱」が発売されました。
ラグタイムギタリストと違う、浜田さんの歌の世界がぎっしり。
★浜田隆史さんにという方には、類まれなる美質があります。
それは新人の方にチャンスを沢山あげる所です。
青田好きというのでしょうか、高校生のギタリストと一緒にジョイントをして
先々の成長を楽しむ親心というのでしょうか。
これは浜田さんご自身が高校生の頃からライブに出るようになっていたことへの
ご恩返しという部分もあるのでしょうか。
理由は何にせよ、普通ミュージシャンの方々はご自身の演奏活動だけでも精一杯のはずの
だと思います。(生活もあるし)
だから浜田さんのこういうところを、私はとても素晴らしいと思っています。
後日追記 2006年1月
昨年末に発売されました新作CDの
『プレイズ・ロベルト・クレメンテ』の発売記念も兼ねました
ライブに行って来ました!!
久しぶりのライブ!!!
浜田さんご自身の帰りの交通が心配だった程の、大雪でしたが
激寒い、吹雪なのに会場はびっしりでした。
ただ、悪天候のせいで会場にいたのは私以外は玄人ばかり。
やはり「ジャの道はヘビ」っちゅー、超絶技巧のアコースティックギターの魔道、アリジゴクのような魔界をカンジさせられました。
アコースティックギターを弾ける人口は多いですが、
プロになるのは生やさしいことではないです。
しかもエレキと違って食えない。
そして、他民族音楽は演奏が困難な割に、評価されにくいという
ハンディまである!!
なのに異様な練習量を必要とする、本当に大変な道のりです。
何のいいことがあるのか?!!
しかし、浜田さんの周りの方々は
皆さんアコースティックの「匠」揃い。(今日の会場も本州でも)
ボロは着てても(地味でもセンスいい人多いですよ)、
音は錦!!!
(デジタル音楽ばかり聴いている方は、何度か通って頂くと
耳がアコーステイックに慣れて、良さがはっきり分かってくると
思います。これが辛い所なのですが、それぞれ良さがある二種類の音楽。聴こえ方が違うので、少し慣れる必要があるのです。)
市場がメジャーで一杯儲かるデジタル音楽と違い、
インディーズの他民族音楽の演奏は、
なかなか舞台に費用はかけられないけど、
それはそれは贅沢なライブだと
私はいつも、思っています。
この辛いけど、止められない、
「底なしの天井知らず」の、
アコースティック・ギター音楽の魅力に、
演奏家の方々がずぶずぶハマっていくサマは、
さながらアリジゴクの砂穴に落ちていくエジキを
思い出したり....(はは...許してぇ)
浜田さんの意見で私もすごく同感なのは、ラグタイム音楽のミュージシャンとして「自分でつくった曲でも、人のつくった曲でも演奏家としては、どちらでもかまわない」という意味の言葉です。
ラグタイム音楽は伝統をふまえた音楽だから、その中で同じ曲を弾いても、浜田さんにしかない個性があるのだと思います。
浜田さんご自身の曲は外国でも評価されていますが、浜田さんは人の作曲した曲も同じように愛情を込めて、丁寧に演奏する人です。
で、アリジゴクの話に戻りますが、今回の新作CDの
「プレイズ・ロベルト・クレメンテ」は他人の曲です。
そう、この「プレイズ(Plays)」という表題の言葉も
私が思うには、こう何と言うか「はしたない」というか、
舌なめずりして、腕にヨリかけて、この難しい他人の曲を演奏、
弾こうとする、超絶技巧のギタリストの浜田さんの愉しみが
ミエミエで、
イヤだと思いつつ、また演奏を楽しんでしまうのでした。
(はは、ゴメンナサイ)
(このCD、海外の評価も高いし、
各方面から絶賛されました)
アコーステックの一番オイシイ所は、ライブでないと聴けません。
でもライブ会場に来ると、やはりこういう音楽の素晴らしさ、
人間と自然の恵みのしずくを感じさせてもらえます。
ライブだから後に残すこともできない、同じ曲を弾いても
一度たりとも同じ演奏はない、常に一度限りの感動のせつなさと
貴重さを、ぜひとも沢山の方々に味わってもらえたら、
本当に素晴らしいと、いつもいつも思っています。
(ちなみに、アコースティックは誰であっても、
たまにハズす日がありますね。人間だからそれもスリル。
で、ハズしたなりの、又別の良さが出ててこれも、味のうちです)
私が、楽しんだ沢山の時を、多くの人とも分かち合いたいと
思うのは、余計なお世話でしょうか?
さて、この日のライブ、浜田さんのメガネがダサいとか、
服がキタナイとか、玄人仲間からの容赦ない批判の中、
浜田さんのライブが行われました!!
浜田さんのギター・プレイが佳境にさしかかると、
浜田さんを囲む、玄人仲間たちの盛んな拍手や口笛が!!!
陽気で洗練されたラグタイム音楽と、高度なギターテクを
会場は心から楽しんだのでした。
今回思ったのは、確かにテクニック自体の難易度と、
それが良い音楽であるかどうかは、必ずしも一致しないけど
でもライブの中には、その「超絶技巧」自体を楽しむ曲があっても
素晴らしいなぁ、ということでした。
残念ながら私はギターの弾き方を全然知らないのですが、ギターをやれる人は、浜田さんのすごさを私よりもっと理解出来るようでした。しかしギターの知識がなくても、指の巧みさ弦の華やかさは十分感じました。
芸術的にも浜田さんのラグタイムは、素晴らしいし、
ギターという素朴な楽器から、あらゆる可能性を引き出そうとする
浜田さんの生真面目さ、貪欲さ、真剣さ、楽しさが伝わってきて、
聴いている素人の私まで、感化されるようでした。
何の道でも、そういう心が大事だと無言で教えられた気がします。
今まで浜田さんのライブは運河の路上演奏と、
ライブハウスの演奏は違うものでした。
しかし去年まで感じなかったのですが、
今回ライブハウスで浜田さんの演奏の背景に運河での浜田さんが
重なって見えたような気がしました。
音楽家としてこれは必ずしもプラスするとは限らないと
私は思うのですが、
昨夜の浜田さんは「煮込んだおでんのように、いい味が染みてきたなぁ」と思えました。
浜田さんは良い意味で、二つの音楽を融合させつつあるのかも
しれないと思いました。(私には音楽のことは、分からないけど)
「ロベルト・クレメンテ」は、亡くなった野球の名選手を偲んで
作曲された音楽だそうです。
浜田さんのギターで、記憶の遠い霧の中のグラウンドで、
名プレーを繰り広げる往年の大リーガーの姿がとぎれ、
とぎれに見える気がして、その距離感のちょうど良さも
とても良かったです。
「グレート・スコット・ラグ」も「パインランド・メモール」
私は好きです!!
あとライブの中で久しぶりに「ロック・クライマー」という
浜田さん作曲のCD「赤岩組曲」の曲を聴きました。
又昔と違ったように聴こえた気がしますが、再確認したのは
やっぱり「赤岩組曲」は名曲多かったなぁ、ということでした。
さて、本当のことを言います。
私は浜田さんの歌は、一部の曲を除いては、
味わいがありながらも、そのギターに比べるとあまり興味が
なかったです。
でも今回、聴いた歌は良かったです。歌い方が少し変わったせい
かも。「噴火湾沿いの道」!!
それから「北海道ラーメン協会(あるのか?)」で、
ぜひテーマ曲にしてほしいと思った「ラーメンの歌」も好きです。
「例えどんなに体に悪くても、
命をかけて毎日のように食べ続ける」という
浜田さんの心意気が感じられましたね。
(ちなみに時々、食べる分にはラーメンは素晴らしい食べ物だと
思います)
2005年2月
詩人の浜田隆史さん 。
日本を代表するラグタイムギタリストの浜田隆史さんは
アイヌ語の研究・出版の仕事でも活躍していますが、
文芸畑の詩人でもあります。
どの詩も良いですが、個人的好みでは特に最新作の「ヤイサマ」の
とりわけ「ヤイサマ3」がとても良かったです。
浜田隆史 詩集
http://www.geocities.jp/otarunay/yaysama.html
参照
浜田隆史HP
戻る
]]>
浜田隆史
2003-03-17T22:36:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929643
SOUBGEN
SOUBGEN
杉中夫妻のユニット。
活動を二つに分けると、和ベースの、三味線・日舞と
アポリジニ音楽ベースの、ディジュリドゥ・ボーカル・タンプーラ。
ワールドミュージックは、いろいろなジャンルが混じっているので、
聴...
SOUBGEN
杉中夫妻のユニット。
活動を二つに分けると、和ベースの、三味線・日舞と
アポリジニ音楽ベースの、ディジュリドゥ・ボーカル・タンプーラ。
ワールドミュージックは、いろいろなジャンルが混じっているので、
聴く側も固定観念や、従来の価値判断を横に置いて、
オープンな気持ちで聴くと良さを感じやすいですよね。
実力ある「道楽者」を強く感じるユニット。
特に、私の好きな和ベースの方を書きます。
特徴は「お座敷」遊びの楽しさ。
三味線や謡や日舞は、日本のお座敷で花開いた素晴らしい伝統芸能です。
でもお座敷で育った花は大きな舞台に上がると、普通ちょっと貧弱に見えます。
(カラオケボックスでどれ程上手く歌う人でも、
舞台で歌うとスケール小さく感じるのと似てますね)
彼らはこの道楽アート「お座敷」の芸能の良さを、
舞台でちゃんと表現出来るアーティスト。
本当のお座敷は、接待・宴会の場所でもありますので、
どこか猥雑な印象がない訳ではないのですが、
彼らの舞台は粋で品が良いです。
空間コーディネィト・衣装も含めて、見応えあります。
プロとして人を楽しませることに徹した結果「ど派手」。
彼らのライブは、
花も実もある中高年のお客さん達も熱狂!!大拍手で盛り上がります。
なお特に若い子達のファンが多いアポリジニ音楽の方は、
ライブの他にワークショップも開いています。
ただ音楽・踊りそしてビジュアル的にも見応えたっぷり過ぎて、
目移りしてしまい、演奏自体の印象が多少散るのが残念な所。
一つ一つが半端なものではなく、しっかりしたものなので、
余計残念。
でもそういう損も承知で、思い切り「道楽者の花」を咲かせる感じが
SOUBGENのすごい所。
杉中久夫さん
(三味線、ディジュリドゥ)
アボリジニ音楽のディジュリドゥの演奏もとてもいいのですが、
ここでは三味線中心に。
杉中久夫さんは、学生時代にロックギターで数々の受賞歴があります。
彼は「何の楽器」とか「何の音楽」という分け隔ての観念の薄い人。
今愛着を感じている楽器が、逆にどんな音を出せるのか、どんな可能性があるのか、
そういうことを追求していきたい、ある意味でぜいたくな人という印象。
そしてそのために受ける損な部分(半端に思われやすい)も黙って背負っている。
彼が世間で高く評価されたロックギターを捨てて選んだのが三味線。
彼の三味線は数年の手ほどきを師匠に受けた他は独学。
でも乗ってる時の舞台に当たるとバチで弾く三味線という楽器の味を
十分に堪能させてもらえます。
上手いです。稽古に励んだ彼自身の三味線の巧みさを
彼は「まだもて余している」と、時に思うことすらある位。
涼しい目元とあまりに寡黙な印象にとっつきにくい感じもアリ。
でもバチを持って熱がこもると、普段見せない強い芯とエネルギーを感じさせてくれます。
幕間の時は全体的に気さくで温か。
彼は三味線でインド音楽を演奏したことがありますが、
三味線と思えないような音色と演奏の仕方なのにとてもなじんでいて不思議でした。
一見ミスマッチ、エスニックという感じなのですが、浮いた感じは全然なかったですね。
楽曲はインドなのですが、逆にこれが三味線のキャパシティの開拓、
その新しい面を聴かせてくれるためにインドの楽曲を選んだように思えた。
シタールそっくりに弾いているのだけど、
全然違う三味線という楽器はこういう音も楽々出せるのだと勉強させてもらった感じ。
音楽を楽しみながら。
日本は夫婦社会でないので、ご夫婦で活躍される方はジャンルを問わず
気苦労もあるようですが、
気さくで個性強い二人は見てるだけで心楽しく、
対のお神酒徳利デスネ。
ゆう呼さあやさん
(日舞・ボーカル・タンプーラ奏者・)
ご主人の久夫氏の三味線と同じく、流派に属さない彼女の日舞。
元々舞台の日舞のプロの舞踊家。
フリーで活動中で、時々別の流派のプロの公演に助っ人に行ったり。
長年稽古に励んだ彼女の日舞は、
あだっぽくて、可愛くて、元気良くて清らかで。
気さくな人柄、とても素敵な女の人です。
この年齢になったから、余計素敵なの。
ご主人の久夫氏の懐の大きさを感じる所ですね。
昔、有名な芸妓さんがスターになってレコードを出したり
大きな舞台に立った時代があったそうですが、
それを思い出す位あでやかな印象。
服飾とインテリア等のセンスがプロのスタイリスト並の、
ゆう呼さあやさんが選ぶ舞台衣装はそれだけでも、一見の価値アリ。
初めて彼女の用意した大がかりな布の舞台装置と衣装を見たとき、
私はしばらくぼや〜っと、ただ見とれていました。
舞台装置はその時によって、あったりなかったり簡単だったりもします。
それから化粧。
一般に濃い化粧というものは、良い印象を持たれないのですが、
彼女はメイクアップはお白粉と紅の素敵さ、お座敷のお化粧の良さを
上手に舞台用にした感じがあります。
謡というのでしょうか、声もいいです。
アボリジニ音楽の時は、向こうの言葉で歌ってくれます。
SOUBGEN HP
2009年3月
バルセロナやスイスでも公演してきた謎の杉中夫妻。
特に彼女の日舞のファンのゆう呼さあやさん。
ボーカルを初めて聴いたけど、また良かったです。
相変わらず気迫の、久夫氏の三味もすごウマかった。
なぜか、お寿司を握れる、ゆう呼さあやさん。
寿司職人が少ないスペインでは、頼まれて握ってから
現地の人に「バルセロナNo.1の寿司職人が来た!!」と
騒がれ、大変だったそうです。
バルセロナのミュージシャンのとのCD、すごく良かったです。
また新譜「「しばれ」Shibare好評発売中。
http://www.mo-ment.com/soubugen/
参照
チャオHP
戻る
]]>
SOUBGEN
2003-03-17T22:31:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929642
Hard to find
HARD TO FIND(ハード・トゥ・ファインド)
主にケルト音楽。
(小松崎健 小松崎操 扇柳徹 星直樹)
「ケルト音楽を東洋的感情で昇華した新しい伝統音楽」と言われています。
(アイルランドの伝統楽器による、アイルランド、東欧、北欧諸国、ア...
HARD TO FIND(ハード・トゥ・ファインド)
主にケルト音楽。
(小松崎健 小松崎操 扇柳徹 星直樹)
「ケルト音楽を東洋的感情で昇華した新しい伝統音楽」と言われています。
(アイルランドの伝統楽器による、アイルランド、東欧、北欧諸国、アジアの民族音楽。オリジナル曲も多々)
学生時代からのユニットは、今年で結成十六年。
紅一点の操さんはリ−ダ−の小松崎夫人。
北海道を題材にしたオリジナル曲も多い。
その音楽といい、息の長い活動歴といい、家族的結束といい、
また北海道インディーズ民族音楽家のお兄さん格的活動といい、メンバ−の年輪といい、
私は彼らを「北海道の宝」名物ユニットだと思っています。
四人共ソロ的な活動があって、そちらもそれぞれ十分いい演奏なのですが
でも四人になってHtFになると、また微妙に違うモードになっている。
「鉄壁のチームワーク」!!
HtFの皆さんは「我を殺さずに、我を捨てている」、
そういう感じがします。
オーケストラ程人数いないので、それぞれの個性もとても大事ですから。
楽器の種類ごとの音量とか演奏分量等、
お互いの見せ場の出と引きが絶妙。
きれいごとでなく本当にこの「鉄壁のチームワーク演奏」が
素晴らしい演奏を可能にするのだ、と目の当たりにさせてくれました。
アイルランド人でも、知ってる人が少ない楽器である中世の
ハンマーダルシマーがメイン。
アイリッシュ音楽をやるユニットは結構ありますし
ネィティブの有名ユニットのCDも持っていますが、
私はHtFの楽器構成での演奏が最高に好きです。
曲の糖度(?)が微妙に少ないし。
ダルシマーがアイルランドでも一般化しなかったのは、
多分演奏するのがとても大変な楽器だからのような気がします。
ハープ系の美しい音色ですが打弦楽器のせいか、
微妙な所で華美に流れ過ぎなくて私は好きです。音色の底が骨太な所も。
ダルシマーの他にもう一台主旋律的楽器フィドルがあります。
これは「バイオリン」なのですが、演奏の仕方も音色もクラシックとは
全然違います。
そして中では一番派手な音の出る楽器です。(だから苦労も)
昔読んだオペラのマンガに、
主演のソプラノには二種類タイプがあるという話がありました。
「ドラマティックソプラノ(華やかでドラマティック)」と
「リリコソプラノ(繊細で叙情的)」。
それぞれの良さがはっきりとある、いずれも主役の歌手の歌い方。
これに例えるなら前者がフィドル、
後者がダルシマーという楽器自体の持つ音色でしょうか。
HtFの場合この二台が演奏中に微妙に溶け合って、
そこにベースのギター、スパイスの笛やボウランが入って一つになって、
四台の音が応え合って、演奏は更に更に高まっていく感じがします。
前にまだ結成十六年経ってると知らなかった、
千歳市のプラネタリュウムコンサートの客席で私は「飛び」ました。
「モリソンズジグ」(詳しくはクリック)というアイルランドの
ダンスチューンの演奏のときでした。
あれは最高でしたね。
HtFはそのときによって、いろいろなタイプの演奏を聴かせてくれます。
絶好調のときは、四人が溶け合って一つ。
「せつない」「精霊が宿る」「高まっていく」いろいろな感想が客席からも上がりますね。
日常生活の中の音楽のはずなのに、不思議。
(もちろん楽しいのとか、演奏の種類はいろいろあります)
クラシックなコンサートホールからいろいろなお店、野外等その場に合った演奏。
メンバー各々の年輪、ユニットの結成十六年。
喜びも悲しみもいく年月......という家族的ユニットだから
こういう風な深い味が出せるのだと思います。
HtFのHP
扇柳徹さん
ボウラン・ホィッスル・アイリッシュブギー奏者
学生時代にすでに出会っていた他のメンバーと異なり、
扇柳さんは、彼らが札幌に来てからのご縁。
でも創立からのHtFのメンバーです。
一矢乱れぬHtFのチームワ−ク演奏の中、
曲の彩りを鮮やかにします。
私はボウランとアイリッシュブギーと
ブリキのティンホィッスルが特に好きですね。
私の大好きな曲「ジュリア・ディラニー」という曲の中の、ボウランが特に最高!。
この曲四台の楽器の配分がほぼ等分という部分がかなり多い曲。
扇柳さんが他の三人の演奏を祝福するように、静かで巧みなリズムでボウランを叩くと、曲全体が起き上がってくるような感じがして。
アイリッシュ・ブギーは楽器の構えかたも扇柳さん独特。
ちょっとコミカルに、でもいさぎ良く決然と弾くの。楽しい演奏。
他のメンバーと違って、扇柳さんは沢山の楽器を扱わなければ
ならないので大変だと思います。
でもHtFの音楽の大切な仕上げのスパイスが、
扇柳さんの演奏だと思います。
HtFの中では個性の強い存在感。
三角山放送のパーソナリティもしています。
たまに思い立って髪を茶髪にしたり、無言・迫力のパフォーマンス、
ライブの途中でひと言過激なジョークを口にしたり、
ハラハラしつつも楽しい方です。
そう言えばHtFは元はブルー・グラス出身。
海外でもこのジャンルの演奏家の中にはコメディアンもやれる人がいます。
扇柳さんはそういう方面もいける方です。
今度演奏と別口で、ショータイムあっても楽しいなぁ、と思います。
通常の演奏会ライブでは難しいかもしれませんが。
HtFの明るい盛り上げ役ですが、
普段はお人柄、マイペースな落ち着きが感じられる方です。
そして、息子を愛するパパさん。曲によっては主旋律部分を受け持つ笛ですが、
私は息子さんに捧げたオリジナル曲のときに聴ける、笛の演奏が一番好き。
絶妙。つや消しのような、少し抑えた吹き方。なのにかえってしみじみ映えるのです。
この曲の時だけでなく、個人的に扇柳さんのホィッスルは
ブリキ製のティンホィッスルが一番好みです。
金属なのに耳にきしまないし音量といい、響き方といい抑えているのに存在感が大きい。
成熟した心のゆとりを感じる時。
オリジナル曲も人気アリ!
最新CDでは、循環呼吸演奏の「鈴架の空」も評判に。
ソロ活動や他のユニットとの競演も増えています!!!
星直樹さんと組むときは「星一徹」なんてのもあって受けてます。(はは)
1st.ソロCD「はなのあめ」絶賛発売中です!!!
クラリネットにも、コンセプトの「和」を感じる表題曲は、
ひな祭りに亡くなられたお祖母さまにちなんだ、しめやかな曲。
葬儀の日、はなのあめは本当に降ったのかもしれない、と思いました。
(ばばコン、だった私は自分の祖母の御見送りのときを思い出しました。
うわーん)
カンテレのあらひろこさんとaasian kukkaでネオ・アジアサウンドを。又佐々木幸男、細坪基佳、河合英里などのミュージシャンの40枚近くのレコーディングメンバーとしても大活躍!
おいしい音楽
小松崎健さん
ハンマーダルシマー奏者(教室もやってます)
FMさっぽろ村ラジオのパーソナリティ。
コンサートのほか、作曲家としてテレビ・記録映画用音楽等の活動も!!
昨年健康のため、ひと回りやせられました。
(うらやましい)
圧倒的に年間ステ−ジ数が多いHtFの営業担当等として、
音楽のほかにも休む間のない日々を送っています。
とても気さくなお人柄の健さんですが、彼のダルシマーの演奏には、
かすかな白い光みたいな奥行きがあって、高まっていくのを感じる時があります。
HtFのジグやリール等のダンスチューンの出だしのほとんどが
ダルシマーで始まって、他の三台の楽器を引き込みます。
初めて聴いた時、私はここで耳と目が釘づけになりました。
今でも聴いててぞくぞくします。
さて、CDの話になりますが、
HtFの演奏の中で私の大好きな「モリソンズ・ジグ」、
これを健さんはソロのライブアルバムの中で、独奏しています。
両方ともCDで聴きましたが、健さんのソロは力強くて素晴らしいです。
(CD「風の響き・愛蘭土の調べ」)
ダルシマーは弾き方によっていろいろ楽しませてくれる楽器です。
「オルゴールの珠玉の演奏」に似た精緻で繊細できれいな魅力も沢山ある楽器ですが、
私は健さんの、それとはちょっと違う、力強くてせつない時の演奏の仕方が特に好きです。
(曲目によって良さはそれぞれありますが)
あと手首の上をわりとぶらぶら、自由にして叩く感じのときも楽しいです。
それで普通に演奏する場合もいいですが、
さらに「楽器を叩く」ようでない叩き方で味のある音を出すことがあります。。
やはりこの方の静かで強いリーダー力があればこそ、
HtFはここまで来れたという気がします。
温かく優しい人間的なキャラクターに、
力強いリーダー頭が備わっている。
結成十六年という年数、いろいろな沢山の壁を乗り越えて今のHtFになったはず。
その姿には本当に教えられました。
言葉にしないけれど健さん率いる「Hard to find」の皆さんはユニット名の通り「見つけにくい、得がたい何か」を
音楽に求めていくことを最初に決めて活動を始めたのだと思います。
その「何か」が「何なのか」は分からない。
ただ皆さんマイペースでコツコツ長い道のりを来ているのだなぁ、
という感じがします。
「そして4人はどこへ行くのか?」
最近の演奏を聴いた後には、私はいつもそう思うようになりました。
HtFはユニットを組むことの意味をそれぞれがぎりぎりの所で受け止め、試行錯誤をしながら、ここまで来たのだと思います。
健さんは卒業後、北海道に魅かれ本州から移住。
そしてライブハウス「Jack in the box」を始めました。
音楽専業になるために、二代目アコーディオン奏者の高倉雄造さんにお店を譲っております。
主代わっても、このお店はインディーズミュージシャンの人生が
染み込んだ名店です。
「千歳川」等、こよなく愛する北海道が題材の曲がまた素敵。
こんなに北海道を感じる曲をつくれるのは、
多分本州と両方を知っていて、
そして北海道を長く愛してきたからじゃないかなぁ、と思う
ダルシマーがつむぐ叙景詩のみごとさ、自然さ、品格。
北海道の自然の風物と歴史が、光と水と共に沢山詰まっています。
他「バッコンズ」「ストーヴ」2ユニットでも活動。
2005年より操夫人と二人の「ダルシフィドル」結成。
ファンとしては、本当に楽しみなユニットです。
他北欧の楽器のカンテレ奏者のあらひろこさんや
ニ胡の荒木田真穂さんとも活動。
また他のジャンルとの競演も多し!!!
打弦人生
小松崎操さん
フィドル奏者
HtFの鉄壁のチームワークは、操さんのフィドルの演奏でもよく分かります。
健さんのハンマーダルシマーの音色の下に、
操さんのフィドルがぴたっと付いて演奏される。
なかなか出来ることじゃないと思います。まるで高性能の潜水艦みたいに。
(そして健さんもこの逆を操さんのフィドルに対してすることがあります。すごい)
児童文学の大家 後藤竜二氏の絵本「りんごの花」に寄せてアルバムをつくったことも。
オリジナルの「りんごの花」という曲は、
健さんとお子さんとの素晴らしい家庭生活が生み出した、
温かい女性性、情感を強く感じる音楽。
健さんの公私共のパートナー・ユニットのおかみさん役として、
幸せながらも大変なこと沢山あると思います。
音楽と愛と家庭とこれからもますますのご活躍をお祈りしております。
星さんとの人気ユニット「RINKA」でも活動
最新アルバムは「Beauties of Autumn」!!
そして2005年より健さんと二人の「ダルシフィドル」結成。
ファンとしては、ぜひ末永く聴き込んでいきたいユニットだと
思います。。
IRISH MELODIES HP
アイルランドを聴く
2003年7月下旬
◆最近の演奏に、ご夫妻のまた新しい面が現れて驚いています。
それまでは健さんと夫人の操さんの、
前述のようなご夫妻ならではの絶妙演奏でした。
それだけでも最高だったのに、ある会場のある一曲の二人だけの演奏部分で
二人はまた新しいデュオの組み方を聴かせてくれたのです。
ダルシマーとフィドルが互いに確かめ合いながら、
一音一音深く入っていって、お互いの存在の根の所まで降りていく感じでした。
神秘的だった。
長年の演奏歴と人生の年輪がないと出来ないタイプの演奏だと思った。
二人共が超上手くないと、
結局双方殺し合って聴こえ、曲自体のバランスが変になってしまうから。
それは二人がご夫婦なことや、男と女であることに関りない演奏だった。
ただ二人が結婚していることで、演奏パートナーとしても長く親密になれていた
ことが、あの演奏を可能にしやすくしたのだと思う。
アーティスト同士として互いにじっくり取り組めたことが。
この演奏パートナーシップの新しさ、素晴らしさにまたとても教えられました。
デュオにはいろいろな組み方があって、その時と場合でそれぞれの良さがありますよね。
星直樹さん
ギター奏者(教室もやってます)
いぶし銀のギタリスト。HtFの押さえ。
若い外見なのに、無口でいつもしぶい存在感。
サラリーマンを退職後覚悟してこの道に。
ストイックにギターひと筋。
穏やかで温厚な人柄と、そこに隠れる芯の強さを感じる人。
星さんのギターの素晴らしさは、他のメンバーが調子良くない時によく分かります。
何かの事情で他のメンバーの演奏が不調のとき、
いつもは脇役に徹している彼のギターの音が前に出るのです。
普段の時だって、例え地味に脇に徹して演奏していても、
演奏技術の確かさはそれだけで華があるものだなぁ、と教えられています。
この他操さんとの人気ユニット「RINKA」でも活動。
最新アルバムは「Beauties of Autumn」!!
扇柳徹さんと組むときは「星一徹」なんてのもあって受けてます。
(はは)
一度だけソロ演奏を一曲聴いたことがあります。
とても繊細な弾き方をベースにそのさ中、別の手で朴訥につま弾く部分があって
とても素晴らしかった。
それは拙く弦を弾いているようで、実はとても難しい弾き方のように思えました。
しみじみと心に染み込んでくる、温かい演奏。豊かな。
人には何があってもどこに居ても、心の奥底に「静かな流れ」があって
星さんの演奏はそれが基底にあるような気がしました。
それは不器用な人しか手に出来ない世界なのかもしれない。
※2005年からソロ活動開始。
(このページの、ずーっと下の方に、もう一度星直樹さんの
後日追記が出ています)
2004年11月
◆久しぶりでした。小さな画廊喫茶なのですが音響が素晴らしいので
よくレコーディングスタジオに使われる会場。
素晴らしかった。いつも思うのですが民族音楽の場合
「ベストコンディション」を感じる演奏にも2タイプありますよね。
?演奏家達がリラックスして、肩の力が抜けていて、ちょっと精神的に余裕あって
心持ちどこか引いて演奏している時。音楽が引く分、観客のイマジネーションが広がる感じなのかも。
HtFなら会場の空気が心持ち「あめ色」に変化したようになって、
会場とスタッフとお客さんとそこにあるオブジェの全てと、空気と温度と匂いが演奏家の音楽で
一つに紡ぎ合わされて、廻るというような感じ。
「ああ音楽って楽しいなぁ」って心から思えて。
こういう時は演奏終わっても、打上げ行ったり、会場に残りたくなりますね。
「音楽って本当に素晴らしい」と心底思える感じ。
リラックスして余裕で演奏しているといっても、演奏家の方たちは手を抜いている訳でなくて
そういう演奏だということ。
人びとの人生の節目ごと、生活の中のいろいろな場面で演奏されてきた
「生活必需品」の曲ばかりだから、こういう演奏の仕方もまた正統な演奏なのだと思います。
?クラシックのコンサートに似ていますが、演奏家の方はこなれて弾いていながらも
会場は何かが張り詰めたようになって、テンションが上がっていく感じのタイプ。
演奏家の真剣さ、音楽の神聖さ尊さ。
HtFならつやが増して、せつない感じ、精霊が宿る、音の滴がしたたるというあれ、ですね。
(ヨダレもの演奏ですね)
(ちなみに?でも演奏家の方は変らず真剣なのだと思います。ただ会場と観客に対して
多少遠慮というか気を使っているように思えるのが?。会場の全てを含めて演奏している感じ。
もう一つはたまたまそういう巡り合わせとテンションで
「何もかも忘れて演奏に没頭している」時が?ですね。
?の楽しさも大好きだし、
?の後は、余韻を大事に楽しみたいから一人で黙っていたい(私個人は))
私は個人的にはやはり?!!!ですが、でも?も又捨てがたい!!!
(両方それぞれの良さですね)
★今回はソロでないけれど、星さんがリードを取る「アーロンズブギー」がめちゃ良かった。
いつも裏に回りがちな星さんは、こんな華やかで面白い楽しい演奏もやるのですね。
ソロアルバムを出した扇柳さんは、大事を一つ終えた余裕か一段と素敵な感じがしました。
かすかに丸味が出て、それが変でなくいい雰囲気。
特にアルバムの曲「鎮守の森」のクラリネット演奏は、素晴らしかった。
クラリネットといいティンホイッスルといい、
「扇柳さんの金管楽器(?)」私はとても好きです。
せつせつと、ひそやかに響くサウンドの数々。
ちょっと又きゃしゃになった気がする操夫人、
衣装も一段と素敵だったし演奏はいつもながら素晴らしかったです。
「フィドルとはこんなにいいものか?」と操さんの演奏を聴くといつも思うのですが、
楽器自体印象が強烈なフィドル(バイオリン)の音色が、HtFのほかの三人の楽器と合わさることで
引き算されて糖度が下がり、逆にそれぞれが強烈に引き合い、引き立つ感じが私は最高に好みです。
これはダルシマーにも他の楽器にも似たことを感じます。
お互い殺しあうことだって簡単に出来ると思うので、
絶妙のチームワークと年輪のあるHtFのグレートさを又ことさらに感じました。
健さんは笛がとても上手いことに最近気づいて驚いています。
打弦楽器専門だと思っていました。
近年、娘さんが吹奏楽で素晴らしい活躍、充実した青春・学生生活を送っておられるのですが、
健さんのメインの楽器ではないですが、笛については「さすが彼女のお父さんだけある」
と思ってしまった。
(実は娘さんの演奏はまだデビュー前だから聴いたことないです。
でも素晴らしい活躍をなさってます)
健さんて何となくどこか良い意味で「意外な部分」をいろいろ隠している方だと
思うことがあります。(根拠ないけど、あくまで良い意味でです)
リーダーの小松崎健さん・操夫人は、それぞれいろいろなユニットで
HtF以外のそれぞれの演奏活動の場面が増えてきています。(扇柳さんも星さんもご同様に)
でもお世辞抜きで私は思います。
この二人は他の演奏家との活動で互いの見聞を深めているんだなぁ、と。
だってやはりHtFでご夫妻で演奏するときが、最高の演奏に聴こえるから。
互いに懐が深くなって、さらに魅力が!!
そのために、ご夫妻はいろいろな葛藤を乗り越えてきたように思います。
お二人の「ご夫妻ベスト演奏」を聴きながら、
私はやはりお世辞抜きで健さんのお人柄を感じます。
素晴らしい演奏家ですが、リーダーとして、又死ぬほど音楽が好きなミュージシャンとして
健さんはHtFのこと優先で自分個人のことを後回しにしてきたような気がします。
まだ数年しかHtFを聴いていないのですが先述のように、
健さんは営業・広報、マネージャー業務等で音楽家として以外にも大変ご多忙な方です。
僭越ながらお気の毒な位。
でも健さんだからやっていけると思います。
「北海道の名物・宝ユニット」大好きなHtFの皆様、
お体にお気をつけて、これからも末永くご活躍なさって下さいませ。
(ああ、こうやって書かれようと書かれまいと音楽する方たちは
一つのユニット、一人の演奏家について生涯がずっと後日追記の更新の連続なのですよね。
すごいこと、とてつもなく素晴らしいことです)
※そしてこれはどんな人でも、何をしている人でも同じですね。
2005年6月
CD「Tie The Ribbon」新発売。
年月と共にユニットとして成熟していくHtFを又感じさせて
もらったアルバムでした。
ライブの本当のすごさはCDに記録できませんが、CDには
それならではの良さを感じます。
妙な言い方ですが、
上手いとかそうでないとかに関わらず(そういうのは練習量の問題だと)、演奏家の「楽器」を前にした時の態度について
少し思うことがあります。
上手く言えないのですが、「がっつかず」「でも乗り損ねず」っていうのでしょうか?
どんなに技術的に上手くても、意外と若い演奏家の演奏に
この楽器に対する時の胆力というようなものが、座らないと
思います。
それが又しても充実したことを、このCDは教えてくれた気が
します。
やはりアイリッシュ音楽がHtFのメインはありますが、
今回のCDではフランス、フィンランド、ロシア等の
ちょっと異国的他民族音楽的、アイリッシュっぽい音楽が
特に素晴らしかったです。
「Na Scobkach Mand Jurie」(ロシア)
「De Saint Paul A Terrebone」
(フランス)
「Aku Waltz」(フィンランド)
★2005年9月
「ダルシフィドル」行ってきました。
Hard to find(北海道の宝ユニット)のリーダー
小松崎健さんと、操夫人二人だけのユニット。(待ってました!!)
この名前「ハンマーダルシマー」と「フィドル」を
かけ合わせた名前のようです。
私はこの、一見おざなりに思える、
でも分かりやすい名前を読んて思ったことは
夫婦水入らずって「そんなに照れます?」という
ことでした。(はは、ごめんなさい)
ネーミングの上手い健さんらしからぬ、ぶっきらぼうさ。
会場の、大きな、素敵なビアレストランは、
いつもよりお客さんが多くて、席を取るのがやっとでした。
健さんは、ちょっと照れ気味でいつもよりうつむき加減。
操さんはいつもと違う、スカートの衣装で、
演奏中嬉しそうに、健さんする目配せとか
健さんが、うなづく所とか、
何かこう「当てられつつ」も、特別なパートナー同士の
「いい空気」を頂いた気が致しました。
ご夫妻は、Hard to findのライブの中で、
たまに部分的にお二人だけの演奏になることがあって、
その時の素晴らしさが忘れられないでいました。
だから、このユニットが出来てとても嬉しいです。
いつもいろんなタイプの演奏をされますが、
この日の演奏は、華やかで、客席の私たちも一緒に
浮き立つような、楽しいものでした。
ホールの客席の間を、踊り回るような音楽。
私はお二人のシリアスなカンジのときの演奏が大好きなのですが
こういうのも又違って、とても良かったです。
昔ビヤホールの常勤演奏の仕事で鍛えた健さんならではの、
配慮かな?と思った程。
お二人は駒大の同じ音楽サークル出身。
当時「年上のマドンナ、操さん」と、「年下のいい男、健さん」の
ドラマチックなラブと結婚に、
口惜しがった人は多かったようです。
そう、卒業して結婚、健さんは東京を捨てて、
お二人で操さんの郷里エゾ地へ、逐電。
(ああ、誰しも青春がある)
「愛」と「音楽」で結ばれたお二人は、今でも
きらきらとしていますね
私はお二人を含めたHtFのライブに行くようになってから
すごくみなさんが、人間的にも素敵なので「駒大」も素敵に
思えて、「駒大ファン」にもなった程です。
(しかも去年今年は、野球も付属苫小牧高校が
甲子園優勝しましたね)
いつもながら、
お二人の演奏は、長い年月のへんりんを少し感じさせる
ものでした。
多分お互い苦楽を共にし、長い年月にはいろいろなことが
あったのだと思いますが、
それでも死ぬほど音楽が好きで、がんばってきたお二人。
どっか、桜の舞う駒大の校庭からずーっと持ってきた
何かの潔癖さのかけらを、捨てきれないで、理想を持ち続けた、
そんな清々しい響きを聴かせて頂いた気がします。
(お二人もそうだし、HtFはどこかそういう素晴らしさを
響きの底に持っているユニットだと思います)
北海道の他民族音楽のミュージシャンというと、必ず健さんの顔が浮かぶ程、
健さんたちの「ひたすら音楽ご一家」は魅力があると思います。
ユニットの顔、リーダーで、営業で、映画やドラマや、
市関係の作曲、
そしてハンマーダルシマー奏者の健さん。
フィドル奏者の操夫人。きつ目の舞台メイクを落とすと、
少女みたいな「可愛いお姉さん」の操さんのフィドルは
本当に美しい音色で、うっとりします。
他民族音楽に限らず、ミュージシャン同士のご夫婦って
やはり客席にとっては、とても魅力があると思います。
(健さんたちは、逆にご夫婦であることを人に気を使わせないよう
気を使っているカンジがありますが)
音楽家同士としてそんなことは関係ないとはいえ、
でもやはり他の人と組むユニットと違い、やはり良くも悪くも
何とも言えない「味」をカンジることがあると思います。
それだけに、何かトラブルがあったら辛いこともあると思うし
他の仕事もそうだけど、いろいろな大変さもあるのだと思いますが
お二人共、成熟した大人のココロで乗り越えてきたカンジが
します。
人生先のことなんて、分からないけど、
その時その時共にがんばってきた
お二人の姿を見ていると、いつも何かしら教えられることがあります。
ユニットの顔、リーダー、営業等、気の毒に思えることがある程
健さんは大変です。
そのため、たま〜に演奏にムラがあることもあります。
(アコースティックだから、誰にでも必ずそれはありますが)
でも今日の晴れの演奏、ものすごく丁寧なダルシマーの演奏に
ぶっきらぼうながら、夫人の操さんへの「夫婦愛」を
カンジて「ごちそうさま」でした。(ホカホカ)
本当にすばらしい演奏でした。
いつか、やはりミュージシャンの娘さんの演奏が加わったら
又いそいそと観に行きたいと思っています!!
(ジャンルは違うけど、高校で音楽に青春を賭けている彼女。
同じユニットに入るかどうかはともかく、楽しみですね)
アイルランド音楽では、有名ユニットに家族が入って、
長い年月活動している方たちがあるようです。
しかしそれの長い活動は、人間関係だけでも、
とても大変なことだと思います。
ました日本ではそういうユニットは難しいと思うのですが、
Hard to findはそれを実現している
数少ない素晴らしいユニットですね!!
★2005年10月
ララバイ2004(ユニット名)にも記事あります。
(ティンクナ・福井さんの欄です)
2006年7月 後日追記
HtFはブライアン・ブルーで、年に一度はライブをやっています。
アイリッシュ・パブという場所柄、選曲が気のせいか、私の好きな伝統音楽系のダンスチューンが多いし、HtFの方々の演奏も、
いつにも増して気合が入っているように思えるから、
今年も楽しみにしていました。
しかしこの日は、行くのも無理かと思った程、ほとほと体力が底をついていたし、書くのはお休みして、HtFのライブを一晩楽しもうと思って、会場に向かいました。
……と、そういう日に限って、
演奏がいつにも増して良かったりするのですよね。
お酒は演奏後に飲めば良かった、と後悔した程でした。
(また、このお店、お酒も料理もおいしいのだ。くすん)
そういう訳で、ふらふらの状態で聴いていたのですが、
それでも何か嬉しくなる程、良いライブでありました。
(ちなみに、酔ってても、体調悪くても、ライブが不調だと、
やはり良く聴こえたりはしないです。
「ああ、客席も舞台も、お互い不調なんだ」というだけです。
はは)
HtFは近年、メンバーそれぞれが、「二人組」になって、
ユニット活動をしたり、ソロ活動をしたり、又外で活動する機会が増えていました。
一つのユニットを、ずーっと聴き続けるという必要のある森の休日社としては、例え好きでも、なかなか「本体ユニット」以外を全部聴くことは難しいです。
そして私は、昔から「本体ユニット」がやはり一番好き。
だから、本体ユニット以外の活動が増えると、ちょっと寂しいと思う部分もありました。
しかしこの日、久しぶりの「本体ユニット」の演奏には、それぞれのメンバー同士の活動が、プラスとなって、しっかり実っておりました。すごく「調和」が良かった。
調和といっても、
HtFは「フィルハーモニー・オーケストラ」(?)みたいタイプの、合い過ぎたカンジの、イージーリスニングみたい音楽にならないのが、好きな所なのですが(それはそれで、ポール・モーリアとか、昔大流行した良さがありますが)
そういうのと違う、四人の音楽のバランスが、一つの曲をつくっていくときに、絶妙になってきたなぁ、ということでした。
特に、それぞれ二人ユニットを組んでいる同士の、演奏が、一曲の中でも、「互いのどこを、踏めばいいか分かっている」というカンジになっていて、聴いててもとても良かったです。
操さんや星さんは、二人ユニット「RINKA」歴が長いし、ソロも素晴らしいです。そして他の人と組むのにも、非常に長けた部分があると思うのですが、
今回のライブは、扇柳さんのそれが、特に目立ちました。
近年HtF以外での活動が、多くなって、心は離れてしまうのでないか?などと、余計な心配をしていましたが、逆に他で又ひと回り、大きく、ますますゆとりが出たという印象。
バランス良く、またスパイス役として、鮮やかに曲を起こしていく様に、うっとりといたしました。
あと、今回目立ったのは、健さんでした。
健さんは、リーダーだし、いつも調和力は一杯。
ただ、ユニットの顔であり、リーダーであり、営業であり、広報であり、とても大変な役どころ。
それで、ユニットの演奏として、いつも文句なしの演奏ながらも、旋律楽器の演奏者として、ごくごくたまにムラのあることもありました。(それでも、十分素晴らしかったけど)
でも、この夜は、健さんのハンマーダルシマーには、十分弾き込まれてきた、安定感と、胸に染み入るような新鮮さがありました。HANAがありました。
という訳で、どの方も素晴らしかったです。
操さんがちょっとやつれているのが心配だったり
(引越し疲れのせいだといいのですが)、
逆に星さんは何とも言えず、いい表情だったりして
(演奏も静かで厚みのある迫力が強まったカンジ)、
やはりこうやって、長く同じユニットを聴いていると、音楽も分からず、音楽家に比べると格段に耳も劣る私も、専門的なことはともかく、多少の違いはカンジられるようになります。
誰でも。
(同じ客席にいた知人達もそうでしたから)
やはり音楽も又、それぞれの人生ドラマなのだと、思うに至るようになったことが、拙いながら、
森の休日社の特集記事を始めた理由の一つでありました。
最近は、こうやって、ずーっと書き続けるのがいいのか、ある程度記事がたまったら、あとはそのままの方がいいのか、迷っています。
(書くのは好きなので、拙いながら、全然苦にはなりませんが)
(元々は、ライブの後に配られる、ミュージシャンサイドの
アンケートに、メール等で回答して感想を書いていたのが
元になっています)
やはり音楽は読むものでなく、聴くものだし。
私は、こうやって、音楽専門外の客席の一人が、どうやってライブのファンになっていったかを書きたかったのかもしれないですね。
HtFのケルト音楽を聴き続けて、ずーっと思ってきたことは、他の他民族音楽をする方たちにも、言えるかもしれないと思っています。
それは「憧憬」、ということです。
例えばアイルランド人によるアイルランドの音楽。
外国人が手に出来ないのは、「無造作」さかもしれない、
と思った。
「当然のもの、誰はばかることない、自分たちだけの音楽」という、
「王様」(?)のような意識の強さ。
(元々、DNAに、アイルランド音楽を演奏しやすい情報が書かれている強みもあるのかもしれないし、育った環境の強みもありますが、それ以前の無意識の所で)
比すると、HtFを聴いていると、愛するアイルランドの音楽に対する、尊い、聖なるものに接するような、祈るような憧憬が感じられる時があって、せつなくなることがあります。
そのかすかな遠慮が、多分外国人にとっての大変さなのかもしれないと、思ったことが何度かあります。
でも逆にそれがHtFの素晴らしさだとも同時に思います。
そういうアイルランド音楽だって、又べつのアイルランド音楽の姿を見せていると、思います。
音楽の神様がいるとしたら、どちらの音楽も受け入れてくれるはずだと、思えて仕方ないのです。
でも、そもそも他民族音楽とは、
「他民族コード」でつくられた音楽なのだから、
それを踏んでいれば、どんな演奏の仕方であっても素晴らしい
と思います。
日本だって、ラフカディオ・ハーンとか、ドナルド・キーンとか、外国人によって語られる「日本」が、当を得ている場合だってあると思います。
「民族音楽」は、一つの文化論(わはは)と言えなくもないと思うので、外国人だって、固有の良さ、聴き方、視点があるように思う。
やはり他民族音楽は、外国人にとっては非常に演奏が難しい
と思う。
クラシックの高名な世界的チェリスト「ヨー・ヨーマ」が、
「ピアソラ」という他民族音楽のCDを出しました。
CDしか聴いたことないけど、確かに素晴らしい演奏ではあったけど、私が思ったことは、「クラシックくさい」ということでした。(でも、それで結構ですよね)。
ヨー・ヨーマでも大変だということだと思います。
そしてやはりこの畑は、
他民族音楽中心で演奏してきた方々の方が、良いように思えました。
評価の面でも、不利だと思う。しかも、耳の聴こえ方がデジタルと違って、ひそやかな、アコースティック音楽。
でも中にはそのハンディを越えて、愛する音楽にまい進している人たちも少ないながらいますよね。
他民族ものであるがゆえに、イロモノ扱いされがちですが、
じっと耳を傾けていると、彼らの純粋さや素晴らしさ、音楽の良さが段々染み渡ってくると思います。
彼らは、他民族音楽以外のオリジナルの曲を演奏することもあって、それも又素晴らしいです。
たまたまカテゴリーとして、こういう分類をするのは本当は音楽家の方々にとっても、本意でないと思いますが、便宜上この方法を取らざるを得ないことを、許してほしいと、いつも思っています。
他民族音楽を心底愛し、ハンディを承知で選び、
精進してきた彼らの演奏は、私をいつも励まし、
いろいろなことを教えてくれました。
この、外国人ミュージシャン独特の、祈るような「憧憬」、
その滴が、私を引きつけて、止まないのだと思います。
本国で高い評価のある人もいれば、国内中心で活躍されている方もいます。
でも私にとっては、どちらでもいいのです。
その夜(昼のときも)が、自分にとって素晴らしいライブで
あれば。音楽って、素晴らしいなぁ、楽しいなぁ、
スポーツとちょっと似た部分のある、人生ドラマだなぁ、って、
それを感じさせてくれるミュージシャンが、
私にとって、大切なミュージシャン達だと思っています。
いつまでも、末永く活躍してほしいと、願って止みません。
2006年11月中旬 後日追記 星直樹さん
アイリッシュのボタン・アコーディオンの高倉雄造さんのライブ。
ブズーギーで、高倉さんの演奏を受ける星さんの演奏は、
巧みで時に強く、時にひそやかで、沢山の旋律楽器の相方を務めてきた、
絶妙さとストイックさがありました。
特に、抑えたその演奏の中で、
ときどき旋律楽器とからんで響くような時は、う、と
聴いてる方もときめきます。(はは)
そして今回のライブでは短いですが、ギターのソロがありました。
いや〜、もう、嬉しかったです!!!!
星さんってこういう演奏する人になってたんだなぁ、って、
夢中で拍手してました。すごかった。
普段は旋律楽器の相方として、
まるで映画「無法松の一生」楽器版みたいな、ストイックさで
自分を律し続けてきている星さんがソロになると....。
抑制きいた良さながらも、あふれるような存在感。
叙情的で、シンプルで、包み込むような、本当に美しい音色でした。
(本体ユニット、HtFをけっこうずーっと聴き続けているので、
この変身が嬉しくて!!!)
何となくただ今回でも感じたのは、
星さんって先を急いでいる演奏家ではないなぁ、という感じ。
何かをずーっとこれからも淡々と積み重ねていくだけだと思うし、
その結果が陰で、ひそかに、たわわに実っているとしても、
それはそれというカンジ。
人間だからあせりもするし、腹の立つこともあると思いますが、
HtFとRINKAのギタリスト(他)として、
高い理想を持ち続けたためこんなストイックな人に
なったのかもしれないと、思いました。
健さん率いるHtFは、それだけ、魅力あるもの。
本来、音を出すのが楽器なのですが、
「静けさ」を演奏するかのようなのは、星さんのすごい所であり、
個性だと思います。
安らぎ、いたわり、音楽への深い愛、
音の底面にある広がりのような奥ゆき、静かに過ぎていく時間。
別にヒーリングミュージックというのではないですが、
聴いているといつのまにか自分の心の奥の本音が、
子供のように出てしまいそうになる、
抑えた中に、不思議な力強さのある演奏でした。
まるで、悩みごとや日常のことでヘトヘトに疲れ切った人が、
誰かの肩にもたれるように、星さんのギターソロ演奏の音楽に、
私は体中の力を抜いて、もたれてしまいました。
(実際は横隣の壁に)
私は聴きながら、いつしか心の中で小さく叫んでおりました。
(恥ずかしい言い方ですが)
「心が焼けただれて、もう書きたくないよぅ」って。
(「拙・ライブ追っかけ記事」のことですね)
そして、そんなワガママで甘ったれたことを言ってる、
元・ライブ追っかけの自分を情けなく思いました。
そして、その理由がまたフラッシュのように明るく、
頭の中で突然理解できたのですね。
それは「こうなったのは、私が音楽を
自分で演奏しようとしなかったからだ」って。
そう、ライブは聴き過ぎると、下手でも上手くても、
自分で演奏するようにしないと、だんだん、だんだん、辛くなって、
こうなっていくのだと思いました。
(私だけかな?)
客席で、聴き手に徹している人たちでも、
ライブ通いをしていると、
少しは楽器も、たしなむようになる人は多いです。
それは外から見ても何となく必然的なカンジで。
(音楽、絵画、書くこと、踊り等どれも人間の自然な衝動の一つだと
思います。プロのアーティストの精進と又違う、
楽しむための趣味として人間生活に、必要なことだと思います)
……と、結論から言うと、私はそれでも音楽を演奏する気はないです。
楽才が全然ない上に、それをカバーする「努力するココロ」もなし。
上手いとか下手とかの問題か?っていうと、そうでもないのです。
その人が努力した結果が、上手いとか下手であって、
それはどちらでも別に恥じることではないと、長年のライブ鑑賞で、
私なりに理解しているから。
もし、ライブに通っていた、ミュージシャンの方々の
どなたかの楽器「教室」に、生徒になって「ケイコ」に通ったら、
きっと皆さん、下手な私を
多分優しく(内心切れそうになりながらも)、
手加減して指導して下さったかもしれませんが
(希望的観測)...。
.....なかなか生活にあらゆる意味で、ゆとりがなくてダメですね。
例え下手でも、自分のライフワークとして、
音楽でない別なことを一つ、
これからも、続けていくしかないのですね。
だから、じっとガマンして、
私は音楽をただ聴き続けるのだと思います。
この先も。
(……はは、私事な上に下らない話ですみません)
どうしてか、こんな自分の心の奥底に溜まって、
よどんでいたものを、ふわーっと、浮かび上がらせてくれた、
星さんの音楽独特の「静かな流れ」に感謝しつつ、
これからはソロ活動も出来る限りするようにしてほしいと思いました。
聴いてて自分も楽になれたのかもしれないですね。
自分も自分なりでいいや、って。
こういうのって、そのときの自分の状態、タイミングもありますが、
星さんに限らず、私はいろいろな演奏家のライブで数限りなく沢山の、
こういう不思議な瞬間を経験してきました。
何か日常のことでの「悟り」のようなことや、
「ひらめき」のようなこと。
音楽を聴くだけでなく、いろいろなことが。
だから、ライブ通いは、止められないっていうカンジ。
(そして、Hard to find、
この本体ユニットが私にとってはますます、
又良いものとなっていくのでありました)
2006年11月下旬 星直樹さん ソロライブ
「これが星さん、なの….?」()。
ずっとHard to findのライブを聴いてきて、
知っているつもりだった、星さんのソロがこれ程になっていたとは、
思いませんでした。
今までHtFや他の人とのライブで、
一曲か二曲、ソロ演奏はありましたが、ここまでスゴイとは…….。
お店の方も客席も唖然。だって、いつもならともかく、
初めて聴くソロライブで、「いきなり」だったから….。
(まあ、その数日前の別の人のライブ中に数曲ソロあって、
それも、すごく良かったのですが)
星さんって、こういう人だったんだぁ….と。
でもこの方、誰か自分以外の「旋律楽器の演奏者」と組むと、
全く自分の演奏を自制して、曲全体と、旋律楽器を生かすのに、
伴奏に徹してしまうので、私のような音楽素人だったら、
ソロライブまで分からなくても、仕方ないと思いました。
誰とユニットを組んでも、旋律楽器と響き合う良さがありながら、
一台の楽器としてみると、
いつも完全に地味で、「価値ある影」に徹している星さん。
ちなみに、本体ユニット、Hard to findは、
どのメンバーも、必要な時には、こういうことに、とても長けています。
皆さん。
それがHard to findのグレートな所であり、
辛さと哀しさにすら思える所でもありました。ユニットの命名通り。
聖書で言うなら、「狭き門」を選んでいるカンジ。
(でもだからこそ、このユニットのライブを
私は随分「追っかけ」させられました。やっぱり長い年月かけて、
彼らが歩んでいく過程が、素人目にも客席から見えるから。
無言で教えられたこと、考えさせられたことは多々。)
そのメンバーとしても、
「こんなに、ストィックで理想高い伴奏楽器者も珍しいよね」と、
いつも思わされる人なのですが、その陰で彼はコツコツと精進を続け、
旋律楽器としても、これだけになっているというのは、
「みんなに聴かせないと、勿体ない〜!!」ですよね。
(私だけでなく、その場にいた人はみな似た反応でした。
ソロで沢山やって、CDも出さなきゃ!とか。
(HtFの人はソロ的になると、皆さん「こういう傾向」がありますが。)
うん。私の好きなジャンルはインド古典音楽ですが、
そいう人が聴いても、十分に星さんの演奏は素晴らしかったです。
ほとんど地味な影に徹している普段と違い、
誰はばかることのない豊かな深い、美しい音色となっておりました。
日常いろいろなことで、気持ちがささくれ立っていたり、
雑念で固まっているようになっていても、
いつしかそういう波が静かになっていくのですね。
「静けさ」を音を出して、音楽にする不思議なギター。
アイリッシュ音楽の高名な作曲家キャロラン。
私はこの日ほど、その名を注意深く聞かされたことは、
なかったように思います。
星さんの静かなギターの演奏中、
私は見たことないキャロランという人の存在の影絵ようなものが、
星さんの肩口から星さんを見守っているような気さえしました。
作曲家のつくった曲は、作者の手を離れたら、
もうどんなになってもそれは演奏者の自由だと思うのですが、
星さんは、キャロランが何らかの想いを込めてつくった曲を
真摯に受け止め、本当に丁寧に大切に扱っている。
そして、どんな曲にも内面の物語がある、って思えた。
それは演奏者自身の物語。
別に曲に新しい解釈をつけるとか、そういう具体的なものでなくても、
何か初めてその曲を聴き、又初めて自分で楽器を手にしてから、
たどってきた、一人のひとの内面の時間。
キャロランがつくった曲を後世の人が何十万回と演奏し、
弾き継いていくのですが、キャロランの手を離れたら、
一回ごとにその曲は、やはりその演奏者自身ものになるのだと、
改めて感慨が。
とっくに「故人」のキャロランは、
それを見守りたいと思ったことはあるでしょうか?
(分からないですね)
ただ、この日の星さんのは、聴くことができたなら、
喜んでくれたかも、と思った。
ジグのダンス曲「バニシング・ミスフォーチュン」も良かったです。
私はダンス音楽が大好きです。目がない。
で、ダンス曲の演奏を聴いて、「ダンサーが思い浮かぶ」場合、
私は大抵は、プロのダンサーが一人か、
又は酒場やお祭りで集まって踊る、素人のお客さんの群が浮かびます。
でもこの日の星さんの演奏では、どうしてかダンサー、
つまりダンスそのものよりも、踊り手、一人の女性を思わせて、
ちょっとときめくカンジがしました。(おっ、て)
人によって聴こえ方はさまざまだと思います。
私は、昔の村の労働者風の、長いスカートの女性。
30才以降位で年齢不詳。
洗いざらしの木綿みたいな雰囲気の女性。子供一人位いて、
ちょびっと所帯じみている。服も別に古いカンジ。
あせた色の薄い髪、そばかすで、でも少女というよりは、
地味だけど妖艶なカンジ。
仕事帰りに人の集まる野外の場所で、
ダンス音楽が聴こえたので、何となく、
こっちの方にやって来たみたいなカンジ。
別に飛んだり、跳ねたりのダンスでもなく、
体をゆするように演奏者の前で、ゆっくり気味で
リズムに乗る。
(けっこう上手い)
…….こういうシーンは、私の勝手な趣味なのですが、
ともかく、うん、ふだん、朴訥で地味で生真面目な星さんが、
こんな、いわくあり気な演奏するなんて、見直しました。
(誰だ、この女性?ホホ、梨元)
めったにそういうこと思わないのですが、ライブ演奏はこうやって、
勝手にあるコト、ないコト、妄想たくましくして、
一人こっそりワイドショーする時もあります。
(それもストレス解消に楽しいです)
「エリザベス・エア」も良かったですね。
失礼ながら、星さんはいつもあまり、良い身なりをしていません。
アイリッシュ音楽の雰囲気は損なわない程度に気を使いながらも、
ビンボーで学生くさい。
でも、この曲聴きながら思いました。
ボロは着ててもココロは錦。圧倒的に感じたことは、
「この人は貧しい人じゃない」っていうことでした。
でも、私が女だから外見に注目しがちなのかもしれないですが、
誰かセンスのいい人に選んでもらって(私はセンス全然分からない)、
ソロのときは、少し「舞台衣装」してほしいと、
ワガママに思ったりしました。
アイリッシュ音楽の中で、星さんはどちらかというと、
寒々しい暗い曲想のが好きだということです。
でも客席から聴いていると、星さんの演奏は暗くも寒くもないと
思います。むしろ、暖炉のように、ほのかに照らす、
芯のあたたかさがありますね。
それと「明るさ」。これは性格のことでもなく、
テンションが「ハイ」であるということでなく、
ここの「明るい」という意味は、
物ごとを見る目のことなのかもしれない。
理論とか勉強とか、そういうこととは、又違います。
とても個性的だと思うことは、本当にロマンティックな演奏なのですが、なのに全然扇情的でない所。
切なく、甘く、感情をかきたてようとすることを、
ためらうかのような、品のいい、誠実さがありますね。
(他の演奏者のときは、扇情的な、かきててるようなのが、
いいと思える場合もあります。個性の違い)
自作の曲「ギャロッピング・スプリング」、「休み坂」は
いずれも名曲でした。お店のスタッフの方たちもCDをほしがっておられました。
まだ数は少ないそうですので、これからどんどん書きため演
奏していってほしいと思います。
HtFの皆さんは、それぞれ近年ソロやデュオを組んで、
本体以外の活躍が増えていて、それぞれHtFではみられないような、
驚くような素晴らしいライブを聴かせてくれますが、
他の3人のメンバーに比べて、星さんはいつも地味な伴奏楽器に
徹している演奏ばかり(それもすごいコトです)が多かったので、
特に一杯書きたいと思いました。(わ〜い)
何かココロに「うるおい成分」がほしいとき、
又安らぎがほしいとき、星さんのソロライブおすすめです!!
そして私は今回一人で行きましたが、
クリスマスやバレンタインデー、またそういうイベントにこだわらず、
恋をしている二人にも、このライブ聴いてほしいと思いました。
よい時間が過ごせそうな、気がします。
2006年12月 扇柳徹さん後日追記
aasian kukka (アアシアンクッカ)で、カンテレ奏者のあらひろこさんとのライブでした。このユニット、NHK等でも活動中。
ユニット名はフィンランド語で「アジアの花」という意味です。
ちょっと早いクリスマスライブ、音の響きの良いという、心地よいカフェでの、アットホームなライブでした。
「囲む良さ」っていうのを、本当に味あわせてくれた日でした。
「囲む」とは、小さな会場で雰囲気良くて、
しかもお店の方等のスタッフの方が、
いい空気をつくってくれているような時にある。
ゆったりイスに座って、すぐ前にいる演奏者たちの演奏を、
一曲ごとにせがむように、楽しんでいるカンジかなぁ。
外は寒いけど、お部屋は温かくて、飲み物もおいしくて。のんびりと。
客席は息を詰めて聴くというのではなく、
でも「音楽はBGM」となっている訳でもなく中心で、なごやかに。
あくまで、鑑賞の妨げないように全てに気持ちが配られていました。
(これもカフェ「りびあん」のスタッフの方々のお陰です)
いつもHard to findの演奏者、良いスパイスみたいに、
曲を起こしていく、ユニットの一員の扇柳さんしか知らない私は、
この人の一部しか知らなかったことを、今回知りました。
この人は何か特定の楽器をメインにして、音楽活動をするというよりも、
あまり制限なく、自分の表現したいことをくれる楽器や機械や、
楽曲を選んで、音楽をつくっていく人なのだと思い知ったカンジでした。
私が「追っかけ」るのは、特定の楽器をメインにして活動するユニットばかりですが、扇柳さんみたいに、アコースティック中心にデジタルも何もこだわらず、自分のつくりたい音楽を表現していく、
総合的なタイプのミュージシャンもいるのだなぁ、と思いました。
もちろん、すべての演奏家は同時に音楽プロデュースもしていますが、でも特定の楽器演奏をメインにしている場合と、そういう特定のカラーへのこだわりが薄いような場合がありますよね。
こういうの総合的な音楽プロデュース中心っていうのでしょうか?
(恥ずかしながら、私はこういうの全然無知です。
勉強もしない理由は、ライブの客席の素人の追っかけのことしか
書かないHPだからです。
音楽専門家のサイトとも、評論家サイトとも違いますから。
(はは))
…….と、「扇柳さん、あなたはこんなに歌が上手かったのですね。」、
ちょっとびっくりしたライブでした。
ちょっとしゃがれた引き具合(?)が魅力の、大らかな温かい歌でした。
私はファンとなりましたし、何かドラマの主題歌とかそういうのに使ってほしいと思いました。本当にいい、そういうのにも。
映像とリンクして、「シーン」がより輝くのではないでしょうか。
ケルト音楽中心のアコースティック楽器のユニット、
Hard to findでは、聴けない彼の歌。
一般に上手い歌は、楽器の音色の光彩を落としがちなので、
当然、歌が必要な音楽でないと、入らないし、それぞれの良さがありますので、一つのライブの中で取り混ぜて演奏されますし、楽器メインの所は歌はほとんど入らない。HtFは歌はなし。
「人間の声の表現力には、楽器はかなわない」と
私の一番好きなインド古典音楽の、シタール奏者の井上憲司氏が前に何かに書いていたことを、思い出しました。本当に、人間の声は最高の表現力を持っている。一番表現力のあるアコースティックものは、人の声。
でも歌に目のない、歌のCDばかり聴いている私が、声を出せない、
機械であまり増幅できない、制限のあるアコースティック楽器ライブに
ハマったのは、楽器にしかない良さがあるからです。
(誰しもそう思うように)
「人間の声の表現力には、楽器はかなわない」と言って、それ以上井上さんは何も言いませんでしたが(彼は一曲だけ歌もの有。やはりその曲人気あったので、歌手よりシタールがメインの彼は悔しかったのでしょか?私には分かりません。この言葉の真意は。ただその後彼のCDに歌はなかったです)、
この言葉を言ったのはたまたま井上さんですが、誰によらず楽器メインの方にとって、みなさん同じようなことを、考えるときがあるのだと思いました。きっと扇柳さんも。
扇柳さんの歌はその位、上手かったですね。
人の声に比べると、一般に表現力が劣るはずの楽器の制限、
つい立ひとつ置いたようなもどかしさを、楽器はむしろ歌にない味わいに
変えてくれるので、誰しも両方を楽しめます。
…….と言う訳で、歌を聴くのは大好きですが、
アコースティック楽器の微妙さに、
私はますますハマり続けるのでありました。
その他のことでも、扇柳さんを見る目が又変わったライブとなりました。
Hard to findは、アコースティックで主に他民族音楽を
演奏するユニットです。CDに録音するときは、それなりの工夫がありますし、又CDを意識して、別の良さが十分出ていますが、
基本的にライブの一番おいしい所は、会場でないと出てきません。
だから、ラジオやテレビ等、CDの場合は、少し光彩が落ちてしまうことは、アコースティック楽器の場合当然のことです。
だからミュージシャンによっては、ライブ会場以外の部分は、いろいろ工夫してがんばっていたり、割り切っていたりしていると思います。
同じアコースティック演奏でも、メディアに出しても大丈夫なタイプの音楽もあります。
アアシンクッカの扇柳さんのライブは、そういうのが多かったと思います。
メディアナイズ(?)された演奏。
出る所出たら、扇柳さんはこういう仕事できる人なんだと思いました。
必要とされているものを、ちゃんと提供できる。
私のような「他民族音楽ライブおたく」でなくても、誰が聴いても、ライブ会場以外の所でも、アコースティック音楽の良さを楽しめる演奏中心にするのが、アアシアンクッカだと思いました。
今回はクリスマスの、アットホームな演奏。子供から年配の方まで、みんなが楽しまないとならないライブだから。
だてに、50タイトル以上の他のミュージシャンのアルバム制作に参加してないな、と驚きました。冒頭の通り、歌も上手いですが、いろいろな楽器演奏もとてもいいです。
という訳で、アアシアンクッカはNHK等いろいろな所で仕事をしているようです。
私の好きなのはHtFの扇柳さんですが、HtFの必要としている部分は彼のほんの一部に過ぎないのだなぁ、と改めて感慨が….。
(HtFは、誰にしても同様です)
今回のライブで初めて聴いたのは、扇柳さんのギターの良さ。
元はロック出身で、まるでエレキギターみたいなティストをアコースティックギターに出していました。うん、コーフンする、かっこいいギター演奏でした。それも、アコースティックギターならではの良さで、こういうの大好き。
今回もやはり自作の名曲「鈴懸の空」は、染みました。
又扇柳さんは金管楽器が私としては、一番好みなのですが、
木等他のいろいろな種類の笛も、又素晴らしかったです。
この人こんなに笛上手かったかなぁ?って思った程。
演奏のテンションが上がってきても、
耳が痛む手前のすれすれを心得ていて、何か優しい。
ああ、時は経ちましたね。
「日陰の庭」も本当に素晴らしかった。これだけの力持ってる人なんだなぁ、と思いました。
HtFの扇柳さんとは、又別のaasian kukka の扇柳さん。
ユニット違うと、ミュージシャンの方は又皆さんそれぞれ別の味が出ますが、扇柳さんの場合、その印象が強かったです。
ちなみに前にも増して年取ってから扇柳さんは、いい男になりました。
顔かたちとかそういうことでなく、余裕とい
★なぜここから先の記事がないのか、前にドメイン期限切れ削除という失態をしたときに、移行してその時消えたのでしょうか。悲しい!!! 時間出来たら、バックアップをくまなく探して戻したいと思っています。ごめんなさい。
2015年3月 RINKA
RINKAを最後に聴いてからもう随分経ちました。
このユニットに限らず、インド古典以外はほとんど聴きたくても無理だったのですね。
遠方に引っ越して、戻ってもまだ仕事と夜学。
五年の月日は長いです。
でも、いずれまたライブ通いができること、楽しい生活が送れると夢見て、何とかここまでやってこれたのでした。
で、それまでまだ間があるのですが、今回はたまたまRINKAのライブに行くことができました。
久しぶりのRINKA。
昔から思っていたのは、RINKAは上手い、RINKAは実力がある。
でも、私はHard to findの復活をひたすら望んでいたので、RINKAの存在がちょっと寂しかったのですね。
そのHtFのメンバーは、それぞれにユニットを作り、この五年以上の間に、それぞれ更に腕を上げ、活躍し、良い成果を得ています。RINKAもそう。
HtFのリーダーの小松崎健氏はクレツマー音楽のユニット(クラリネット奏者の長崎亜希子氏と「ビロビジャン」)で受賞し、その後はNHKの朝ドラの「花子とアン」のドラマの音楽のソロの仕事をしたりしています。
で、HtFのダルシマーは誰が演奏してくれるのでしょうか?
扇柳徹氏も、人気ユニット(タテヤマユキ氏と「ロケット姉妹」)で大活躍。
私は彼の歌のファンなので、彼が歌えるこのユニットも魅力ありました。
でもHtFが…って。「ジュリアディラニー」のボウランを弾いてくれないと、いやですから。
HtFの残りのメンバー、アイリッシュユニットのRINKAは、小松崎操氏と星氏(以下「さん」で)。
実力派で昔から高い評価をえていたユニットではありましたが、五年ぶりに聴くと、また素晴らしくなっていました。 ユニットは変性し、進化していくのですね。
もう特集記事は大方打ち止めにしたのですが、RINKAの追記をしたのは、まだ中途だったからですね。
で、HtFはどうなんでしょう?
前に聴いたときは、楽器のディーバ、あの強く、美しい操さんのフィドルが旋律楽器、そして星さんのギターがそれを支えるカンジでした。ストイックな星さんは、自分の音を殺してでも脇を守っていたカンジがして、歯がゆいけど、ソロでないからこういうものかと思っていました。
でも、しばらくぶりの星さんのギターは、完全無比と思ってしまった程、美しい音色でした。
こぼれるような、溢れるような。昔から、ソロになったら星さんはこうですが。
それでいて、曲のバランスが変になったりしてないのですね。他民族音楽は、クラシック音楽みたいに指揮者がいるわけでないけど、そのくらい統制がないと曲が損なわれてしまいます。
今回、操さんのフィドル(楽器自体はクラシック音楽のバイオリンですが、弾き方が違うのでフィドルと呼ばれます)と星さんのギター、二人の弦楽器奏者が、楽曲、一つのアイリッシュ音楽のために、かみ合い、響き合っているというカンジ。
星さんの引きと押しの絶妙さが、また素晴らしくて、聴いてる私の顔もほころんでしまっていました。これって長く、ストイックに伴奏楽器の弾き方をしてきた星さんが培ってきた力だなぁと思いました。こうなるには、すごい練習量だったと思います。
操さんのフィドルは、後半特にほぐれてきて、弦楽器同士がただ、共鳴し合って、ただ音楽を紡いでくれてて。
単独演奏と違い、複数の人間が一つの音楽を創り上ていくユニット音楽は、メンバーにとっては、楽器演奏のみならず、精神的にも葛藤があり、その分やがて高まっていくカンジ、各自が修行していくカンジが客席を感化し、客席にも教えられるときがあります。一つの音楽という調和の元に、それぞれの楽器が殺し合うことなく、互いの可能性を最大限に引き出し合っていく様子そのものが美だと思うことがあります。
]]>
Hard to find
2003-03-17T21:59:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929641
ティンクナ
ティンクナ
(福井岳郎 岡田浩安 吉田ユウ子)
(アンデス音楽)
(ティンクナ自体はフォルクローレだけでなく、
オリジナル曲も多いユニットです)
よく覚えてないのですが、私にとってアンデス音楽は、
昔の何かの良くない記憶...
ティンクナ
(福井岳郎 岡田浩安 吉田ユウ子)
(アンデス音楽)
(ティンクナ自体はフォルクローレだけでなく、
オリジナル曲も多いユニットです)
よく覚えてないのですが、私にとってアンデス音楽は、
昔の何かの良くない記憶と結びついているようで、
何となく私はこれを聴くのをさ程好まなかったのですが、
ティンクナのお陰でまた好きになれるようになりました。
ティンクナHP
岡田浩安さん
主にサンポーニャ奏者。
初めて聴いた時から、あきれる程上手かった。
もともと本州ですでに定評あった演奏家なので。
最近とても驚いたのは、マイクのない会場で聴いた時。
まさか、これ程いい音だと思わなかった。
いつもものすごく上手いのですが、更にマイクないと最高!!!
「一見のんびり」として個性的な外見、味。センスのいい服装、
どの楽器演奏しても上手い楽器力のすごさ、
ユニットのお兄さん役でメンバーに対する情も厚い人。
生活等の事情で時々福井さんの演奏にムラがあると、ぶーたれて横目でニラみ、
でも福井さんが演奏いい時はにっこり本当に幸せそうで、見てると面白い。
ティンクナの押さえ。
彼は特にここ二年位、ティンクナの三人としての演奏のチームワークの素晴らしさを
深めることにも力をそそいでいたように思う。。
昔から三人それぞれに良かったですが、ここ二年位で「ティンクナ」という
ユニットで活動する必然性をライブでファンに見せてくれました。
元々ソロが素晴らしかったけど、最近はユニットでの活動も素晴らしい。
最近少し違うジャンルの音楽とのライブを観ましたが、
懐深く相手の楽器のいい演奏を受けて、きっちり投げ返し、
それがまた曲全体としての音量も旋律も、バランス絶妙。
場数を踏んできたミュージシャンの演奏を聴く楽しさを感じました。
いつ聴いても超上手いですが、
ライブごとにいろいろな演奏の仕方にトライしている感じ。
ケーナも素晴らしい。日本のケーナの名手は演奏を聴いた後時間が経つと
「技・テク」の部分の音が耳と印象に残ることが割と多いのですが、
若いながら岡田さんのすごい所は「ただ素朴に普通にまっすぐ吹いた時の音色がいい」こと。
でも彼の笛はすごい「技・テク」も沢山持ってて、
今はそっちに走りまくってる感じアリ。
ソロCD「ウタウ葦笛」もとてもいいです。
「手品師ワルテル」は笛の楽しさ満喫!!
ライブの演目の中では好物のおやつ、みたいな嬉しい曲。
アンデス音楽とまた違うこのオリジナルCDは笛の音の良さ、深さ、
大自然と大都会の融合を感じます。
◆.......と、ここまで来てごく最近9月上旬彼のライブに行きました。
11月予定の新しいCD「カゼイロ」発売にさきがけての。
初めて演奏を聴いてから、彼はコツコツ腕を上げ続けた人ですが、
今回のは「彼に何が起こったのか」という位、質の転換がありました。
会場中が岡田さんの笛の演奏に息をのみ、熱狂しました。すごい変化。
でも、これはやはり今までの地味なコツコツの延長にあった気がします。
官能的なサンポーニャ。口の当て方や息の割りふり、切れ目、曲想の設定、
こんなに丁寧で自由な岡田さんを今まで観たことなかった。
ケ−ナもコントロ−ルがぐっと深くなり、
荒々しいテクの要る部分でも、音がひねずに出てくるし、
超丁寧だからテクがテクと聴こえない感じ。
また「山の家」という静かな一曲の終章では、
かつて感じたことのない種類の振動が客席にも伝わってきました。
つまり通常笛の大きな音の時の振動って、会場の空気を切りさくように響いて来るのですが、
今回のは笛の音に伴う影の静かな振動が、部屋中の空気全体に上手く伝わって、
一緒に微妙に共鳴しながら振動している感じ。
岡田さんは今まで楽器で勝負していた感じがした。
もともと定評ある上手い演奏家でしたし、力で笛を制御して思うままに出来る人でした。
でも今日は笛にそっと口を当てて一緒に演奏を始める感じだった。
「笛は岡田さんのものになった」と、今日はじめて思った。
演奏が優しくなった。やはり「愛」が深まったのでしょうか。うしし。
岡田浩安HP
◆後日追記(2005年1月)span>
久しぶりにライブに行って来ました。
今回は関西からスティール・パン奏者で音楽監督やCMで活躍の山村誠一のライブに
岡田さんと札幌で有名なギター・デュオ「池庄」の池田靖司さんが即興演奏で参加。
このライブは民族楽器を使ってはいますが、民族音楽のライブでなく山村氏のリードの元に
行われた三人の違うジャンルのミュージシャンの即興・セッションでした。
私の好きな分野である民族音楽でないので、音楽の感想はさしひかえ
三人の違う個性の演奏から、とりとめなく浮かんだことをちょっと書きます。
リードは山村さんの現代音楽的な演奏は、未来的、現代彫刻等のモダンアートを思わせる
カンジでした。70年の大阪の万国博覧会の未来都市の建築物を思い出した程。
コーティングされた、人間・生活感のない昇華された清々しいオブジェの数々にルーツがあるような。
濃い人間的な音の出る民族楽器を使いながら、自分という人間の体温をオフにしていくような
山村さんの演奏には、どこか「あまんじゃくな気概」をちょっとカンジて楽しかったです。
澄んだ水のような空気・クリーンな未来の空間。
フォルクローレ中心の岡田さんも、アコースティックインストゥルメンタル・ギターの
池田さんも又全然違う個性なのですが、とても上手い方たちなので
練習もほとんどない即興だったと思えない程のハマった演奏となりました。
ラテン・ジャズというのでしょうか、岡田さんはこっちに飛んじゃうことも出来るんだなぁと
又驚かされました。
この三人のライブ、現代彫刻の美術館で聴いたらすごくぴったりするような気がしました。
子供たちも呼んで、何かしたら楽しいのに。
※この日三人の方の共通のご友人でノコギリ演奏家のKapoという女性が最後の方に
演奏に加わりました。Kiccorie’sというユニットで活躍中。
のこぎりはイメージと違い「のびのびした、きれいな音」がしました。
Kapoさんは表情とか雰囲気から福を感じる楽しい方です。この方だから
ノコギリはこんなかわいい楽器になってくれたのだと思いました。
(Kapoさんも手をケガしたりすることは、あるそうですので
子供さんは絶対に真似しないでほしいと思います。)
私は音楽が全然出来ません。聴くのは大好きですが自分では「からきし」ダメ。(はは)
だから思うのですが決まった曲を演奏する普通のライブと違い、
「違うジャンルの音楽家同士」の即興演奏のライブは、
少しでも音楽をかじったことのある人の方が、更に良さが分かると思いました。
面識のほとんどない人と、いきなりその日その場で即興演奏するというオソロシイことは
相当音楽能力が高くないと出来ないことです。
ただ楽器を全然したことのない聴き手にはその部分が分からないので、
音楽をする人達だと、即興は普通のライブと又違った素晴らしい勉強・楽しみになるのだと思います。
(今日の演奏は素人の私のような人が聴いても、即興と思えない位完成度は高かったですが)
多分私が「音楽が少しでも出来る人」だったら、即興を一杯聴いて勉強するといいかもなぁ、
と思いました。(でも私は音楽できないの。はは)
即興は素晴らしい演奏会であり、音楽家同士の創造、実験の場、企画会議みたいな側面も
あるように思いました。
★ちなみに岡田さんは又人間的にもアーティストとしても熟成度が進んだカンジがしました。
音に当たり前のように陰影をつけたりして、テクニックも超磨きがかかりましたが
内容的にもさらに、さらに。
濃い、匂いのいいお酒になっていくように。
岡田さんは昔から、定評ある超上手い演奏家でした。
ただ昔は時々ライブで彼の演奏に内心「苦情を言いたくなる」場面がありました。
ごくたまに。
ふふ、それは「やんちゃ君」というか「コーナーすれすれでカーブを切る車の運転」みたい危ない演奏にトライするということです。博打のような。
(テクニシャンの性(さが)というのでしょうか)
そしてたまに、崖下にちょびっと落ちてくれた。
笛は音が派手だから、目立つのですね。
(それでもプロとして十二分に素晴らしい、鑑賞に耐える上手い演奏ではありましたが)
人間の耳が聴いて不快にならない、すれすれの線を探るかのように。
これ以上だと「不快な音」というぎりぎりにあえて突っ込むのです。
全曲その吹き方という訳でなく、一回に何曲かだけ。
私は普段の岡田さんの普通に吹いた、フォルクローレの演奏のファンなので、その「挑戦」を止めてほしいと、いつも思っていた。
”耳が痛くなる!!”と。
でも今になって思うのは、あの「突っ込み」が今の岡田さんをつくったのだと思った。
今の岡田さんの演奏は「突っ込む」訳でなく、オーソドックスな演奏です。
ただその深みとか熟成度によって、岡田さんのアートの世界が確立されつつある。
この人は多分、この人なりにすごいアーティストになっていくのだなぁ、と思います。
客席にとっては「すごい」とかはどうでもいいことなのですが、この頃岡田さんの
ライブに行くと「アート」ってどういうことなんだろう、と柄にもなく考えたりする時があります。
★岡田さんをはじめ、素晴らしい演奏家の舞台を観る(聴く・鑑賞する)と思うのは、
「やはり私はアートを通したその人」を感じたいのだなぁ、と思います。
「すべてを含めたその人」を、舞台の上で観たいんだなぁ、と。
(オフの部分の皆さんは個人差はあれど、それぞれに普通の人間だと思いますが)
★最近大きなジャンルになりつつある、
特殊な目的に作られた、治療用等の音楽がありますね。
ただし、通常のアートの音楽でたまたま、結果として「癒し等」になるのもありますが、
ここでは除外。
「癒しの音楽」や「瞑想するための音楽」は、確かに目的をきちんと達してくれる
素晴らしい音楽だと思います。同時にアートとしても素晴らしい作品も沢山ある。
ただ素人の聴き手が思うことは、
そういう音楽はただ「聴いてる自分が主役になるような」音楽だということ。
聴く人のストレスを解消したり癒したり、瞑想しやすくなるように
つくられた機能的な優れた「目的を達するための音楽」。
こういう「目的アリ系音楽」はとても良いものばかりだし、
私も時々お世話になって助かっている音楽ではあります。
また「目的音楽」でなく普通のアーティストの音楽でも、
何か「アーティストが何かを表現するアート」としての音楽という以上に
「何か聴き手に対して意図・作為・操作」を感じる音楽がまれにありますね。
「自分の表現としてのアート」がたまたま聴き手に共感や影響を与える場合と違って、
これは結構聴き手に「侵入してきたなぁ」という感じを与えることがあります。
「余計なお世話」という訳でではないですし、その侵入が良い結果をもたらす音楽もありますが、
基本的に私は、「素晴らしいけど苦手」だと思う。
本当に神経の休まるというものとは、微妙に違う治療用のものだと。
確かに癒してくれたり瞑想させてくれたりする「目的音楽」は役に立つのですが、
病気の時だけ飲む医薬品(ないと困る絶対必要なものですが)と似ていると思う。
病気を治すだけでなく、「病んだ根源」を癒してくれるのは、
私に合わせて調合された薬(これがないと病気自体は直らないので、とても感謝しています)でなく
「他者の存在」の響きのようなものの気がします。
その「他者の存在」が病んでいても、健康でも、とにかく自分と違う存在。
それは自分の中に入ってこようとしなくても、その他者の存在の響きを聴くことで逆に自分も
生き返るし、自分になっていけるような気がする。
そこにいる凝縮された他者の存在感に、自然に自分が反応し始める。
私も私になっていく、というのでしょうか。
(他者の存在は、それが悪意等でなく、良き思いへ何かしら向かっていくようなものであれば
何でもいいですよね。
又「他者」とゆってもやはり相性がありますので、自分と似てても違ってても相性の
良いものだったら何でもいい)
「治療者と患者」という絶対必要ながら、特殊な関係でなく、
自然な普通の人間関係が一番、というのでしょうか。
私にとってアートってそういうことかなぁ、と思ったりする。(まだ良く分かってないけど)
特に舞台に何かを鑑賞しに行くということは。
(以上は、アートを「癒し」という点でだけから考えたことです)
アートによっては、好みでないのもあるしそうでないのもあって、
こればっかりは人それぞれでだから、それぞれ又別の考えもあるかもしれない、
私の個人的な感想でした。
そして岡田さんはまだ若いのに、この「他者の存在」と「侵入」のラインを絶妙に
見極めつつあるような演奏をしてくれます。
これからも一生聴いていきたいと思うアーティストですね。
(他の皆さんについてもそうですね。一生後日追記っていう「追っかけ」も一生)
★岡田さんはお師匠筋に当たるテレビ等の仕事でも有名なケーナ奏者の橋本仁氏と
「MAYA」というフォルクローレユニットを組んでいます。
又アルバ奏者の志賀昭裕さんやHard to findの星直樹さん、
ボーカリストの吉田ユウ子さん等いろいろな素晴らしい演奏家達とライブをしています。
最近は北海道在住の柳瀬美保(booxbox)さん(海外でも活躍の画家で、作家で音楽家)の
CD「ふたつの小鳥」をプロデュースも。
◆後日追記 2005年10月
ついに「トロ」のライブを聴きに行けました!
ティンクナの岡田浩安さんと、吉田ユウ子さんの二人ユニット。
どうしてか、めぐり合わせが悪くてずーっと行けなかったのでした。
「トロ」って、日本語の語感では何となく妙なユニット名のような
気がしますが、これは何故この名前になったのでしょうね?
私には分からないのですが、
札幌の「いい店多い」ので歴史あるビルに入っている
小さなスペイン料理店が、たまたま同じ名前です。
もしかして二人は、ここでユニット結成を決めたのか?(違うか)
私は五年以上前から彼らの出るライブを聴いていたのですが、
(プロとして岡田さんは、その前からずっと本州で定評ある
知られた方です)
本当に彼らは音楽も、ご本人たちも「いい味」になってきたなぁ、と
思いました。
人一倍努力家の彼らの音楽は、行きつ戻りつしながら
年を重ねるごとに「すごく」なっていく一方というカンジですが、
ミュージシャンとして外見の雰囲気も、二人とも素敵になってきたなぁ、
と思いました。
「舞台の水」ってあるのでしょうか?音楽以外の良い変化。
アンブランテというユニットの中島さんというマンドリン奏者にも
同じことを思ったのですが、
「人の視線」「舞台の水」に「あか抜ける」というか、
磨かれるというか、服装も雰囲気も、動きも何もかもが
いい具合に、味が出る場合がありますね。
他民族音楽の場合、あまり華美ではなく、
どちらかというと質素ですが、いぶしたようなセンスがあって
私は好きですね。
華やかな演劇や舞踊の人たちとは、又別種類の良さ・HANAですが。
まあ人間、長く生きていると、いい時もあれば、逆の時もあって
その時その時、外見だって簡単に変わると思います。
誰でも人生波がありますので。
ただ、今の二人は今が旬の時期の一つかなぁ?と。
ずーっと昔からがんばってきて「ここまで来た」という
素敵さ。
私は今回小さなギャラリーで行われたこのライブを聴きながら
思ったことは、
「誰かテレビ番組のスタジオに、彼らを呼んでほしい・ほしい!!」
ということでした。(はは)
他民族音楽には、素晴らしいミュージシャンが沢山おりますが
彼らは、この種の音楽のミュージシャンとしては若い二人だし、
実力と個性一杯の音楽家だし、ルックスも「すごい美形」という訳で
ないですが、ビジュアル的にも映えると思うし、大好き!!
吉田さんはモデル体型を維持している、
品のいい「きれいなお姉さん」というカンジ。
笑顔を忘れない偉い人だし、
「女性として、美容とお洒落等」面でも、努力を忘れない人です。
(完全主義も大変だと思うのは、だらしない私か....とほほ)
でも吉田さん、オフは素敵ながらも決して気取った人では
ないです。
岡田さんはどちらかというと、ファニーフェイスの良さ。
でもフランスなどの俳優って、「美男子」っていうのと又違う、
「いい味」をとても大事にしますよね。
大らかで、こだわらない、とぼけたような持ち味が魅力!!。
他民族音楽らしい、どっか「いぶしたような」良さ。
ナチュラルな味わい深い魅力の外見とか
優雅さ、品とか、雰囲気とか、服装や髪型にも
アーティストっぽいサービス精神があるし、
スポットを当てて、彼らのことをテレビなどを通じて
広く知ってほしいなぁ、と思いましたね。(はは)
メジャーな市場の音楽でないし、「他民族もの」という
大きなハンディを持っているので、外国人は認めてもらいにくい分野。
本気になるほど「けもの道」の彼らですが、
「どうか皆さんで応援して頂きたい!!」と思ってしまうのです。
(日の丸の良さ!日の丸がんばれ!)
デジタル音楽と違い、アコースティック音楽はテレビやCDでは
その演奏の「一番いい部分」を再生できないです。
でも、ある程度までなら、機械でカバーする技術もあるようだし、
二人のことを知ることで、
他にも沢山おられる、素晴らしい他民族音楽の音楽家の方々の
存在を知って、ライブハウスに沢山の人が来てくれたら
楽しいなぁ、と思ったのです。(くすん)
やはり、他民族音楽の方たちのライブを続けて何年も聴いてて知ったことは、
お客さんの沢山いる、音響設備等のそろった大きな会場で演奏する時は
やはりあとから思い出しても楽しめるような
いい演奏が聴けるということです。
別にお客さんが多くても少なくても、皆さんベストをつくすのですが
でもやはり、お客さんびっしりで、
大会場で設備も万全だとミュージシャン冥利につきると
思うし、人間だから「ノリ」が違うと思うのであります。
だから、こんな二人がテレビに出たりすることにより
「他民族音楽」の他の沢山の皆さんのことも、
知るきっかけにならないかなぁ?と思ったのでした。
客席もいい演奏が聴けるし、どうか「お客さん達!!ウェルカム!!!」
(はは...)
他民族音楽は比較的アットホームな会場で、ライブをすることが
多いせいもあり、続けて通っていると
不思議な、軽い独占欲のような感情を経験することがありますね。
音楽に「惚れる」というのは、しょっちゅうですが
別に恋愛感情はなく、客席と舞台以上の関係は何もないのですが
それでいて、何となく「このまま、あまり広まらないで、いつまでも
自分達のマイ・ミュージシャンでいてほしい」みたいなネガティブな感情。
本当に初期の、通り過ぎる一時的な軽い感情なのですが。
これは音楽だけでなく、何かのファンになったら皆さん誰でも
大なり小なり経験すると思います。
そしていずれすぐ消える感情であることも、経験した皆さんは
ご存知と思います。
でも「ライブ」に関しては、私もしばらく通うと卒業したから
声を大にして言いたい!!!
大会場でお客さん一杯の時の、
彼らの「晴れ姿!!」「武者ぶるい」「ノリノリ」を
聴くのが、音楽鑑賞面でも、ファンとしても冥利につきる!!と思います。
ただし、小さい会場はあなどれません。
主催者と、客席と、ミュージシャンのいろいろな要素が
上手くかみ合ったとき、
大会場にない、何ともいえない人間を感じる素敵な「ひと時」となることが
沢山ありますから。
「ライブ」会場って、人間の集まりだって。
お店の人も、ミュージシャンも客席も、立場は違っても似た痛みや喜びを
かかえて生きているんだなぁ、って、思える自然さ。
音楽もそういう沢山の、自然な人生から生まれる音楽。
それは又大会場では、聴くことができないですから。
逆に、このアットホームな、音楽を通した人間的な空間を大切にする演奏家も
沢山おられますので、どちらがいいとは言えません。
両方それぞれの良さだから。
★さて、話が大きく飛んでしまいましたが、
この日の二人は、ご本人たち曰く
「ああ、すごい緊張してしまう」という状態だったようです。
でも音楽はとても良かったですよ。
アットホームな素敵な会場で、客席とステージが
本当に近かったし、客席が顔見知りばかりだったので
お二人とも、照れていたのかもしれないですね。
内輪というカンジがありました。
岡田浩安さん
今回は、面白い演奏が一曲ありました。
現在11月発売予定の、新しいCDを制作中の岡田さんですが、
今回のライブでは「こだま」と呼ばれる機械を使って、
岡田さんのCDのレコーディング風景を見せてもらった
ような曲も、一曲ありました。
手足と呼吸器官、全身全部を使っての、スーパー忙しい演奏ですが
音楽は素敵でした。
ああ、こうやってCD用の演奏っていうのをするんだなぁ、と
感動いたしました。
(CD買うことはできるけど、制作中のスタジオは関係者以外は
入れませんから)(でも入らないからいいのかも?と客席は
思ったりもします)
彼のお師匠さまであり、ユニット「MAYA」のケーナ奏者の橋本仁氏は
独特の音楽の世界を持つ、テレビ等でもすでに有名な方であります。
今の岡田さんはライブでも、若くていろいろな種類の演奏に
次々トライしているという印象があります。
ただ確実に少し別の音楽の世界を持つ、若い岡田さんもこれからますます
ご活躍してほしいと、思います。
次々素晴らしい音楽家が一杯現れると、業界全体が盛り上がって
かえって聴く方の音楽熱も上がり、各ライブを聴く回数も増えますよね。
吉田ユウ子さん
本当に久しぶりに吉田さんのボーカルを聴きました。
しきりに照れ照れとされておられました。
今の吉田ユウ子さんの歌は、若い大人の女性の声でありながら
歌い方がぎりぎりの所で、児童向け、アニメーション向けのような、
文部省ぎりぎり管轄のような折り目正しさがあります。
でもそれが今の自然な吉田さんなのだと思うし、
ぎりぎりで抑制したような情感が、吉田さんの場合
「ぶりっ子」というか「かまとと」っぽくならないで、
清純で、余韻が官能的で、自然で、大人の私も「うっとり」満足できる
というカンジ。
(そう、子供も喜ぶかもしれないけど、年取ってもウレシイ歌い方)
今回素晴らしかったのは「花祭り」という曲でした。
何回も吉田さんの「花祭り」は聞いたことがあるのですが、
岡田さんの演奏で、聴いてる方がどきどきするような
「ときめきのある」歌になっていました。
ごくオーソドックスに、この聴き慣れた歌を歌うのですが、
それがとても丁寧で、新鮮で、自然な恋の歌い方。
多分音楽歴がずいぶん長いにもかかわらず、
吉田さん自身が、音楽にも歌うことにも、舞台に上がることにも、
まだまだ、ときめきを失くしていないからなのだと思います。
生きてることにも、出会う沢山の人たちにも。
(こういうの、何の仕事の人でも同じだと思うので、
見習いたいなぁ、取り戻したいなぁ、と思いました)
福井岳郎さん
主にチャランゴ奏者(教室もやってます)・ボーカル
ここ数年の間のチャンランゴを始めとする楽器の演奏の上達には、本当に頭が下がります。
がむしゃらに進んできた感じ。
もともと昔から十分プロの水準の演奏でしたが、
ある年のクリスマスライブで、初めてあれを聴いた時は驚きましたね。
彼のチャランゴの弦から小さな光る無数の珠が次々あふれ出し、
こぼれ落ちていくような名演奏。
ああ、素晴らしかった。(よくぞここまで.....)
今はチャランゴの演奏の仕方も数種類あって、それぞれに素晴らしいです。
ただ生活事情で、練習量が落ちると演奏にムラが出ることがたまにアリ。
聴かせるボーカル、沢山の良い作詞作曲、それから幾つものユニットのリーダーとしても
沢山のファンを持っています。
福井さんの曲は一般のポップス・フォーク系の良さもありそっちもいいです。
私は学生時代、大抵の学校行事が苦手でしたが、
その歌は結構好きでした。
これは別に学校行事に何の関係もない歌ですが、
福井さんの「旅の空の下で」を聴いた時これ卒業式に歌ったらすごく合うなぁ、と
妙なことを思いました。いい門出が出来そう。
別にコーラスも特に好きでないですが、
この曲は混声三部で歌ってもまた映えると思います。
柄にもなく「合唱団」ごっこしてみたい。たまには。
まあでも一番いい歌い方は、
福井さんの飾らないさり気ない声で歌うことですね。
飾らない性格、わりと長所短所をソフトにさらけ出すナチュラルさ、
見かけによらない大人の落ち着き、しっかりしたリーダーシップ、器が人気。
なお彼の曲の中で、一曲だけ他と少し趣の違う曲があります。
そうLove song「ピヨピヨ」を彼は必ず最後の方に歌います。
その歌詞のスゴいこと。(女が聞くと、ちょっとびっくり)
初めてこの曲を聴いたときは
「こいつはただ者じゃない」と思いました。(失礼致します)
本人は、自分が死ぬときはこの「ピヨピヨ」をライブで歌っている最中に死にたいと
おっしゃっていますが、長生きしてほしいものです。
★パパになったばかりの福井さんは
今、音楽以外にもとても大変な時のような気がします。
でもめげずに「おなかとおなか」という出産songのCDをプロデュ−ス。
他アンブランテ アイレ みかこバンド ララバイで活躍
★2005年10月追記
「ララバイ2004(ユニット名)」ライブ
これは去年10年ぶりに活動を再開した「ララバイ」の久々のライブでした。Hard to findの小松崎健さんと、「ティンクナ」の福井岳郎さん。
実は、去年一度聴いたのですが、今回の方が格段に良かったです。
やはり、赤ちゃんだった福井さんのお子さんが、少し大きくなったのかなぁ?と思ってしまいました。
同じ「娘のパパさん」としてずっと先輩の健さんも、そんな福井さんを温かく見守るような、丁寧な演奏で応えていましたね。
福井さんのライブは、生活状況によって、時々演奏にムラがある場合があるのですが、絶好調のときも、そうでないときも、
とにかく「楽しめる音楽、元気の出るライブ」だと思います。
何かこう、人間的にリラックスして楽しい気分で帰れるのですね。
ライブを楽しんだ!!という、良さ。
「また明日への元気が出る」という、良さ。
これは福井さんのすごい所だと、私はいつも思っています。
お二人とも、ユニットのリーダーだけあって、いつもさりげないプロとしての心配りを感じさせる方々です。
(彼らのユニットのメンバーも)
営業、人間関係、演出等々、インディーズにはマネージャーも付き人もいないので、リーダーには音楽以外の役目が沢山あります。
私より年上なこと、インディーズとしての活動等で彼らは私にとっては
「お兄さん」を感じる方々なのですね。
(私的にお話したことは、ほとんどないですが、でも舞台を観て、教えられたことが沢山ある方々です。感謝。)
例えばこの日は服装。やはり、これで舞台を観る客席サイドも日常を越えた、新鮮な気分にひたれるのですね。
これはお二人だけでなく、インディーズの方でも心得ておられる方けっこうおられます。本来は音楽を聴きにくるだけなのですが、舞台だからプラス、何か目にも小さなインパクトがほしい。
センスを感じる古びたシャツでもいいし、
何かちょっとした小さな装飾品一個や、布一枚でも。
別に舞台衣装は、アコースティック系の場合「華美・取っかえひっかえ」である必要な全然ないですが、客席サイドとしてはライブの舞台に、やはり期待してしまうのは「質素な中にも、カタギと違うアート系」の雰囲気。
ほんのちょっとでいいし、基本的に人間はお互いそう変わりないので、
親しみ持てるアットホームなライブをベースに、
ちょっとだけ「日常でない」雰囲気。
な〜んって、ワガママ言うとダメですね。舞台アートは会場借りたりするだけでも、経費が一杯かかりますから。
★健さん
今回、健さんで驚いたのは、ダルシマーをアンデスっぽく演奏したり、ミュゼ(フランスの音楽で、この日のライブ会場の主の方の音楽)っぽく演奏したり出来るということでした。
私は、健さんのHard to findの演奏の大ファンなのですが、
たまにこういうのも良かったです。ウィンナー・コーヒーの上にのったクリームみたいな、おいしさ。すごく得した気分。
何だか健さんの隠れた面を聴かせてもらえて、これからの演奏活動に又期待が高まった一日でした。
ただこの日の演奏の変化は「職業的に会場や共演者に合わせた」というプロとしての技術力だけでなく、
素敵な会場・主催者と、久しぶりの共演者との演奏、そして音楽仲間の多い客席のメンツのなごやかさで、興が乗ったというカンジで、なお良かったです。
☆客席サイドとしては、健さんに限らず聴いててちょっと迷うことがあります。
それは以下のようなことです。
「ある日のライブ」の演奏には、大体三つのベクトルが働きますね。 曲目や演奏の仕方等々に対して。
?演奏家がその日演奏したい音楽
(やはりその時の旬、その時表現したいものだと思います)
?お店等の会場や主催者の求めるような音楽
(よく分かりませんが、やはりお店の雰囲気、
売り上げとリンクするような演奏の仕方を求める場合も
あると思います。
お店の休日などに店主の趣味と好意、お店の常連へのサービス等で主催してくれる場合は、ミュージシャンにまかせてくれると思うのですが)
?客席サイドの聴きたいもの
(かなりしょっちゅう聴いている常連以外のファンは、あまり演奏の変化球を好まない気がします。好きなユニットの「おハコのサビ」っていうのがほしくて行く場合が多いかも?
それがないと、ちょっと不満だし。
昔、ショパンコンクールで優勝したクラシック音楽のピアニストのダン・タイソンが若い頃、自分のコンサートで「ショパン」の曲ばかり客が求めるので、嫌気がさしていたという話を聞いたことがあるので、ジャンルが違っても、こういうことってあるのだと思いました)
やはり、?〜?のどれかの力が強いと、そこに合った演奏になると思います。
私は良くは分からないですが、この三つのうちやはり?が一番強いのが、結局一番いいライブになると思っています。個人的に聴いてて結局、一番いい演奏になるのは?が強いときだと思います。
しかし、?と?のプレッシャーも、エッセンス程度の分量であれば、また音楽にプラスすることもあると思います。
ただ「BGM」用の音楽でなく、
アーティストのライブだったら?と?に合わせ過ぎても、
長い目で見るとそのユニット自身達の音楽の実体がなくなって、
マイナスになるかなぁ?と思います。
(私には、よく分からないけど)
(客席としても、自分のリクエストのを聴きたいくせに、でも合わせてもらってばかりだと、いずれ物足りなく思ってしまう。
まったく聴き手を無視した演奏でも、又プロの舞台として聴いてて物足りないですが)
(……..はは、勝手だわん)
という余計な話題となりましたが、この日は「興が乗った健さん」の変化球を楽しませて頂き、客席としても満足な夜となりました。
そしてこういう変化球の後に、しばらくするとこれがその演奏家のメインの「ホームベース」のご自身の音楽の肥料となって、昇華されていくのですよね。
私は基本的に、一つのユニットを追ってず〜っと聴いていくことに決めているので、一人のミュージシャンについて、
メインのユニットがあったら、他所の演奏家たちと組む、
メイン以外のいろいろなユニットでのライブまで、なかなか聴きにいくことが出来ません。時間や体力、費用の問題も。
だから聴きにいける人数にも限界があります。
でも本当は、こういうメイン以外のユニットで演奏するときも
全部聴いていると、一人のミュージシャンが行きつ戻りつ進化していく、感動的なプロセスを学ぶことが出来るのですよね。
(ホントは全部聴けたらサイコーなのですが)
★福井さん
結婚、出産、札幌以外への転居等でしばらく福井さんのライブは、ご無沙汰していました。私生活の激動で、福井さんも大変だという印象を、たまに聴くライブで持っていました。
でも今回の演奏と歌を聴いて、大分復活してきたと思うと同時に、
「新しい福井さん」が出来始めているのを感じて、嬉しくなりました。
「福井岳郎」と言えば、アンデス音楽系の絶叫ライブが受けていました。
大分穏やかになられた今でも、あれを楽しみにしているファンは多いです。
(恐れつつ、拒みつつも、期待している共演者の方も)
私もその一人で、元気と勇気をもらえるライブを楽しみにしていました。
演奏もムラがあることがありますが、数年かけて私たちの目の前でチャランゴ奏者として急激に上達し、奇跡のような美しい音色を聴かせてくれた演奏家です。
(ちなみにティンクナの他の二人のメンバー(岡田さん・吉田さん)も、今でこそ天才のように言われていますが、みなさん目の前で、血と汗と根性でレベルアップしていったのを、私たち追っかけは知っているのですね)
(スポーツはドラマ、と言われますが、アコースティック音楽のライブも同じ部分がありますね!!
同じ演奏家を何年もかけて聴き続けてこそ、この感動を味わえるのですね!!そう、ライブには血と汗と涙のドラマが一杯詰まっているでありました)
そして今回久しぶりの演奏で、私は福井さんに、今までにない新しい福井さんを感じました。
外見もお子さんが出来てからすっかり、髪型等も地味になり、すっかり落ち着いたパパを意識してしまった感じがありますが、それだけでなく、何か淡々としたマイペースの強さがそなわった気がします。
この日の福井さんの楽器の演奏に「引き」が出たように思いました。
福井さんはどちらかというと、男性的な攻める感じのチャランゴだったのですが(アンデスの彼のお師匠様の楽風の影響?)、この日の福井さんには、ただ穏やかな演奏というだけでなく、演奏に「引き」が出た気がします。
これが出ると、音楽に奥行きが出るし、自由度が上がるし、何だか先が楽しみで、またファンとしては手前勝手に、お気楽に喜んでしまった次第でした。
歌も、この日久しぶりに福井さんの歌を聴いて、「福井さんって、いい歌手だよなぁ」と再認識しました。
歌はいい声だし、上手いですが、それと関係なく、
なぜか福井さんは昔から「聴かせるボーカル」だと思います。
アンデス音楽とは少しだけ、ジャンルが違いますが、福井さんの自作の作詞作曲もいいですね。
独特の作風ですが、福井さんの音楽聴くの私は好きです。優しい癒される声でしみじみ歌う時も、絶叫ライブで飛ばすときも。
又同じ曲を他のボーカリストの方をメインにして歌ってもらうときも、それぞれ別の良さがありますね。
一般に客席から観ると、シンガーソングライターは、他人の曲をもらって歌う歌手より「曲」を丁寧には歌わない場合が多いと思います。例外は常に、ありますが。
多分、微妙な照れも絶対あると思うし、多分そこまでエネルギーが回らないからだと思います。息切れして当然ですね。
オリジナリティーは作詞や作曲だけでなく、「歌う・演奏する」という行為にだけ注ぐ人もいますので、私は必ずしも「作詞作曲」と「歌手・演奏家」が一緒でなくてもいいと思ったりすることもあります。
話はずれましたが、福井さんの場合、ご自身で歌う場合も、
他の方に歌ってもらう場合も両方いいと思います。
アンデス音楽も素晴らしいジャンルだから、そっちは別に続けつつ、
ご自身の作詞作曲の世界も広げていってほしいと思います。
ポップスとフォークの中間位の、福井さんの音楽。
今回はHtFの小松崎健さんのレパートリーの「アクワルツ」が演奏されまた。あらひろこさんとや、HtFでも最近必ず演奏される名曲。
でも今回の福井さんとの共演では、一つとても良いものを聴かせて頂いた
気がしています。
健さんが、心をこめて演奏する美しいダルシマーの音色がメインなのですが、そこに福井さんのギターが寄り添うように、健さんの演奏の音のつらなりの上に乗っかるようなカンジで共演したのですね。
この日のダルシマーが大きな船なら、その上で揺れるような
優しい共演の仕方。
何だか二人の男同士のミュージシャンの長い年月の後の、
かすかな、音楽の友情みたいな「いい感じ」がサイコーでした。
こういう共演の仕方もあるのかと、本当に教えられた気がしました。びっくりする程素晴らしかった。
この一曲だけでも「いい夜だったなぁ」と思いましたね。
(他の曲も良かったです)
こうやって、お酒のように音楽家もまた熟成していくのだと、
お二人にしみじみと又教えられたような気がしました。
10年がかりで、じっくり聴いていけたらまた素晴らしいだろうなぁ、
と思いました。
(何の仕事の人も同様ですが、音楽もまた長い道のりなのですね)
吉田ユウ子さん
主にボーカル・パーカッション
去年位から驚くほど歌に磨きがかかった。
ああ、うっとり。
外見は「お祭りの若いお姉さん」という感じ。私服もセンス良し。
人柄の良さとマイペースな大人の落ち着きを感じる人。
ただ一回、昔のライブでほんのちょっとだけですが、
リーダーの福井さんと二人お互い子供みたいにムキになって
にくまれ口をきき合ってたことがあって、かわいかったね。
(普段は昔からずーっと、いつもリーダーに絶対服従でがんばっています)
世の中には歌姫と呼ばれる女性ボーカリストが沢山います。
でもどんな素晴らしい歌手でも好みに合わない声だったら
さほど好きになれないですよね。
私にとって歌姫・DIVAとは「吉田ユウ子」のことです。
吉田の「姫声」、金の声。
吉田ユウ子さんの歌声はジャンルを越えて私を幸せにしてくれるのです。
「月の音、聴いてる」等福井さんの曲を、ずっと歌い込んできた人。
ティンクナのチームワークが深まるにつれて、
メンバーそれぞれの演奏もレベルアップしていって、
またファンは沢山のことを教えられました。。
彼女の歌声を私は勝手に「姫声」と呼んで喜んでいます。
プロとして苦労もした印象のある吉田さんですが、
あのおっとりと、いや味のない品のある澄んだ美しい声、
ゆったりタメのきく安定した歌い方の中にふっ、とはかな気な感じもして、
もうワタクシ耳が喜んじゃって。
※ティンクナのほかに、「トロ」というユニットで岡田浩安さんと活躍中です。
「岡田浩安」さんの所に、ユニット「トロ」の
後日追記アリ。
後日追記 2007年2月
昨夜、久しぶりに福井さんとHard to findのリーダー小松崎健さんとの、
二人ユニットのライブを聴きました。会場は客席も舞台も和気あいあいの盛り上がり。
演奏はなじんでいて、今日は福井さんのギターと、健さんのダルシマーが、夢みるようで良かった。
トークは、二人漫才のよう。突っ込みを入れる健さんは、口とは裏腹に、
福井さんの演奏
の少し後ろに回って、ゆりかごのような、大きなあたたかい演奏をしていました。健さん
がこういう、お父さんのような演奏するのは、福井さんのときしか聴いたことないです。
本当に楽しいライブでした。
でも他民族音楽の追っかけの私は、8年余りの時の流れとを感じて、
少しだけ寂しく思いま
した。そして、祝福も。
昨夜のライブで、福井さんが今何に夢中かは、はた目からも感じられました。前から関わ
っている演劇ですね。この日のライブでも、劇団「千年王国」で使った曲を演奏する福井
さんは、あまりに生き生きして見えました。
若手演出家賞受賞の橋口幸絵さんの劇「イザナギとイザナミ」。
福井さんは音楽担当だけでなく、出演もしています。
http://sen-nen.org/index.htm
みんなで創っていく演劇の魔力は、すごいものだと思います。
舞台は文句なく、素晴らしいものだったし、本当に面白かった。
うん、やっぱり演劇はスゴイ!!!
でも、いつも音楽専門の福井さんしか知らなかった私は、まるで福井さんが向こう側に行
ってしまったように見えて、少しだけ寂しかったですね。
素晴らしい劇、舞台だったから、余計に。
そう、円谷プロの昔の名作映画「マタンゴ」(人間をとりこにする魔性のキノコ)ではな
いですが、音楽だけのライブから見ると、舞台演劇は「マタンゴの島」に見えるのですね。
「危ないぃ〜」(失礼します。ごめんなさい)
心なしか、健さんも寂しそうだった。うん。
まあ、演劇音楽と、音楽だけの音楽は、モードが少し違うのですが。
(※映画「マタンゴ」
http://www.geocities.jp/jacknife8162/matango.html
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21159/
………確かに、音楽劇「イザナギとイザナミ」は、素敵でした。劇中にあって、音楽もま
たさらに輝いていました。舞台の人々、いろいろなこと全てが、輝いていました。
(※「イザナギとイザナミ」DVD販売)
それ以外のことでは、前から書いてはいましたが、この日新曲を聴いて、また再確認した
のは、福井さんの、民族音楽系でない、いわゆる普通の歌、作詞作曲も、いいなー、とい
うことです。
音楽だけもいいし、又私は本当に、アニメの中に福井さんの曲を何曲も入れてほしいと思
うのです。
あまり低年令向けでない、いいアニメ。
うん、ぜひぜひ実現してほしいのであります。
「約束」「風が吹くわけ」「春」「イザナイ」「道歌いの唄」「ピヨピヨ」
そう、アニメの上映の終わりに、画面には、流れる主題歌の中、私の知っている他民族音
楽系を含む、沢山のミュージシャンたちが、アニメのイラスト背景の中、「くり抜き動画写
真」のようにして、出てくるとか。(イヤか…)
福井さんご自身で歌う方が好きな曲もあるし、他の歌手の方に楽曲提供してる方が好きな
曲もありますが、どちらにしても福井さんの世界が広がっていくのだと思います。
あ、「NHKみんなの歌」っていうのにも、出してほしい。
これは昔からの超ロングラン番組で、文部省唱歌のすがすがしさ、真面目さと、ポップス
の人間的味を合わせた位の、誰が聞いても共感できるような、いい雰囲気の歌ばかりです。
心に残る、いい歌がいっぱいあったのですね。昔から。(大流行した曲もいっぱいありまし
たね)
ライブの最後の曲は、チャランゴの「あなたの影になりたい」。
報われにくいジャンルですが、やはり私の好きな他民族音楽。
今回は、健さんのダルシマーとで又違う良さ。ダルシマーと一緒の演奏もリッチだと思い
ました。今回も福井さんのこの曲は、とても良かったですね。
さびしいけど、今の福井さんの活動を祝福したいと思っています。やはりそのとき、その
とき、気持ちが惹かれるもの、真剣になるものがあって、そこから又得がたい何かを学ん
でいくことの、繰り返しが、生きていくことだとも言えるから。
民族音楽でも、ポップスでも、ジャズでも、クラシックでも、又古典の曲でも、オリジナ
ルでも、そういうことは関係なく、自分の好きな、自分のしたい音楽だということだけが
大事なのだと思うし、それが音楽に心が入るということだと思いました。
(これも、沢山のミュージシャンの人々に、ライブで教えられたことでした。
皆さん、本当にありがとうございました)
2008年3月 「トロ」ライブ
そして「トロ」。
サンポーニャ奏者の岡田浩安氏とボーカルの吉田ユウ子氏のユニット。
このユニット残念なのは、めったに活動しないこと。
吉田氏のボーカルの大ファンの私は、彼女がめったに出ないことに
いつも不満で一杯です。
だから聴く時も当然力が入ります。
どの曲も、良かったですが
今回めったに聴けない、いいものが聴けました。
それは二人の笛のデュオ。
ケーナなのかな?フォルクローレベースの活動が多い二人、
今回のもそういう曲でした。
音楽素人の私は、専門的なことはぜんぜん分らないので、
単に客席の主観を書き散らします。
岡田氏のサンポーニャやケーナの演奏のすごさは、
ライブに来た方はご存じだと思いますし、本州でも有名な方です。
http://www.ashibue.com/
演奏の音色には種類があって、ライブごとに使い分ける?ので、
その時その時、ちょっとハラハラします。
天女のような吉田氏はメインは、私の好きなうっとり姫声のボーカルですが、
笛も長い間岡田氏と演奏していただけあって、とても上手いです。
で、その吉田氏の笛の演奏に、岡田氏が一緒に演奏を重ねたのですが、
聴いてて本当にすごかったのは、そのタイミング。
一糸乱れぬ演奏という賛辞がありますが、今日のこの曲はそれ以上。
まるで高度なアイスダンスのペアのタイミングのように、
吉田氏の素敵な演奏の上に、重なり乗っかり黒子のように、
ぴったり岡田氏が。それでいて、軽快・楽しい・叙情的なのだ。
吉田氏の演奏はくずれずに、それだけでも素敵な演奏だったのですが、
吉田氏自身が岡田氏に驚いたのか、演奏しながら目を丸くしていました。
この日のライブは別に音楽に悪影響なかったですが、
この二人、なんとなくいつもと違い、最初、会場では
何か言い合いの後みたいな、
憶測ですが、そういう雰囲気が二人の表情にあったのですが、
この演奏になったら、もうなしくずし。
客席からプロのミュージシャンの「すばらしい!」という
惜しみない称賛の言葉、拍手。
(浜田隆史氏でした。日本を代表するラグタイムギタリスト)
この二人、私はひそかに他民族音楽のベストドレッサー賞だと
思っています。
サービス精神一杯の二人は、日常生活と少し違う空間であってほしい
ライブ、服装でも楽しませてくれます。
もうこの二人、他民族音楽関連では、
ビジュアル的にもテレビに出してほしい位!!!
そりゃ、岡田さんはSMAPには入れないかもしれないけど、
この味のある二人、眺めても聴いても、いいだなぁ。
この分野関連の普及ユニットとして、どうかしらん。
華美で高価な衣装は必要ないし、安くても合ったものっていうのが
いいですよね。
昔、ティンクナ、今は劇団「千年王国」で活躍の福井岳郎氏は
とても雰囲気のある素敵なシャツのような上着を一枚持っておられて、
いつもそれをずーっと着ていました。
何年同じでも、合っているならそれでいいと思った。
(福井岳郎氏作曲・出演 受賞作「イザナギとイザナミ」)
http://sen-nen.org/dir/2008_01_iza.htm
同じ服でもいいし、なるべくお金かからない方がいいですが、
でもミュージシャンのセンスのいい服装は、いつも客席に
楽しみと刺激をくれると思っています。
日常とちょっと違う、お祭りの空間がライブだから。
Hard to findのリーダー小松崎健氏もセンスいいです。
http://www.hardtofind.jp/
普段着に見えるし、ユニットのほかのメンバーとのバランスも
取っているのですが、
でもあんな趣味のいい服装の人めったにいない、と思います。
舞台出るせいかセンスいい人多いですが、
ぜんぜん服装かまわなくて、客席からお節介な非難が飛ぶような
ミュージシャンも中にはおられます。
そういう方、誰かセンスのいい方が選んであげてほしいと
思ったりします。(私はセンス悪いからダメなのだ)
それだけ客席はワガママで、アーティストは大変なのだと
思います。
参照
戻る
]]>
ティンクナ
2003-03-17T21:44:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929640
クレズマーデュオ
クレズマー・デユオ (東欧ユダヤ音楽)
まだ二回しか聴いたことがないです。
元々好きなジャンルの音楽でしたが、
彼らのことを全然知らなかった。
だから初めて聴いた時あまりに「好みピッタリ」の演奏でびっくり。
ネィテ...
クレズマー・デユオ (東欧ユダヤ音楽)
まだ二回しか聴いたことがないです。
元々好きなジャンルの音楽でしたが、
彼らのことを全然知らなかった。
だから初めて聴いた時あまりに「好みピッタリ」の演奏でびっくり。
ネィティブのCDも一枚持っているのですが、
私はクレズマー・デュオの方が好きですね。
この人たちは何者だろう?というどこか謎めいた雰囲気のある二人。
東欧ユダヤに合った知的で哀し気な雰囲気に見える堀口さんと、
固くて生真面目な演奏中の表情とオフ笑顔が両方素敵な田中さん。
きちんとした服装に、ずばぬけて上手い二人のライブは
「端正な演奏家」の印象を与えるのですが、
本人達はチンドン屋さんが好きだったり、得体の知れない部分が....。
田中美好さん
アコーディオン奏者・ボーカル
堀口さんのサックス・クラリネットに微妙にかんで応える素敵なアコーディオン。
その声質、きれいだけどどこか陰鬱なハスキーボイスに、私はすぐゾッコン。
しかも今は失われつつあるイディッシュ語を、日本人離れした発音で歌います。
堀口栄一さん
サックス・クラリネット奏者
彼のめちゃ上手いサックスとクラリネットを聴いていると
客席は「踊り狂いたくなってくる」のですね。
でもそうしないでガマンして、席でじっとしているのが私は好き。
童話「ハーメルンの笛吹き」の笛ってこういう音出したんだろうなぁ、
と生まれて初めて思った笛の音。三角山放送のパーソナリティ。
参照
戻る
]]>
クレズマー・デュオ
2003-03-17T21:30:00+09:00
JUGEM
-
http://blog.morino-kyu.com/?eid=929639
井上憲司
井上憲司さん(インド古典音楽・ワールドミュージック)
シタール奏者
(数年前からは現地での演奏時インドの新聞各紙に
「kenji inoueは、ついにインドの著名なシタール奏者とひけをとらないまでになった」
と書かれるように)
初めの頃...
井上憲司さん(インド古典音楽・ワールドミュージック)
シタール奏者
(数年前からは現地での演奏時インドの新聞各紙に
「kenji inoueは、ついにインドの著名なシタール奏者とひけをとらないまでになった」
と書かれるように)
初めの頃は太っていましたが、
近年ぐ〜んと、やせられました。
ハデな旋律楽器の演奏者ですが、ジミな性格の方のような気がします。
外見は地味派手な感じ。(どうでもいいか、そんなこと....)
ワールドミュ−ジックでもいろいろ素晴らしい活動をされていますが、
北海道へはインド古典の演奏に来ています。
これまでインド等国内外各地で公演し続けてきた素晴らしい演奏家ですが。
が、しかしなぜか北海道の舞台では、
「いじめに合う」ことも結構ある人だなぁ、という印象があります。
インド古典という特殊なジャンルのせいもあり。
そもそも北海道って、内地のメジャーなミュージシャン達に嫌がる人多い位
観客の反応が良くない土地だそうです。(偏見も多いと思いたいですね。
多分北海道人は本州人に比べて反応もぶっきらぼうに思われやすく、
だから誤解されやすいのかも)
井上さんも別に何も悪いことしてないのに、時々突然....嫌な目にあうことがある。
でもいつも嫌なことあっても、がんばって演奏を続け、
終了後もつとめてなごやかに、黙々と仕事して帰っていきますね。
総じて地道にコツコツやる人、という印象。
(但し「いじめに合う」のは時々で、あとはみんな井上さんの来道を心待ちにする
温かい井上さんの大ファンばかりです)
本州で大きな舞台の時近くで見たら、
自分の爪を演奏のために3cm位伸ばしていた。
(ネイルアートと縁のない、むき出しの生爪)
なりふり構わず......。
インド古典を世界に広めたビートルズのジョージ・ハリソン氏が亡くなった時、
しばらく舞台の上でも一人で黒い服を着続け喪に服していた。
井上さんはインドのシタール奏者ニキル・ベナルジー氏を崇拝しているのですが、
古典を知ったのはジョージ・ハリソンがきっかけだったと前にどこかの
インタビューで話していたことがありました。
普通そういうことは恥ずかしがってしない気がするのだけど、
井上さんは意地になってしていたのかもしれない。
その時々の演奏によって「 官能・ 神聖・ 躍動・ 神秘 」と
昔から、さまざまな人に評されてきた井上さんの演奏ですが、
近年さらに演奏がすごくなり、演奏の幅も広がり、
シタールの素晴らしさをいつも教えてくれます。
今、一般客席に分かる範囲でも10種類以上の演奏の仕方があります。
どれもぞれぞれに素晴らしいです。
編集部Aにとって井上さんの音楽は「救世主」だった。
他に突発性難聴が彼の演奏で治癒した人もいます。
が、別に薬用の楽曲でなく副産物というかたまたま
そういう巡り合わせに。
参照 Link
ザンギートメーラ
感想集
・インド古典音楽
・演奏の聴こえ方
・ワールドミュージック
2009年3月
インド古典のシタール奏者で、ワールドミュージックの
井上憲司氏が昨年秋から二枚の新しいCDを出しています。
インド古典の「Kirwani」。CDでも、
その良さが沢山伝わってくる録音した。
玉の音色、玉のシタールでした。
ワールドミュージックの「LIVE AND THEN」のジャケットの裏の
井上氏の写真を見て、私は驚きました。
昔、井上氏は太っていましたが、数年前からやせて、
驚いたことがあります。
しかし今回驚いたのはそのことでなく
(でもまたちょっぴりリバウンドしてるかも?)、
うっすらと顔に黒っぽく変色した部分があったからです。
そんなに濃い訳ではないのですが。
実は、風のたよりに、その原因らしいことを去年から知っていました。
まだ治っていないのかもしれない。
どこかで良い治療をしてくれる所を見つけて、
一日も早く完全に治ること祈るしかありません。
インド各地の新聞も絶賛した井上氏のシタール。
昔、大阪のインド大使館の記念式典の舞台で、
インドの大使が井上氏に懇意に話しかけていたのを、見たことがあります。
芸術には昔から、「不幸のしずく」という言葉がありますね。
音楽でも絵画でも何でも。不幸なアーティストが、
素晴らしい芸術を残すという。それには幸せなアーティストはかなわない、
というような妙な説が。
今度の井上氏の「Kirwani」のCDを聴くと、
何だかその言葉を思い出してしまいますが、
でも素晴らしいアーティストで、幸せで、
恵まれた環境を生かして沢山の良い活動ができた人だっていますよね。
新しく挑戦という訳ではありませんが、
井上氏には公私ともに幸せになってもらって、
「幸せのしずく」というような素晴らしい活動を
沢山してほしいなぁ、と思います。
(私の勝手な願望ですが)
.....まあ、こういうのは私の主観の産物で、
音楽自体には幸せも不幸もないですが。
北海道の小さなライブハウスでいじめのような目にあったり、
マイナー音楽なため客数がとても少なかったりする会場で、
それでもめげずに一生懸命活動する井上氏を観て来たので、
井上氏の幸せを願いたくなるのかもしれないですね。
音楽より、人間として楽しく幸せに
生きられることが大事だと思います。
井上憲司HP
2010年12月
2010年12月にNHK BS2でシタール奏者の井上憲司氏がテレビ出演
していました。
井上憲司氏はインドにおいて、2009年、最優秀演奏技術賞をシタール演奏で受賞。
外国人初の快挙だそうです。
(外国人を評価してくれるインドの懐の深さにも感謝ですね)
インドの新聞では、けっこう前から「kenji inoueは、ついにインドの著名なシタール奏者に
ひけをとらないまでになった」と書いて頂けるようになってきていましたが、
今度のことは、井上さんも感無量、極まったと思います。
今回は、演奏だけでなく、いろいろ特集して頂いていました。
前にブログで「不幸のしずく」と書いたこともありましたが、
生きていると、こうやって報われることもあるのですね。
テレビにも井上さんの指にめりこんだ、
弦の痛そうな跡が映っていました。
他民族音楽は、音楽の中で最も評価されにくい、
フィールドだと思います。
でもテレビに映っていた、あの純朴で気真面目な表情の
若い頃の井上さんは、
そんなこときっと何も考えられず、ただひたすらシタールの練習にのめり込んでいった
のだと思います。
http://www.morino-kyu.com/ouennsiteimasu.html
市場でも評価されにくい音楽だから、
それこそ昔のマハラジャみたいな
理解して、サポートしてくれる多くの方たちの力なしに、古典楽器、民族楽器、
他民族音楽のミュージシャンの活動はむずかしいと思います。
マハラジャごっこ
http://www.morino-kyu.com/maharazya.html
昔、テレビでスイスのヨーデル音楽で最高の評価を得た日本人がいたという番組を観たことがあります。
インド古典とはまた違う音楽ですが、やはりちょっとづつ、ちょっとづつ
国境を越える日本人がいるのは、素晴らしいことだと思います。
いろいろな、素晴らしい他民族音楽のミュージシャンの方々が、
井上さんを突破口、一つのきっかけとして、また良い方向へ動いて
いけるような気がして、二重に嬉しいことだと思いました。
で、ライブの音はデジタルで完全には再生できないので、
CDや映像等、あまり期待できないと常日頃思っていました。
でもやはりテレビは技術的に、少しづつレベルアップしてきている
のでしょうか。
今回の番組の演奏かなり良かったと思いました。
前に「題名のない音楽会」での演奏の時も思いましたが、
またライブにない、別な種類の良さ、感動もあるんだと思えました。
何でも頭から決めつけたら、ツマラないですよね。
こういう番組に、これからも出演させてもらえたら、
沢山の理解者、ファンも増えるかも?と思ったり。
観てない人は、誰か録画持ってないかしら?
番組は以下でした。
NHKならでわの凝った、ためになる、それでいて面白い番組。
2010/12/11(土) 22:00〜22:59
BS2 『どれみふぁワンダーランド』
「匠の技」にシタール奏者、
井上憲司 登場!!
出演:宮川彬良、戸田恵子、
RAG FAIR 他
ライブの時の話しで、よく聞きましたが、
井上さんは、昔から釣りに夢中です。
音楽の仕事がないときは、気持がすぐそっちへ行くカンジが。
インド古典は自然を題材にした音楽だし、ワールドミュージックの方
の井上さんの曲の題材も、そういうのがほとんどです。
釣りは最初、音楽に関係ない趣味なのかと思っていましたが、
作詞作曲、プロデュースも含めて、音楽を離れた自然の中に
いることも、決して無関係でないのかもしれないと思いました。
あと携帯カメラですが、井上さんの写真とてもいいです。
自分のサイトの中のブログに、沢山アップされています。
ここにも多くの自然が。
ま、音楽の、自然の、と無理に関連づけなくても、
なぜか釣りが好きな男の人は多いですね。
でも、その大事な時間も、今の健康状態には良いことではないと
思うし、インドの風土も(最近の近代化はめざましいけど)...。
井上さんは、釣りに行くのをやめようとしないのです。
2011年3月8日
8年間の禁欲の後に...。
3月8日、8年間の禁欲の後に、憧れの音金で
井上憲司氏のインド古典ライブを聴きました。
東日本大震災の数日前のライブでした。
何となく8年ぶりに行ったのでした。
そのあと3月11日。
100日以上経った今でも、
日本中がまだショックから立ち直れていないし
被災地の方々はまだまだひどい状況。
今、書こうとしたのですが、
残ったメモのぐちゃぐちゃの字は、
もう自分でもよく分からなくなっていました。
ごめんなさい。(これは震災のせいでないです)
夜中のラーガ。
ライブも暗くなってからだったので、眠りの静かなイメージが。
でも井上氏のインド古典演奏って、時々、私の期待、予想を
裏切るから...。
遅くまで騒ぐような集まりだって人間の夜ですよね。
夜のにぎやかさ。
そして眠っても、意識は消えていても、
寝てる人間の体内で行われる、自己修復の時間。
官能的なアーラープ。
会場でちょっとご挨拶しただけなので、よく分からないけど、
客席から見ると、今までで一番体楽でなさそうに見えました。
でも演奏はパワーアップしてて。
この曲、井上さんが完璧なコンディションかというとそうでないと。
でも演奏の仕方がすごく魅力あるので、
全体としても素晴らしいと思いました。
次の曲
はじめ、音楽が会場いっぱいに広がって、会場の空気を動かして、
振動するから、思わず天井を見たり、私にも響いて、
自分の体にも共鳴して、中でうねるカンジで。
(音量が大きいというのでは、ありません)
クライマックスが近づくと、
その音楽が井上さんのコントロール下に
全く入ってしまって。
間は空きましたが、今まで聴いてきて、こんなになってるとは。
一曲目もすごく良かったけど、二曲目で井上さんは
私が知ってる井上さんというミュージシャンより、もっとずっと.....。
隠していたのか?と思った程。
でも、いつの間にか8年も経ってるから。
こういう時、相方のタブラ奏者にも変化が来たりして、
それぞれ独立した演奏家同士でもあった一曲目と打って変わって、
顔の表情もパッと。
吉見さんは添うように、添うように、一つになって、またこれが素晴らしかったんだな。
ついに憧れの吉見さんのタブラを聴きました。
初めて聴いた吉見さんは、(一曲目)個性的なタブラ演奏をしていました。
大抵響くように演奏するように思うのですが、
どっかで吉見さんは響きを抑えようとするカンジで、
でも超素早いのでそれでもたつく訳でなく、
シタールとこういう合い方もあるんだなぁ、と思った。
古典のツアーは、100人入るときもあれば、
少ないときもあるそうです。
たくさんの演奏家とユニット経験してきた吉見さんは
独特の考え方の
持ち主で、
ツアーで回るとき、自分の相方と一緒に行動せず、
なるべく食事も何も別行動するそうです。旅行というのは仲良くても、
ちょっとした諍いが起きやすいし、
そうやってまさかの感情的な悪影響が演奏にかかることを防止し、
舞台での演奏に臨むそうです。
醒めた人間観と、音楽、音楽のパートナーに対する、
それだけに賭ける強い気持ち。
胃のせいで食べれるものが限られましたが、ネパールティーおいしかったし、
フードメニュー、飲み物もいろいろ。
もう行きたい、行きたいという積年の思い、ライブハウス音金に
やっといけました。
うれしい。
田舎ものらしく、照明器具や、音響装置、壁の絵、何を見ても驚き、オーナーご夫妻に優しくして頂きました。
最後の曲が終わったら、いつものようにすぐ会場を後にしましたが、
来てよかったなぁ、と思いました。
次はいつ行けるか分からないけど、事情が許せばまた、度々聴きたいと
思っています。(現実は、なかなか....)
音や金時
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~otokin/
吉見征樹氏サイト
http://sound.jp/tablin/index.html
井上憲司氏サイト
http://www.kenjiinoue.com/
(C)
戻る
]]>
井上憲司
2003-03-17T11:04:00+09:00
JUGEM